青い地球は誰のもの ~世界はこれからどこへ行く~ -2ページ目

青い地球は誰のもの ~世界はこれからどこへ行く~

聖書には、黙示録というのがあるんだそうで。やはり、本当に来るのかもしれませんね、なんちって^^;
「いいね」を入れていただいても、必ずしも内容を支持した旨、踏み絵だなんて、野暮なことは思ってません。

皆様こんばんは~!猫

 

こちらに、お越しいただき、どうもありがとうございます。

 

さて、今回は、シリーズ連載【青い地球地球は誰のもの?シリーズ】連載第4回目「ちょっと待てよ!?CO2と温暖化と戦争の大義名分の巻」となります。

 

ねこさん

うちのネコさん💛

 

多分に現実離れしたセンスで好き勝手に書いてますんで、「何言ってんだ?この人??」ってことになるのかなと思います。なので、ちょっと、これはどうも、ついていけんわ・・・と思われる方は、早めにリタイアしてくださいませ。うずまき

 

当初2022年11月に初稿を投稿してから内容を見直したところ、修正を経て【その5】としています。

 

 

敢えて資料参照などしないで、情報弱者の素人が頭の中の思考と朧げな記憶だけで綴り、内容の裏取りなどはしていません。ご了解くださいませ。猫

 
 

●前回までの過去記事

 

 

 

 

伊勢神宮内宮で撮れたハロ現象写真(2020年6月)

 

 

★さて、第4回はここからです。猫

(1)地球温暖化問題の内実と世界のエネルギー政策の意図について

二酸化炭素が地球温暖化の元凶だというのは、ちょっと待てよ~!?と、懐疑的にみてました。と言うのは、二酸化炭素が地球温暖化の温室効果ガスだというなら、それを封入した布団やジャケット作ればいいのに。温かな布団や防寒着になることでしょう!?…んなわけないですよね。空気の主な組成は、窒素が78%、酸素が20%位で、自然界の二酸化炭素は大気全体のわずか0.041%だそうです。人類の活動による増減幅は、その0.041%の中で数%。大勢に影響しないとも思えます。これをもって、単純に温暖化の解決策にするという理屈そのものに、素朴に疑問を持ち、それならむしろ、産業革命以降に温暖化が進んだのは、人が火を燃やすなどして出した、熱(カロリー)そのものが要因だと捉えたほうが、余程自然ではないのかな!?という見方をしています。簡単に言いますと、車が内燃機関で火を焚くのと同様に、主に北半球の高緯度地域で、みんな、冬になると暖房しますね。その熱なんじゃないの~はてなマークと。電気暖房でも熱ですね。すると、原子力で発電しても、蒸気タービンを使って、熱でお水を沸騰させる工程があれば、そのこと自体が既に温暖化の原因要素になるし、みんなが冬に暖房をとり、夏にはエアコンの冷房で、熱そのものを戸外に排出するのもそうなのにな、なんて思うものでした。 これは余談となりますが、たしか日本は、20世紀末、各国の二酸化炭素排出枠を決めた京都議定書採択時に、将来、二酸化炭素の排出を大きく削減するとして、その裏では、他国の余った二酸化炭素排出枠を買う札束という、ある意味では理想主義的だけれど、ある意味では自滅的とも言える公約をしたんじゃなかったっけかな? 日本はもはや、日没前の黄昏時の夕日、かつてのような、貿易黒字を年々持続する元気な国ではなく、バブル崩壊以降、長らく没落過程にあるのに、なんていう悲観的な感想も持つものでした。

話を戻しまして、真偽ははてなマークですが、当初、欧米先進国が、発展途上国を、なかなか、先進国に追いついてこれないようにと、うまく足枷を嵌めた、という見方もあるようでした。

 

参考ページ 田中宇の国際ニュース解説👇

 

(2)地球温暖化説の変遷

さて、今回は、地球温暖化説の捉え方についてです。当初、温暖化には大きく二つの見方があるのかなと見てました。ひとつは、どうも地球は、地球誕生以来の推移の中で、温暖化と寒冷化を周期的に繰り返す!?というもの、そしてもう一つは、それはともかくとして、産業革命以降、加速度的に温暖化が促進したの確かかな。という見方です。①か➁か、両方なのかわからなくても、温暖化の抑制ができないと陸地の水没気候変動とそれによる生態系の変化・食糧不足、熱帯地方特有な感染症の発生…などが想定されるかなと。

 

ところがその後、③地球は今後とも温暖化せず、二酸化炭素増加が温暖化を招くものでもないという方向へと玉虫色に紆余曲折を辿る経緯について、上のリンク記事から読めました。この言説、純粋に自然科学上の学説というよりは、国際政治上の道具だったのかな?とも見えそうで。そもそも 恐竜がいた暑い頃🔥や氷河期宝石ブルー到来の、からくりも皆CO2?なの~?

 

カラスさん

 

(3)EV(電気自動車)は地球温暖化抑制に寄与する?

2022年秋、英国由来の産業革命、蒸気機関車と鉄道技術で、日本に鉄道ができて150周年ということで、テレビでは、記念する番組などが組まれてました。たしかに、近世・近代人類は、それ以前に比べて、蒸気機関の多大な文明開化の恩恵を得たんでしょう。ただし、蒸気機関というのは、熱機関としての熱効率(エネルギー変換効率)が、10%程度以下と、すこぶる悪かった。翻って、今どきのEV(電気自動車)、ん~…、といいますのは、EV、車と電池自体の完成度はまだ発展途上の過渡期にあって、まだこれから自動運転技術も加わった性能向上の伸びしろが大いにありそうなものの、その分だけ買う側にとっては、現在のEVの完成度は、近い将来陳腐化してリセールバリューがかなり落ちてしまう懸念もありそうかな?ですね。 今は車体も電池(原材料)も高価で、電池には寿命があって永年乗るには電池の交換が前提で、例えば10年、15年後に交換パーツとして、リーズナブルな価格での電池供給、安心できるのかな? 等も気になり、日本に多い軽自動車購買層には馴染みにくそうかな?、と、勝手な見方をしています。(車を大事に永く乗ることは、ひいては廃車されゴミになる車を減らす流れをつくり、エコに寄与する面もあるとみています。) 平均年収500万円に満たず、非正規雇用が進んで大半は裕福ではありませんから、バブル破綻前のようには高い車は買えない人が多いのが実際でしょうはてなマークそして、これまで日本を支えてきた主な産業は輸送機械器具(自動車・トラック等)製造業で、その部品製造の裾野は多岐にわたり、それに加えて車検制度に関わる自動車整備業(サービス業)も多く営まれ、EV移行していくと、自動運転装置を含むEV・FCVに適した車検制度の在り方如何では、既存の機械分野から電気・電子へという専門性の移行と、それによる部品メーカーの淘汰、技術のブラックボックス化などで、メーカー・ディーラーと繋がりのない整備工場では扱いづらくなり、業態変化の負担が出る虞を回避しつつ構造転換を図る難事を乗り越えることになる懸念があり、ガソリン・ディーゼル車の衰退は、生産国の日本にとっては、大量の失業者が出る国の浮沈に関わる随分と苦い話に見える余地もありますね。

 

(4)EVの電源

地球温暖化抑制に寄与するEVシフト?という観点から観たときに、注目したのは、どこで、どうやって 発電した電気を使うのか?と言えば、現状は、水力 火力 原子力だということですね。水力発電で全ての車の需要を賄えるわけもなく、ダム、環境破壊も伴って、なかなか造れない。火力発電では、結局、石油を燃やして熱エネルギーを作ることに変わりなく、地球環境保全に貢献したことにはならない。原子力は、まだ今の人類の手には負えないところのある危険なもので、その意味でコストが高い、ここでいうコストの高さというのは、福島原発事故なみの事故が発生した場合の復旧補償費込みの考え方ですね。結果、現在の原子力発電には、今後とも大きな制約を加えることが不可避という考え方を取らざるを得ないのではないかな?と見てますところ、日本はどうも、長期維持に舵を切ったようですね。たとえ 二酸化炭素は出さなくても、日々、地上で熱エネルギーを産出して蒸気タービンを回すという発電の仕方なら、それは火力発電と同じで、原子力発電もまた、地球温暖化に寄与する一つなんではないのかなはてなマークですね。ここで、前段で書いた、本当に二酸化炭素が悪玉なのかどうか?が、今回の引っ掛かる点かと思いましたが、そんな真偽は今更それはもう重箱の隅をつつくような些末で的外れな問いだよ、とっくに世界は既定事項で走ってるんだから、と、鼻で吹かれて嘲笑されそうかな?

 

(5)EV化にまつわる懸念

EVの難点で思い当たるのは、エネルギー保存性で、電気は、バッテリー(電池)の容量以上には、作り置き出来ない。バッテリーは、資源・コスト・寿命・重量・環境負荷発火懸念🔥使い勝手などに、依然、厳しい課題がありそうかな?という点です。電池製造・廃棄時の二酸化炭素排出量は?そして、電池は、熱さ寒さに弱い(暖房に大きな電力消費)。高速道で渋滞にはまると深刻に大変びっくりそして、ガソリン並みの短時間で、どこのGSでもガソリン・軽油車の給油並みに急速充電出来るのか? という、インフラ整備と充電速度という利便性の問題も現在はありますね。満タン充電して数か月ほっといたら、自然放電してたとかびっくりそして、現在、ただでさえ逼迫することの多い電力需要なのに、家電の消費電力の比じゃない車の充電を大量の車が行う日常が来た日には、一体どうなるんだろう?という疑問もあって、さらに、電力価格の高騰や将来見通しの不安定さも懸念材料で、一体、どういう未来ビジョンのもとに、ガソリン車からEVへの置き換えを進めたいのかな!?と、素朴に首を傾げてしまいます。行政は、EV化推進に多額の補助を出してますが、将来のエネルギー政策の青写真はこうだよと、将来のビジョン・シュミレーションを示したのかな? 多分、国がしたいのではなく、世界の潮流に右へ倣えで合わせるしか仕方ない流れでしょうかね? 一方、石油・ガソリンですが、原付・スーバーカブ等は、1リッターおよそ100キロ走行可能でしたでしょうか?。化石燃料を燃やせば、たしかに、二酸化炭素を出すよね、というのをひっくるめて抑制したい趣旨は、わからなくもないけれど、原子力や電力での発熱を問わなくて、二酸化炭素で地球温暖化するというロジックは、どうも引っ掛かります。ここで言いたかった事は、温室効果ガスと呼ばれる二酸化炭素そのものは、実は案外 、地球温暖化には影響しないよ、という可能性も有りかなはてなマークでした。そんなことを思いつつ、当面、模様眺めですね。キョロキョロ 

 

さて、地球温暖化対策のためには、次世代のエネルギー源として、原子力発電がいいというところに、話は短絡するのかなはてなマーク原発事故が今後は起こらないと誰が確約できるのかな。敵国ミサイルに狙らわれたら、人為的に放射能事故は起こせますね。電力会社の経営が傾くほどのコストがかかって、(負担は税金!?)尚且つ、それでも放射能被害からの復旧目途は立たないのに。膨大な量の処理水、一体どうするんだろうか。何十年かけて、海に流すしかないのかなはてなマーク荒唐無稽な根本的解決は、地球の深部に封入することでしょうか。しかしまた、資源の無い日本に理想的・贅沢な選択肢はないのが現実だよという、両論併記になるのかなはてなマーク

 

問題の所在について、はじめは、先程、原付やバイクの話もしましたが、人ひとり・ふたりの普段の移動手段としてみたとき、2000ccの排気量で150馬力のエンジンを稼働して1.5トンの自動車を転がす必要があるのかな!? という見方でした。熱を出すエネルギー消費に贅沢しすぎだよと。むしろ、狭い道も多い日本、1トンに満たない660ccの軽自動車に、既存の技術のうえに、まだ有用なポテンシャルが十分あるんじゃないか? なんて、勝手に思っていたものでした。しばらく前に、日本には軽自動車が不可欠だ、という趣旨のCM流してましたね。趣旨のよくわかるものでした。地方で道路の交通を見てますと、大半を軽自動車が占めてますね。農家に軽トラは必須ですね。それって、そんなにおかしな考えでしょうか。軽自動車は、狭い道や駐車場でも取り回しも楽で、税を含めた維持費が安い点からも、皆がEV買うお金持ってないよと、家計の苦しい日本に不可欠ですね。高速道路を使う頻度が多ければ、時速100キロ前後の加減速性能は大事でしょうけれど、一般道は時速40~60キロ以下で流れていて、やんちゃに走らなければ、動力性能はそれで充分ですね。でも、知恵を絞れば、EVなら我慢せずとも、温暖化対策と両立しつつガソリン車を動力性能面でも凌ぐ未来があるよ、なんですかね。現在のEV車、バッテリーの分だけ約数百キロ重くなり、その分道や橋も傷める見方もあるようで。キョロキョロ

 

このところのEV台頭の流れは、環境に優しい顔(建前)をしつつ、その主な理由(本音)はほかにあって、鉄道はとっくに電化した。スマホも掃除機も充電式で、次は車の番です、ということかな?ですね。低燃費ハイブリッド車は過渡期の存在、その設計・生産技術を追いかける労力のリソースを、EVにシフトする方に注力にした方が、車単体でのゼロ・エミッション化は実現しますし、美味しいなと、そこに新たなビジネスチャンスが産まれる世界的レギュレーション変更ゲームチェンジが起きているということかなはてなマーク

 

車の製造を、補器類が多く複雑・ヘビーで、そのための大掛かりな工作機械・生産設備を要し、排ガス規制のクリアが課題の、高度なノウハウの蓄積が必要な内燃機関(エンジン)から脱却して、車体・電気モーター・自動運転を仕込んだコンビュータ・電池といった構成部品のアセンブリで造れば、既存自動車メーカーの持つ、内燃機関に係るノウハウ蓄積を丸ごとスルー出来、新規参入しやすいなと。それは、日本から、家電は消えた。あとは、車だけと、日本潰しの見方も出来る余地がありそうで?キョロキョロそれは、日本という国自身が、家電やスマホのように、こうしたシフトチェンジに柔軟にいち早く対応する身軽さに欠け、官民共に鈍重で後手を踏むという体質がアキレス腱の話で、日本だけが世界の中で独自のエネルギー政策を取るのもリスクですし、それにもう、投資資力も苦しい。それで、国産車メーカー、血相変えて焦る構図かなはてなマークと、これを書きながら、思ったもんでした。

 

今時のガソリン車、かなり高度に、排気ガスはクリーンですね。車を車検に通した後の検査結果を見れば、排気ガス中の窒素酸化物、何ppmと測定値が書き込まれてますが、極小値にみえます。ただし、燃焼する以上、熱と二酸化炭素は出ますね。ここのところが、今回のテーマの味噌でした。 地球温暖化抑制・大気浄化のためにEV化を推進しようというんでしたら、そのための電気を作る、世界中の火力発電所の熱と排気(CO2)は仕方なく!!、せめて、煤煙を、車の排出ガスよりクリーンにしないことには、見かけ倒しの滑稽な話になります。しかし、欧州の将来のガソリン・ディーゼル車規制は、地球温暖化抑制が大義名分か?のように見える余地もありますよね。キョロキョロ

 

かつて、1970年代にテレビで、世界の石油の残存量は、あと30年分だと、つまり当時から見て、西暦2000年代には、このままのペースで消費したら枯渇するよというCMが、盛んに流れていたのを思い出します。あれの言いだしっべは、たしか、欧米の御用学者組織(ローマクラブ)だったよと、矢島欽次 さんの著書で読んだ記憶がありました。さて、今、2020年を過ぎて、石油があと何年分しか残ってないよ~と、言ってるでしょうか。んで、原油価格高騰を招いて、誰が儲かったのかというと、石油資本?でしょうか。科学者が科学的未来予測をしたからと、直ちにそれを鵜呑みにするのは考え物!?な場合もあるよという事例でした。今では、AIの御託宣だから公正で正しいよと、鵜呑みにしない用心もいるのかな?

 

核燃料って、どこで産出して、どこから輸入して、誰が潤って、発電所建設維持と事故を予防した安全な搬送にどれだけコストがかかって、原油にエネルギー換算したら、原油1バレルあたりのエネルギー、いくら札束するの~?ですね。で、どうやって捨てるのキョロキョロ 何やら利権が絡んでそうかもですね。?

 

(6)燃料電池車ってどうなった?

次世代のエネルギーシステムは、もう完成しているのに、既得権益を失いたくない勢力のせいで、公にできないでいるという都市伝説も聞いたことはありました。それは置いといて、燃料電池車(FCV)って、既に開発済でしたねはてなマーク それなら、家庭で自家発電するのにも良さそうで、適当な規模の水素発電所適宜作ったらにいいのにと思うのは、私だけでしょうかはてなマークこれは、ブルー水素製造過程で二酸化酸素処理が付随する為、それを含めた、他の発電方式との、やり易さ・コスト比較等が優劣を決めそうなのかな?ですね。これも、アンクリアな原子力より、余程良いのになと思えますが、如何でしょうか。とはいうものの、世界の潮流にうまく乗って勝ち組に付きたい、孤児にならない賢明な選択がいるのでしょうかね。FCV、水素供給の無いところへは売れませんから。若し、社会資本として水素インフラ整備が必要でも、それは自動車メーカーの守備範囲ではなさそうですしね。でももう時間の猶予はなくて、日本は受け身で、趨勢を見つつ何でもありで対応するしかなさそうで。全方位戦略 対 EV一本足打法、みたいですわね。

 

と、ここまで話が来ますと、選択肢のひとつの「水素発電所とEVのセット」は、いいだろう。EVなら、良い電池さえあれば!?、あとは電気モーターで走るんだから、というのは見えますね。個々の車に水素と水素エンジン積まなくても電池さえ積んどけば、水素の流通・供給スタンド普及のインフラ整備も要らない代わりに、充電スタンドがあればいいからと。でも実際のところ発電は、火力等複数の方法の選択肢のあるところで別途やるから、個々の車の側で、電気を作るところまで、やらなくていいよ~かなはてなマーク

 

他方、リチウムやコバルト等バッテリーの原材料となる希少金属、その環境汚染性と共に、資源埋蔵量は、今後目指す世界のEV化にはとても足りないかもしれず、その点「燃料電池」の本来の意味?、つまり、電気を、水素という形で蓄えて車載し、電気に変換しつつ走る、これが、EVよりFCVが根本的に勝る点なのかもしれませんね。

 

FCV(燃料電池車)だと、それを製品化出来たメーカーだけが優位に立つのが面白くないという、その他大勢がいることになるのは想像に難くないことで、自動車メーカー、技術開発で勝つだけでなく、昔のVHSビデオみたいに、戦略でも多数派工作して勝たないことにはメジャーにはなれない、ということですかね。

 

世界の事象を大局的に観るとき、誰が儲かったのかを見ることは大事ですね。このゲームチェンジで潤いそうなのは何処で、貧乏くじを引きそうなのが何処かですね。

 

ただ、車も家電も、元はあちらの発明だったことは、奢ることなく覚えておきたいことですね。

 

文系・科(化)学ド素人の観点からは、そんなにCO2を目の敵にするんなら、いっそ、CO2、炭素と酸素に電気分解したら~?(爆)ハートのバルーン花火

 

植物クローバー、光エネルギー晴れから栄養分を得る光合成🍃をしたり CO2を酸素に変える仕組みが備わっていますね。その機序、人工的に安価に出来ないのかなキョロキョロ

 

 

日本経済新聞や業界紙にもロクに目を通してない情報弱者が、不遜に大層なことを書きまして、大変おそれいりました。

 

民族資本の雄、トヨタをはじめ、国産各社、頑張ってほしいところです。内閣コケてもどうということはなくとも、トヨタがコケたら日本はエライことですね。

 

お花

 

(7)戦争の大義名分に10対0の正義は稀だが…

第三次世界大戦に繋がりかねない戦争がはじまって終わりの出口がみえない泥沼、あえて一概に、どちらが完全に善で、どちらが完全に悪かという国対国という枠組みの、白と黒な100対0の二元論的見方は、しないでいます。例えば、車の事故の過失割合が、10対0というのが稀なように、ロ〇ア側にも、追い詰められた被害者意識は多少はある可能性を思うのでした。〇側(ウ〇ライナ側)にも、〇側(ロ〇ア側)にも、双方に、良い人も、悪い人もいる筈で。何が真実なのか、ニュース見ていてもわかりにくい、そして、A国ならA国の、支配者と大衆の、国単位の十把ひとからげで捉えるのでなく、当事国の、大衆と為政者とは、分けて考えないとよろしくない。誰が戦死していくのか、誰が被害を被るのか、誰が儲って潤うのか、決して人だけではない、そこには、動物も、植物も、自然=地球という観点で痛めつけられているわけで、これらは国対国で観たのでは見落としがちです。ク〇ミアをめぐるこの8~9年の経緯もありますね。他方、ロ〇アは、民主国家とは言えそうにない。ク〇ミアの地中海に出られる港(不凍港?)は欲しかったのかと考えますと、侵略的な匂いは濃いのかもしれないが、だからといって、彼の国の将兵・国民もまた、かけがえのない人の命に違いなく、まとめて死んでくださいではないですね。皆、悲しむ家族がいるんです。

 

表向きは、ゴル〇チョフ〇連大統領が、〇連崩壊・ベ〇リンの壁崩壊をやって、N〇TOと対峙したワ〇シャワ条約機構は消えたのに、なんで今頃、ウクライナのN〇TO加盟を突き付けられて、ロ〇アは窮鼠猫を噛む的な追い込まれ方をしているのかな? N〇TOありきの安全保障体制は、冷戦から見る限りもう旧い筈なのに、違うようで? あの地域で過去に起きた出来事で、過去の危うい記憶によりますが、たまたまひとつ覚えていることは、〇連崩壊時に、旧〇連領各地に核ミサイル基地があって、ウ〇ライナにもそれはあったが、それは、ウ〇ライナのものにはならなくて、ロ〇アが、核を返してくれと言った。悪いようにはしないからと。歴史的に紐解いて、ウ〇ライナ地域が、長らく、ロ〇アに侵略され併合されていた地域だったとみるのか、違うのか、領土争いというのは、どの時代の状態を是として価値観のウエイトを置くのかで、微妙に見方が変わってしまう。歴史的経緯にてらして、どの時代の状態が公正だよという客観的根拠も要りそうで、そこには先住民の御魂の想いもある。ただ、殺し合いは、すぐにでも止めたいことは自明の理で…、おやっと思って気にしたのは、2022年春、〇本からのウ〇ライナ向けの援助物資を積んだ飛行機が、イ〇ドで足留めされたことでした。西でも東でもない非〇諸国は、この紛争をどうみているのか、イ〇ドと、それから、ト〇コの出方が地政学的に見て重要なのかなと。それとどうも経済戦争の趣もあるものですね。ロ〇アは、金融制裁に対して、金本位制の復活をほのめかして西側を刺激してましたから。資源を持っている国は強いですね。

 

神仏・神霊からみた立場からですと、人と人との戦争を、神霊おばけくんや、過去から今までの兵士や犠牲者の魂、追われた先住民の御魂、迷惑している動植物三毛猫、自然・地球地球・宇宙星空は、どうみているのかなはてなマークという観点からの洞察は要りそうですが、どうしたもんですかねはてなマーク

 

(8)利己か利他かのバロメーター

神仏神社は、時と場合により、いろいろな側面を見せる場合があるものかなと思います。人が悪いことを進めようとしたら、いい顔はしないというか、怒りますよね。たとえば、地蔵菩薩様が閻魔大王様でもあるように。大日如来様の化身の、不動明王様も、憤怒の形相の御姿でお見えですね。人間が、エゴ(利己心)で生きているか、エコ(利他の心)で生きているか、人は、その両方の要素を併せて備わっているけれど、それを示す人々の心の中のバランス・メーターの針は、利己の度合い・利他度合いの各々、どの辺を指しているのか。「共存共栄で調和して、みんな仲良く栄えようね・助けあって、生きとし生けるもの、みんな仲良くね」という和合を、募金したり、和顔施などして心掛けている人と、我欲から、ジャイアンみたいに「俺のものは、俺のもの」「お前のものも、俺のもの」とか「戦争(陣取り合戦 )」を、力による現状変更(弱肉強食)で攻め取り、それを既成事実化して追認させ、文句を言わせない、その間に苦しんだりお亡くなりになられた人や生き物や自然・地球のことなんて、知ったこっちゃない!!というのを、神仏はどう見ているのか?ですね。国境線は、人間が都合で勝手に引いたもので、神仏や動植物、細菌、そして地球地球の知ったことではないですね。若し、地球の神地球地神がおられたら、こうした人類の行いを、なんと評するのかな。

 

ここであえて、動植物と言いましたが、例えば、戦時中、日本から戦地へと連れていかれた軍馬馬・軍用犬犬は、1頭たりとも生きて日本に帰ることはなかったと聞き及んでおりますね。おばけくん 馬や犬にしてみれば、酷い話ですね。

 

人が、どんな我欲の突っ張った利己なことを企てても、いつも味方してくれるのが神仏なんでしょうかはてなマークんなわけないですよね?!

 

神社に行くと、神様と、動植物さんたちや、虫さんや、お池の鯉さんや、土や岩や池や川が水、つまり自然が調和しているのを見て、こうしたことを思い巡らせたもんでした。神社地球

 

なお、水に関しては、空気もそうですが、牛さん豚さん鶏さんの話を進めた中で、言い遅れた大きな、生きとし生けるものが生息し続けるための、地球上の要素の大きなものでした。龍神様龍は、水の神様でした。(地震の震は雨に辰)

 

ノストラダムスの終末予言に関して、五島勉氏は、様々な仮説を立ててみえましたが、そのひとつには、彗星激突説があった記憶ですね。彗星は、他の太陽系惑星と違って、極端な超楕円軌道であることが多く、公転周期が長くて、まだ、人類の知らないものが多々あってもおかしくないことと、その組成は、その殆どが氷アセアセであろうこと。ノアの備えた大洪水の引き金は、温暖化によるものだけとは限らず、彗星星空から大量の水がやってくる可能性も書かれていたように記憶しています。龍アセアセ まっ、真偽の程わかりませんけど。

 

鳥居

 

(9)経済的損得抜きで、人類に何が出来得るのか?

宇宙にみえる高級神霊様方は、どう見ておられるのでしょう。自浄不能なら介入して抜本的な人口削減を実践したほうがいいのかなと言う立場もあるのかなはてなマーク人間は、他の命・自然を蔑ろにしつつ増殖、80億人、2000年前からみたら、いったい人類は何倍に増殖したの? 協調しつつ人口を自ら徐々に漸減ペクトルにのせることや、「二酸化炭素の削減」へと、話をすり替えるのでなく、地球上の熱源・熱量を減らす努力をすること、二酸化炭素を吸収し、酸素を供給する植物・森林・自然(神?)を大事にする、生きとし生けるもの全体のバランスの取れた繁栄を目指す要素は大事でしょうか。ほかには、飲料水確保と大規模な砂漠の緑化の為、海水を真水に浄水する機器・設備の安価な普及が望まれるところでしょうかね。ほかには、中東からの石油を下した後の空船のタンカーに、真水を積んで往復するとか。

 

それは、例えば、小手先の対症療法でも、人が平地に住んで、野生動物について、森林のある山で暮らせという棲み分けをしようというんならですが、忌避剤や緩い電気を流した電気柵を設けて棲み分けして混在トラブルを防止するとか、餌の不足の供給や、絶滅危惧種の保護・個体数維持に寄与する方向へと向かうこと、そして、アマゾンに代表される熱帯密林地帯で、都市化による森林破壊や焼き畑農業を止め、緑化維持・推進していくこと、等を、拙いながらも思いましたもんでした。

 

とはいうものの、経済に直ちに利を産まない取組は、今の世界のトップが率先してするわけはなさそうですねはてなマーク

ただ、利を産むことに価値を見出している人達であっても、自国民を裕福にする国益増進というのは、間違いではないという見方もあって、そこが、利己か利他かの匙加減でモヤモヤするところですね。「国益」、他国も自国も共に栄えようという概念とは微妙にズレてます。どっちもバランス良く立てる配慮がないと共存共栄・建設的でない。そこを、絶えず競争して蹴落とし合いをしなければ、人類は進歩できないのかな!?龍 これは、核兵器や遺伝子技術、AI等、自然科学技術の急激な発達と相対的に、倫理を含む社会・人文科学分野の未発達のアンバランスさが酷く拡大する一途で、今の人類の知恵では扱いきれないテクノロジーを持つに至ったという危うさですかね。そして、富の偏在も現状では解決できてない。

 

(10)結びの雑感

昔から、不思議に違和感のあることは何かと言いますと、日本、GDP(昔はGNP)は、世界有数の上位にあって、世界最大の債権国にもなってきたのに、それにしては如何にも国民の生活水準が貧しくて釣り合わないまま来たことですね。豊かさの享受、幸福度の国際ランキングでは、ベスト20どころか、今見ても、50位台にありますね。そして、ベスト20を占めているのは、欧州とその系譜の国々かな? 敗戦国の日本人って、労働生産性の低い構造の中で?、日々、せっせと真面目に働いても、豊かに暮らしてはいけない掟でもあるのかなはてなマークショボーン ODA お裾分けの精神は弥栄に大事だけど 身の丈相応? そして、働くことが美徳という価値観が、ともすれば、曲解され嫌われる要素でもあったようで。長時間残業やブルーカラー軽視など、人を粗末にしがちな空気ですね。プンプン 労働は奴隷に由来する苦行(ワーク)? 対して、日本の神(アマテラスさま)は、普段から機織りして働いておられるそうで?  はた(端)らく(楽)にするために。うずまき

なんにしても、いろんなバランスを取りつつ、広く世界に遍く恩恵の行き渡る、みんなにとって良い未来を招来して欲しいものです。もともと、空気の組成には二酸化炭素があったもので、ゼロにはできないし、すべきものでもない。(若しゼロにしたら、植物が生きていけない。)二酸化炭素云々以前に、若し本当に温暖化しつつあるなら??その原因は、人類の出した「熱」そのものというのは単純な話です。(戦争や核実験で、しこたまを出した歴史もありましたね。)さて、何が真実で、ベターな道なのかなキョロキョロ? 

 

以上、今回は、地球は、誰かのものではないよ、人間だけのものでもないよ、みんなが繁栄を享受しつつ、併せて、どう未来に、物質的・精神的に良い状態の地球地球を残すのか!?と思案する、二酸化炭素と地球温暖化に関する主観の入ったお話でした。ネザーランド・ドワーフ

 

情報弱者の拙稿にお付き合いいただき、誠におそれいりました。クローバー

 

 

ここに書きました懸念が、どうぞ、的外れな杞憂でありますように~お願い

 

そろそろ、今日は、この辺でおにぎり 

 

皆様に、感謝と敬意でお願い

 

皆さん ごきげんよう~カエルヒヨコおすましスワン

 

こちらに お越しいただき どうも ありがとうございます。晴れ地球月見

 

 

昭和生まれ世代の若かった20世紀後半の頃に流行ったトレンドのひとつに、「ノストラダムスの大予言」というのがあって、 そのほかにも、当時脚光を浴びた預言者や、その類の文献は、いろいろあったもんでした。そうした一連の文献を時系列的にならべて眺めてみますと、大いなる存在(時空の管理者?)が、我々人類の歴史を刻みながら進む、生き様・あり様に、反省・修正して、未来へと至る際の試練・災厄を、どう回避するかの知恵を知らせていたもののよう?にも思えたりします。地球

 

そこで、それらを丸ごと信じるのかどうかはともかく、ひとつのヒントとして、大いなる存在が、後世の私たちに伝えたくて託した、戒め・期待したものが、一体何だったのか、私たちは、より良い未来に向かって、何を心がけて改善・修正していったらいいのか、主観故の偏りはあっても自分なりに自由に探ってみよう~、というのが、このシリーズの趣旨です。ちょうちょ特に、根拠資料参照などしておらず、思いつくままに書き進めたもので、言うまでもなく、拙い私見に過ぎません。そして、追って修正加筆する場合があります。

 

このシリーズ、こんな荒唐無稽で浮世離れした話、とてもついていけんわー、という向きも、出てこようかとは思いますので、そう思われましたら、どうぞ、早めにスルーされてくださいませ。龍 ここは地の果て拙ブログ、言ってみれば、愚者の私見、便所の落書き」的な戯言かなと捉えていただけますと幸いです。

 

今回は、タイトルにありますとおり、●青い地球は誰のもの シリーズ連載【その2】「食物連鎖・因果応報・終末預言等について」のお話となります。地球

 

 

さて、本題へと入る前ですが、このシリーズ、当初、【その1】から【その4】まで揃っていたところ、その中の【その2】を2024年1月下旬の投稿に投稿日を移そうとして誤って消してしまい、しばらく、止む無く欠番としておりましたもんでした。

当初、投稿したのは2022年10月頃のことで、今となっては、全く同じものを復刻する気力・体力もなく、あぁ、ヤッチまったなぁ~という次第でした。誠に恐れ入ります。カエル

ただ、朧げに覚えております大意は、なんだっけかな?あせると、つらつら改めて下記に書いてみましたところ、概ね、その代替となるものが書けたのかなと【その2】代替版として追ってアップしてみることにしたものです。宜しくご了知くださいませ。三毛猫 ★また、2024年7月に一部追記しています。(赤色)

 

(1)自然界の食物連鎖の理と因果応報・輪廻転生にかかる思索

肉体が新しく生まれ変わる際に、前世を持つ魂が宿って今世での修養をする?という、いわゆる輪廻転生について、考えてまして、次回【その3】の冒頭に書いた、その時代に生きた人々の、人間界のモラルによる解釈?!に起因した古来からの差別と、生き物を殺して食べなくては生きていけないこの世(三次元世界)の理とも言える、自然の生態系維持・食物連鎖と、無用の不殺生をはじめとする道徳、精進料理の意義から観た一概には云々出来そうにない動物猿と植物やしの木の命の重さ軽さの捉え方にかかる思索や、人・生きとし生けるものを、性差や人種・障がい等によって差別したり、虐げて満足していた者が、輪廻転生して再びこの世に生を受けたとき、今度はその、「虐げられる受け手側に回ってみて、味わってみてごらんよー」 かもしれない…という、「因果応報」の法則で動いているのかな? なんてことを思ってみたもんでした。 そう考えて得られた果実(エッセンス)はといいますと、そこには「御相手の立場になって考えてみる」とか「自分がされて嫌なことは相手にもするな(してもらったら嬉しいことを他者にしてみよ)」といった、黄金律に通じる教訓だったのかな?でした。

 

そして、仏教で言う「不殺生」から、全ての生き物は、宇宙、自然地球の管理者(神仏)の采配により、今世での修養のために産まれてきているのだとしたら、それを、人が気まぐれに殺生して、一方的にその天寿を全うする機会を奪うことは、管理者の敷いたシナリオに抵触するのかしら?という疑問を持ったりしたもんでした。

 

◆余談1 上記の考え方から派生して、地球上の生き物には、自然界における生態系の網がかかっていて、大まかには、特定の種が突出して増え過ぎないよう、各々天敵がいる形のところ、人間は、その中で武器を開発して覇者となり、命を脅かすのは、細菌・ウイルスと、加えて、ほかならぬ人間同士!となったのかなということも思います。覇者なりに、食物連鎖を健全に維持しつつ、全ての生きとし生けるものへの配慮もいるものかな?なんていうこと、そして、嫌な展開ではありますが、人口の個体数調整を人間の同士討ちでしなくちゃなんないのかしらびっくり?なんてことにも、思い至るもんでした。そこは、人の知恵の平和利用で、なんとか上手く回避したいもんですね。おにぎり 

 

(2)この世の法と神仏視点での人の罪・刑罰の乖離の有無について

例えば、自らを相手より心理的に一段上に置いて、はなから相手を見下し、過度に不当な圧力をかけて虐め、それを楽しむといった心の荒んだ上席(パワハラ)とか、天下を取るためなら夥しい大量殺戮・生きとし生けるものと その衣食住(つまり、ものを含めた森羅万象)などを貶めることを我欲を満たすために行ったというようなかたちで、特別に、罪=「負のカルマ」を積んだら、前世から持ち越して、次に生まれたときに それを味わう側を体験する定めのかな?とか、その人の一生に生起した数々の出来事を、閻魔大王(閻魔大王様は、一説には地蔵菩薩様の化身?若しくは、時空(過去~未来やあの世とこの世)を司る管理者かな? )は、果たして、トータル(個々の言動・行為を捉えて加点減点の累積)でジャッジされるのか? 例えて言いますと、日々、人等を不快にさせたり損な思いをさせたとか、昆虫てんとうむしを知らずに踏み潰して要らぬ殺生(仏教でいう「十善戒」)をしていたとか?? かような小さな罪を為しつつも、一日一善などで、1点ずつ営々と100点近く徳積みなどして、功罪相半ばする者が、1回、マイナス100点の悪行を為せば、トータルで、多少とも情状酌量・減刑も有り得るよね、なのか、否、善行は問わず、マイナス100点のみをもってアウトと判定される理なのか、そして さらに そこで、前世までの加点減点も加味されるのか、はたまた、極めて重い負のカルマを背負ったら、もう生まれてこられずに、改心するまで記憶を消されず、ずっと地獄に居なさいという罰を受けるのか、(マハカルマ=五島勉著「アマラの法則」より引用)もっと別の観点から、亡くなった時点での思念の有様の境地によるものか? というわけで、それは、人の持つ知恵を遥かに超え、洋の東西を問わず、神仏にしかわからないことかしらん? なんてことを書いた様に思います。

 

上記は、この世の人間の知恵や理屈で下すジャッジとは、別物かもしれないですね。(それは ひとつには、死刑宣告して執行した後に、ありゃ、経緯や事実誤認がありましたとか、価値観の再評価軸がありましたーでは、取り返しのつかない場合もあり、人を反省・改心させるためでなく、見せしめと恨みを晴らすために存在するのかな?と見方も成り立ち得るのかなと。対して、「こんなことしたら こうなる規則でしたでしょ!」という犯罪抑止力や被害者遺族の留飲を下げる、という観点も、理解はできるのですが…。(叱る と 怒る が似て異なるように。)

 

ここで言いたかったことは、この世の法の裁きは、公正を期しても神仏の意思には厳密には沿いきれず、だからといって、現実には外にやりようがなく、実際、間違いではないということになるのかな?と問いたかったことでしょうか。

 

そう考えてみますと、果たして、人が人をジャッジして死刑に処す資格は果たしてあるのかな?  また他方、「ノアの方舟」の事象をも起こし得る権原が神仏には備わっていて、例えば、「あなたは、早く輪廻転生にまわりなさい(つまり、死になさい)」と処されるのかな?とか。生き物の生殺与奪の御役目も、そもそもお持ちなので…。

 

拙者は生身の人間なので、護れる命は護れたらいいなとか、回避できる災厄は、例え人間・凡夫の浅知恵でも、出来れば回避出来たらいいのにな、と、考えたくなります。生きているものは、誰だって、命を取られるのが一番嫌な筈なんで。

 

◆余談2 この世での人の地位と役割について思うこと またここで、話がそれて、派生して思いついたことに、この項ではポンと話が飛びますが、前項で書いた、上席が部下を虐めるバワハラから思うことについて、たまたま、何でもいいのですが、或るドラマや映画を観たとします。それは、脚本(シナリオ)にそって、主役・脇役など、出演者のキャストに俳優・女優さんたちが各々当てられ、その中で、上席役と部下のやりとりが描かれている形だとします。(主役・脇役という見方にも、思うところはありますが、此処では多くは触れません。ただ、主観的に見た、野球でいうと勝利打点みたいな、陰の主役は誰かなとか、または、1人欠けても話が成立しないので、全員が主役とも言えそうとか思ってみたりですね。)

 

ここで、上司も部下も、同じ人間どうしで、肩書の前に 先ず「人」同志であること、そして、各々、人間界での、就職前後のそれまでの足跡・経緯によって評価され その地位に就いていること(上席者には、その役職にふさわしいとの組織の人事に拠っていること)。このことを踏まえて、バワハラ等を行ってくる上役を見たとき、その組織のしきたりでは、彼(彼女)は、その地位に就いているけれども、他方「人」としてみたとき、上役として敬うに足る人格を備えた器か否か、部下を格下と当然に見下ろす、自身を格上の資質と認識する思念の源泉は、一体なんだろうね?と、内心思われても仕方ないケースもあるよーな?!、なんてことを思うもんでした。つまり、権威をかさに着て身の丈以上に偉そうに振る舞う上席者は、かえって下からの信を失い、就業意欲も減殺し、その資質に疑問を抱かれ慕われない、いかにも損な結果を産みはしないか、なんていうことですね。「虎の威を借る狐」トラという諺もありますね。「臆病な犬ほどよく吠える」「人の不幸は蜜の味」とかも言いますね。犬

 

そんなことを思いながら、そのドラマや映画の中で演じておられる御方々をみてますと、その劇中人物を演じるキャスト、その役どころ(役割)をこなす人ということなんだな、それは実社会でもまた然り、という感想を持つものでした。繰り返し反復して観ると気づくこともあったり…。

 

しかし、一方では、その組織で生きていく上での、大げさに言えば、生殺与奪を握られたお相手なので、クビになって路頭に迷うと、養う家族まで困るので、うまく合わせてやっていくしかない、というのが、現実なんでしょうか。そうしますと、場合によっては、部下は、上に対してイエスマンにならざるを得ない立場でもあるのかな?と、今更ながら 思い至るものでした。これは、どの組織もそうだとは流石に言わないものの、巷間言われる、人を粗末にするような意味合いを感じる「ブラック企業」という言葉から、想起したものでした。ことによると、そうしたところは、現代の奴隷を産んでやしないか!と。

 

こうしてみますと、中間管理職という役どころも大変ですね。上からも下からもプレッシャーがあり、労働組合にも入れなかったりしますから。

ま、その階層の利益を護るユニオンがあると良い反面、そこに所属したいかどうかは 個々人が その職域のそうした組織に、何をどの程度期待したいかにも拠るのでしょう。毎月、どの程度の参加費を納めるのかということもありますし。「えっ月1万円?!…そのお金で、子を塾にいれてあげられるな~?」とか、可処分所得との兼合いですね。

 

さて、この構図を、いろんなところに当てはめて観ていきますと、たとえば、A国とB国とが、戦争という名の殺し合い・壊し合いをしている時に、誰の指図によるものかを考慮すれば、敵国勢力全員を短絡して恨むのは、ちと見当違いな場合もあるのかな?とも、思い当たるものでした。

 

普段の世界では、1人殺しても殺人罪に問われるのに、戦争下では、敵兵等を、より多く殺せばそれだけ手柄になる、なんだかなー、ですね。こうした理不尽・不条理を、ひとつひとつ、解消していきたいものかもですね。ただ、背広組も含めて、戦を執行している組織にも中間管理職はいて、上意下達で動きますね。その、上意を決めているトップが、A国B国双方に居て、互いに言い分があるのでしょう。「みんな仲良くね」と 言うばかり也ですね。この、幼稚園で子供さんに教えるような事柄が、大人の事情(ここでは国益?)では、古来未だに出来ずにいる。火中の栗を拾いに行けと指図して、それで潤う向き(漁夫の利 )もいそうで。はた迷惑なんで、生き物や自然地球まで巻き添えにせず「コップの中の嵐」にしてほしい気もします。その意味で「喧嘩両成敗」とは、言い得て妙かもです。

お天道様晴れは、すべて、ご覧になっているのでしょうね。

ただし、これもまた一般論で、時と場合により、例えば、やむなく自衛のため、窮鼠猫を噛むようなケースにまで、須らくこの価値観を充ててでいいものかどうかは別でしょうね。エラく話が飛びました。以下、話の本筋へと戻します。三毛猫ねずみ

 

ノアの方舟

ノアの方舟

 

◆余談3 再臨と輪廻転生は似ているのか否か?

これも、ふと頭をかすめた余談となりますが、輪廻転生というのは、スビリチュアル的には、仏教の教える特色でもあるようですが、(ダライ・ラマ様お願いみたいに 前世は誰でした とか)  もしかすると、キリストの再臨って、輪廻転生の思想を援用しますと、「ああ、そういうことでしたか~」と、スンナリ説明できてしまうんでしょうか? これは、誠に畏れ多いことを申しました。あせる

 

(3)利己と利他の価値観軸と因果応報の理について

さて、話を戻しまして、利己(エゴ)利他(エコ)の心はどんな人にも備わっていて、自己実現など、どちらも要るものの、普段生きていく上での、他に迷惑をかけず、出来れば皆に資する形での落し処を、どう整理したものかな?という趣旨を書いた記憶です。

 

そこから、悪因悪果の連鎖(恨み合い・殺し合い・平穏・安寧の破壊などの繰り返し)から、善因善果の連鎖うずまき(恩送り・恩返しなど、佳いことの繰り返す世の中の有様)を大きな潮流へと、世の中の流れを調整するには、どうしたもんなのかな?、それにはまず、悪因縁の浄化・消除クローバーから考える順序なのかな? でも、いろんな個々の事象・ケース毎にそれに、どう対処したものか考えて見ることも丁寧に考えればスルー出来ないものの、片や、それは、凡夫の思考では、どんなに時間があっても足りないとも言え、それで敢えて汎用に当てはまる、普遍的な果実(エッセンス)を汲み取ろうとしたら、それは一体何だろーな?と。ともすれば、現実世界からは、浮世離れし過ぎかもしれないものの、それは、ひとつには、「生きとし生けるもの、みんな仲良くね?」ではないのかなと、そんなことだったのかな?と思ったりします。そうしていく中で、災禍や戦争などで無念に殺され命を失う人や不幸が多少なりとも減らせやしないかい?というわけです。

 

例えば、第2次世界大戦の悪役のスケープゴートに、かのヒトラーは位置づけられているようですが、確かに、それは従前の常識にてらして至極 正しいのかもしれない。が、そこで今般考えてみたいことは、アドルフ ヒトラーという存在を産み出したのは、第1次大戦後の戦勝国からの、当時のドイツ国家に対する過度の賠償請求など、彼の国・国民の困窮混乱を招来し、ひいては遺恨の連鎖を増幅し得る伏線があった故かもしれないよ?! と、みてみます。 国際法で戦争行為そのものが合法だったにしては、戦敗国を虐げ過ぎず、もっとそこに情け容赦のある、弱肉強食とは違う、なにがしかのノーサイドな精神が発揮されていたなら、若しかして第2次世界大戦は回避出来たか、もっと規模の小さなものに出来得たもしれないのに…と言う風に、起きた事象の背景(因果関係)を遡って紐解き、教訓を見出し、再発防止(遺恨の連鎖の芽を摘むこと)に繋げられたら、というようなことを思います。

若しこの世に人類がいなければ、核戦争は起きない。でも その代わりに、人類の成し得る人や動植物・地球地球の幸せ・衣食住・健康増進・人の知恵による災害回避・未来の希望としての極楽浄土顕現クローバーもなかったんでしょうけれど。すると人類は、どう謙虚に立ち居振る舞うといいのかが、自ずとみえてきそうかもしれないのかなと。

そもそもこの世は魂の修行の場所!?という見方がありますね。「今世では、貴方の克服課題だった、なにがしかが足りなかったね、んじゃ、来世も その修行 続行してね~」なのかもしれませんね?。人生を分相応に緩く楽しむことも、ここでいう修行の守備範囲内でしょうか。でも、そうだとしたら「そんな修行の場(である地球地球)を、その前に、住めなく潰しちゃいけないよ」とも言えそうで。「国破れて山河有り」と言いますが、核兵器使うと、山河まで駄目にしますね。

 

向日葵

 

(4)極楽浄土(次元上昇・アセンション?!)をこの世に持ってくるには

そこまで考えてみますと、若し極楽浄土(次元上昇・アセンション?!)をこの世に持ってくるには、地球丸ごと人心の浄化と善因善果の連鎖を目指すことで、人の持つ要素の「半身半霊」から、もっと霊魂(精神的境地?!)を神仏に近い境地にすべく、例えばヘミシンク フォーカス34-35以上の高度な精神的境地の獲得を目指すほかはないのかな…なんちって、それには、どんな条件整備・地ならしが要るものかなと。(若しここで、霊のみになってしまうとしたら、それは みんな死ね ということになりかねず、そこはやはり、腕をツネってみたら痛いと感じる肉体を持って生きていたいもんですね。)

 

(5)生きとし生けるものがお互いに仲良くしていくのに必要な要素は何か?

そう考えてみますと、生きとし生けるもの、お互いに、仲良くしていくのに必要なことって、一体なんなんでしょう? 感謝・慈悲・愛語・和顔施・寄付 募金・富めるものからそうでないものへの施し(個々が自ら行う富の再分配)・お裾分け…etc など、物心両面での思いやり御相手の身になってより良い状態を考える・融和・協調などが、時に応じ、緩急をいれて適度に繰り出せることになりたいものかなと。それこそは、「言うは易く行うは難し」で、こうした、徳を積む蓄積、自分磨きが拙者も出来ないままでいるんですが、まー「出来もしないことをエラそぅに言うもんじゃないよ!」と言われちまったら、それまでですが。とかげ

ただ、あわせて思うことは、道徳という概念が、特定の宗教教義に付随するものから独立して、理性的道理・普遍的な成り立ちを持つことも大事でしょうか。…必要な人たちへは、ハラル料理なども提供して もてなす配慮があることや、銃のない社会自動販売機等が襲撃されない民度の高い治安国民皆保険制度などは、わが国が世界に誇る美点晴れなのかもですね。

 

(6)「悪魔」と正義な者が不正義を為す者を滅ぼせという思考への疑問

さて、そこで、聖書やノストラダムスの言う終末預言を仮に想定したときに、まず、事象を正義不正義という観点のみで、分けて裁くのでは必ずしも よろしくないのかな?と。それでは、不正義と見做された側が救われないし、(不正義だと見做された側が、組織・団体の場合、粗野な上席者に不本意にも忖度して付き従わざるを得なかった部下・フォロワーも含めて)人心もまた遷ろうもの(諸行無常)で、ひょっとして、明日には、あなたも私も誰もが、よろしくない思念に傾くかもしれないからですね。諸行無常、例えば、「今の自分と、10年・20年前の自分とが、心身共に全くおんなじだよ」なんて人、いるのかな?と考えれば、これは自明の理ですね。ほかには、うまくいってた筈の、当初新鮮味のあった組織経営・運営手法、ふと気が付いてみたら、いつしか制度疲労していてマンネリ化していたね、とか。

 

では、そのほか、どんな尺度が適切かなと考えてみますと、世の中に起きる全ての事象は、➀メリット(利点・利益)➁デメリット(欠点・不利益)を併せて持っている、陰陽・諸刃の剣であると考えれば、より、メリットを活かしながら、併せて、デメリットを極小化する調整を為す、物心両面での自己や他者にとっての利益・不利益という観点・物差しも、なかなか有益かな?と思うものでした。例えば、物事を起こすときに、➀と➁を比較衡量し、がより上回り、が甘受出来得るレベルとなるよう工夫したうえで実施に移す、あるいは不調なら敢えて中止も視野に入れる という考え方ですね。

 

若しかして「そんな思想に永年洗脳されているから、それが現実化して良からぬ未来を招来することになるかもよ」(思っていることは実現するという思想?!)かもしれず、それなら、回避することを課題に置いて注力すればよく、古人曰く「備えあれば憂いなし」「火の用心」と言いますが、懸念に対策を施して安心を得ることで、心配の念をより減らせますね。例えば、海沿いの原発に地震の際の津波の懸念があって心配であれば、対策として消波する防波堤・テトラポット等を、沖に二重三重に設けて安心を得るとか。

 

◆余談4 世の中をジャッジする切口は、必ずしも善悪とか、利他~利己の中庸だけでもないのかもしれず、仮に犯罪や戦争は抑制して規律下に置いても、それで窮屈で息苦しい楽しくない世の中になったんじゃ、やはり神仏は、タオル投げて、「はい、そこで、仕切り直し、その演劇おしまい(中断)。シナリオ書き直し。何のための平和なの? 」かもですね。よい未来は、諸人快楽でありたく「衣食足りて(地球を潰さない地球戦争や自然・生活破壊のない環境下で)、礼節・分別と楽しみ(愉快さや面白味等)を知る」 かな? 数多ある諸々の価値観のうち、どんな価値観に相応のウエイトを置いて、次世界を構築するのかな?ですね。風雨順時 五穀豊饒 万邦共和 諸人快楽 乃至法界平等利益と言いますね。自然が上手くまわり、収穫豊かにし、みんな仲良く 快適に楽しく幸せに暮らせるのがいいのかな

ただし、このステージに行く前提として、人の魂が、犯罪や戦争などを体験することを通して〔修行=自分磨き〕を行う機会がなくてもいい程度にまで、皆、バージョンアップされてないといけないのかな?とは思ったりします。

 

さて、話を戻しまして「『悪魔』という、世の中の悪を一身に背負って固定された存在なんて、普通 なかなか いないよ」「だって、皆、生まれてから今までを振り返って、いつ何時も、一点の曇りもない善人でしたか? と問われて、イエスバイバイと胸をはって言える人なんて、まず居ないでしょ~!」 なんてことを、ぼんやり思ったもんでした。かくいう拙者もまさにその一人です。なにしろ人間だもの。いろいろ、良くも悪くも移ろいます。そしてまた、明日には悪人でも、改心して明後日には善人かもしれない。人や事物に、一概に固定したレッテルを貼って考えないのが良いケースを考慮したいかな。(悪の権化だなと思っていた御仁にも さまざまな顔があって、親しい家族や友人等に見せる顔は、案外、温和かもしれないし)

 

というわけで、「悪魔」というのは、誰の心の中にも、隙あらば知らぬ間に忍び込んでくるし、また、自らの意思(良心)で追い出すことも出来得る為「勝って兜の緒を締めよ」カブトと、常に心の片隅には、良心と自戒の念を置いておきたいものかな~?なんて思ったもんでした。

 

◆余談5 漢字熟語には、愛憎という言葉がありますね。愛の反対側には、憎が対峙するという、光と陰・陰陽・対立概念なのかな?

◆余談6 ガネーシャ神・(聖天様)という、もともとは悪神とみなされていた神様がおみえですが、その来歴・縁起は、関心があれば調べていただくとして、根気よく改心を促したのは、十一面観音様と見聞しています。どうやら、諸行無常は、天部の神にもありそうかな?ですね。そうしますと、ダキニ天様も、やはり、大日如来・大黒天との御縁で、似たようなことかな、なんて思います。

 

(7)救世主と携挙にかかる個人的妄想

誤解を恐れずに、或る観点から述べますと、聖書、全て満足に詳しく読解したことはなく、なので、終わりの時が来て、救世主が来る、という黙示録の呪縛の外に居たい氣もするんですが、2000年程前には、日本やアジア等の多くの地域は、蚊帳の外で、そんな書物も言説も知りませんでした。それで思いますことは、その呪縛から、次の良い世界を持ってくるため、そこに至るブロセスとして、一旦終わりの時を来させたい人たちが若し居るなら、自分たちだけの、コップの中の嵐でやってね、こちらは蚊帳の外で結構、巻き込まないで、なんてことも、思うものですね。(ここで、敢えて、誤解を恐れずという言い方を冠したのは、既に世界・地球地球は一つの運命共同体になっちまったことですね…。(消極的思考だと、戦はせずとも、呉越同舟の方がまだマシなのかとか。ショボーン)

 

◆余談7 終わりの時の前には、広く東方まで福音が届く、それは例えば、西洋(ヘレニズム)文明の顕れである五輪、アジアで開催される頃以降でもあると、昔どこかで読んだ記憶?!です。諸刃の剣の観方を無理やり当てはめてみますと、毎度、都市に大きな負担をかけつつ、短期間のイベントのために大きな施設建設費を必要とする五輪、上手く後年に有益で無理のない施設利用策も込みで計画してデメリットへの十分な手当を併せ持ち、その後に閑古鳥が啼いて施設の維持費がかさむ愚を抑制したいところが、いつも課題になる?ようで。ひとつには拙策かもですが、定番の世界10都市くらいで輪番開催したらいいのに~なんて、個人的には見たりもします。

 

悪魔の解釈ひとつとっても、悪魔と それ以外の善人とに峻別し固定して考えることの 違和感を上に書きましたが、終わりの時にも、救世主が携挙で救ってくれる!?というのも、取り方次第では、ややこしそうで。

 

◆以下、参考ページ👇

 

お話を戻しまして、例えば、自分は不条理に呻吟する弱者を虐げるエゴに傾倒した精神的境地に身を置くものの場合、私も入れて丸ごと救ってくれ~では、なんだか、肝腎の自浄をお任せした依存症と言えなくもないような…

 

なので、他力本願もそれはそれとして、いつ来るのか、己が救ってもらえる範疇なのか判然しないものに期待し待つに、個々人がブチ救世主になってみる、そんな人々が徐々に増えていく趨勢を、高級神霊神社卍♰は微笑みハートのバルーン、人知れず祝福花火してくれるのでないのかな? なんて思います。我こそは、アクティブに救う側にまわるぞぉ~なんで。びっくり

 

いわゆる救世主という言葉・概念が指し示すものは何かな?と考えてみますと、場面やお立場により、諸々、社会貢献の仕方はあるのでしょうが、例えばそのひとつには、「コンビニやスーバー等々、お店に出向く度に、私も、毎回、募金することにしてみよかな~?!💛」と思い至った、他らなぬ貴方!なのかも…なんてことを思ったり…あせる

 

そしてまた、そんな募金を集める側にも相応の責任がありますね。浄財札束コインを、世を良くする有益なことに活かす処や、然るべき募金団体へと渡す役割があるので。出来たら、なかなか困難かもですが、いくら何処にどんな形で使い、それで、こんな成果がありました、若しくは、期待されます。という、ネット上に、会計開示してくださる明朗会計のところが精神衛生上も良く、募金した成果確認も出来て、ベターOKかも。

 

宗教施設もまた、募金箱を併せて設けるのも、一考かもですね。人によっては定期的に通って、ぜひ御参拝しに行きたくなるというものかも~。そういえば、或る寺院にも、用途を示した募金箱、あったっけ~うずまき

 

◆余談8 一般にですが、宗教関係に税優遇の制度があることにも、改めて目を向ける余地もあるのかも?なんてことも思います。と言って、一概に清貧なら良し、というものでもないのでしょうし、より好ましい態様・制度設計の匙加減は、どの辺かな?なんて思ったりします。

 

(8)まとめ 慈悲の瞑想の掲載

というわけで、今回のお話、一言に集約するなら「みんな仲良くね」(和を以て貴しと為すクローバー)というところになんとか収束できましたんで、スリランカの仏僧の著書で読んだ、慈悲の瞑想を載せて、締めといたしたく思います。(いつくしみの瞑想)(出典 A スマナサーラ著 「自分を変える気付きの瞑想法」)ゾウ

 

お稲荷さん

 

五輪真弓 いつも そして いつまでも   至福の世が、永く続きますように~三毛猫ハートのバルーン  

 

デイブ グルーシン 映画「マイ フレンド フォーエバー(邦題)」ファイナル テーマ  

ネタバレですが、片親のうちの子二人が親友になり、その一人はエイズで、一緒に効く薬草を探しに旅に出るという映画のサントラです。

回向有縁無縁一切精霊 合掌お願い

 

伊勢神宮内宮で見た、仲睦まじい御神鶏さん鳥鳥うずまき

 

◆出典:ウィキペディア 「慈悲の瞑想」より

「慈悲の瞑想」の言葉

(日本テーラワーダ仏教協会、上座仏教修道会等で使われている作品)

  • 私は幸せでありますように
  • 私の悩み苦しみがなくなりますように
  • 私の願いごとが叶えられますように
  • 私に悟りの光が現れますように
  • 私は幸せでありますように(3回)

※こころの中で「私は幸せでありますように」と繰り返し念じる。

  • 私の親しい生命が幸せでありますように
  • 私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
  • 私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
  • 私の親しい生命に悟りの光が現れますように
  • 私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

※こころの中で「私の親しい生命が幸せでありますように」と繰り返し念じる。

  • 生きとし生けるものが幸せでありますように
  • 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
  • 生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
  • 生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
  • 生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

※こころの中で「生きとし生けるものが幸せでありますように」と繰り返し念じる。

  • 私の嫌いな生命が幸せでありますように
  • 私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように
  • 私の嫌いな生命の願い事が叶えられますように
  • 私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように
  • 私を嫌っている生命が幸せでありますように
  • 私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように
  • 私を嫌っている生命の願い事が叶えられますように
  • 私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように
  • 生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

今回は、ここまでとなります。オッドアイ猫 冗長で高慢な拙稿に最後までお付き合いいただき、大変おそれいりました。グリーンハーツ

それでは、今日は、そろそろ、この辺で~おにぎり

 

神様・御仏様と 拙文を読んでいただけました皆様に 感謝と敬意でお願い

 

それでは また(*^-^*)  うん しっち (愛染明王御真言)

おん あぼきや べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん

◆上記出典元ページ

みなさま こんにちは(*^^*)

ようこそお越しくださり ありがとうございます。猫

 

 

さて、「青い地球は誰のもの?」地球というテーマ・カテゴリーで、思うところを連載してみよ~かはてなマーク、と、思い立ったものでした。(この記事は、当初2022年10月にあげたものの再掲です。手直し有)

 

●追記

◆2024年3月 個人的に 印象深くて示唆に富むので繰り返し視てます、10年以上過去のNHKドラマ「八日目の蝉」と悪因縁連鎖などについて追記・改題して上げ直しました

◆2024年7月 さらに追記しました。赤文字のところです。

 

なお、普通のモラルからは、「何言ってんだ?この人??」ってことになるのかも? その辺、違和感・御不快な向きは、どうぞスルーの程よろしくです。あせる

 

白髭神社

 

さて、昭和生まれ世代の若かった20世紀後半の頃に流行ったトレンドのひとつ「ノストラダムスの大予言」というのがありました。キョロキョロ そのほかにも当時脚光を浴びた預言者・文献は、いろいろあったものでした。

そうした類の一連の文献を眺めてみますと、大いなる存在が、人類や動植物等の、歴史を刻みながら進む生様・あり様に、よりよく生き、反省すべきは修正して、来るべき未来へと至る際の試練・災厄を、いかに回避するかの知恵を知らせていたもののよう?にも思えたりします。

 

それで、その、大いなる存在)が、そうしてまで、後世の私たちに伝えたくて託した戒め・期待が、何だったのか、改めて思い巡らせてみよう、という趣旨です。ちょうちょ

 

神仏とは、その一面を捉えての大まかな言い方を敢えてしてみますと、この世地球あの世星空とその輪廻転生の仕組みを廻す、管理者黒猫という趣でしょうか。お願い


「青い地球は誰のもの」地球という、富田勲さん作曲の楽曲がありますが、果たして地球は、誰かのものなんでしょうかはてなマーク人間のもの、さらに、その中の誰かの所有物なんでしょうかはてなマーク誰のものでもない、しいて言えば、森羅万象クローバー、地球上の全ての生きとし生けるもの、みんなのものだと思えます。また、別の言い方をしますと、地球は、誰のものでもなくて、ほかならぬ地球地球自身のものなんだろうと思うことにしています。おすましスワン 生きとし生けるものは皆、日月の光の振り注ぐ 母なる大地、地球から派生した付属物なのかもしれませんね

なので、他の生き物、ひいては、自然に存在する諸々の事物と、上手く調和して生きていけたらいいものかなと思います。バイキンくん

 

人間も生き物ねずみ、直近では、猿猿から北京原人などを経て進化した動物かな?と思っています。生命の起源からの枝分かれに思いを馳せれば、すべての生き物・動植物は、遠祖のご先祖様の縁戚といえるのかもしれませんね。龍

 

ただし、猿と人間では、毛皮をまとっているか、汗をかくかなどの、かなり大きな隔たりがあるかな?とも見ています。ただ、厄介なことに、核兵器をこしらえるような、地球上のすべての生き物や事物を破壊し壊滅させる能力と可能性を持ってしまったのも人類だけかな?とも思うところです。おばけくん

 

たしかに、食物連鎖のある中で必要悪として、捕食して他の生き物を食糧・生きる為のエネルギーとしていかなければならないのがこの世の理で、動物であっても争いや縄張り争いは起きるのでしょう。

 

しかし、おそらくですが、他意のない動植物(肉食動物や猛禽類も含めて)は、概ね、おなか一杯になったら、それでもなお、執拗に他の動物に襲い掛かることはせず、遊ぶか、寝てしまうのではないでしょうか。(なので、動物は、富の蓄積ができないのかもしれませんね。)身を守る護身の際は別としてです。言ってみれば そこは無政府状態、人間ほどの理性は備えていませんし。でも、大地震などの災厄の前にはいつのまにか姿をくらましたり、大量の御魚が、岸にうちあげられたりするようですよね。竹に花が咲いたりです。まるで、神仏の意に沿って動いているようにも見えたりします。

 

でも、種の保存のための本能は備えていますね。例えば、食欲・性欲愛欲・睡眠欲・排泄欲等々ですね。鳥は、誰に教えられなくとも、巣で待っているヒナに自らが食べるためでなく、本能的に餌を運んできますね。おすましスワン …夏の炎天下に子供を車の中に閉じ込めたまま、親がパチンコに興じて…という、痛ましい事件報道がかつてあったことなど併せて思い出すものでした。また一方、人間には、親孝行という概念もあったりしますが、そこには、善悪は別として、様々な価値観が並立していそうです。

 

人間だけが、一生掛かっても使い切れないほどの富を手に入れたとしても、なお、金銭欲・所有欲の限りない者もいたりして、欲の皮が突っ張って、究極的には陣取り合戦や主義主張(政治信条・イデオロギーや宗教教義の相違)の対立から、核戦争まで引き起こしかねない、地球から見て厄介な存在になってしまったという見方もできるのではないかな?と思います。

 

そこで、「欲」そのものが、直ちに害悪なのではなく、問題は、他との折り合いのつけ方(公共心)かな。易経では「過ぎたるは なお及ばざるが如し」(大過)と言いますが、過激か程々に穏健かという程度問題という視点もあり、そう目くじらたてて極端に捉える必要はないのかもしれません。牛大過は、何事も、0か100かの両極端でなく、ケースバイケースにて、丁度よい頃合いがあるよと言ってそうですね。(100度は煮沸にはいいが、お風呂入るには40度、飲み物には60度がいいよという風に、適温はいろいろです。)


こうしてみますと、大枠では人間は動物の一種とみることが出来るとしても、細かく見れば、動物と異質な要素は持っているとも言えそうですね。理性の発達と引き換えに、本能や直観力が衰えたかのような。聴力、嗅覚などもですね。カエル

例えば、山に生息している動物、猿や鹿等が、平地の人里に住む人間と棲み分けるなら、電気・忌避柵を設けたり、また餌に困っているようなら、何らかの形でエサを「共存共栄」の意図から、思いやり予算を組んで供給することが出来得るのも人間ならではの特質、とも思えます猿やぎ座

さて、その意味で、さしずめ、地球から見た人類は、その振る舞い方如何によってはがん細胞か細菌・ウイルスバイキンくんのような厄介な存在かもしれないのかなはてなマークおばけくん人もまた諸刃の剣。玉石混淆です。

 

細菌類バイキンくんもまた大切なこの世の生き物ですね。常在菌乳酸菌のような有益な存在を考えれば、直ちに細菌類や微生物全般を直ちに害悪と固定して捉え、撲滅すべきものでもないですね。はてなマーク他方、戦前の台湾、まず、衛生状態を改善することから近代化に着手したとも見聞しています。諸刃の剣を見据えての是々非々なんでしょうか。

 

 

すべての事象は諸刃の剣処し方により益(メリット)にも不利益(デメリット)にもなりえるもので、陰と陽で一対てんびん座なのかもしれません。

 

以下もまた、あくまで個人的想いの域を出ないのですが、新型コ〇ナウィルスバイキンくんという日本語命名にも、おやっと思ったところです。新型というからには旧型があったはずで、従前のコ〇ナウィルスといえば、今までの風邪症状を引き起こすウィルスのことでしょうか。または無害とか。

 

コロナの語源は太陽表面晴れの活動?による、あたかも炎のようにも見える核融合・核分裂反応の吹き上がる有様を(フレア)描写してウイルスの姿を模したもので、従来、風邪の特効薬というものは存在せず、もし風邪に効く薬が出来たら、それはノーベル賞ものだと若い頃見聞した記憶があります。

 

これまでの巷にある風邪薬薬は、みな風邪に伴う諸症状の緩和という対症療法的効果を意図したもので、根本的治癒は自己免疫に依拠していたのではないかとみてました。あ、そう言えば、インフルエンザには特効薬ありましたね。その後コ〇ナにも出来てました。感染対策として、マスクは推奨されても、その紫外線滅菌はなぜか普及しませんでした。


なお、コ〇ナから連想する物事はといいますと、戦後に存在した国産自家用車名と、社名が たまたま被って、不本意なことに、石油ファンヒーターなどを取扱うメーカー名などが思い当たり、ほかには、コロニー(植民地)も連想されるもんでした。

 

そして、巻貝の形を模した菓子パンに、コロネというのもありましたね。これは、かなり以前に見たNHKドラマ「八日目の蝉」から気が付いたものでした。巻貝というと、アンモナイト・カタツムリも思い出します。渦巻状の こんな感じでうずまき中心から外へと無限に膨張・拡散していく様を描くような。123456789…ひふみよいむなやこともちろらね…神道祝詞 天の数歌さらに思い出す。

 

蛇足ですが、音写の連想では、コ〇ナ⇒567⇒56憶7千万年(人口)⇒弥勒菩薩お願い⇒369 なんてなことでした。外には、ウランも567で、576⇒意宣り⇒祈り⇒稲荷 神とは、示す辺に申(もうす・モーセ・さる)と書きます。申(36)の神というと、日本では、猿田彦神様を思い出しますね。大柄な体格で、鼻が天狗のように高かったんだそうで。鼻という漢字、艸の上に田があって(十字)上に白が載っています。白は日の上に点ですね、さらに上に横棒を引くと、百(もも)となります。猿田彦様というのは、謎の神(一説には、キリストと言う人もいました。〈比良夫貝に噛まれて崩御 どうやら、ヒラフガイ⇒ヘブライ??の女性?に何かされた?〉白髭の神ともされています。神ならぬ髪は長い友達と書きますが、太陽などの天神と、地球などの地の自然(地神)に恵まれても、それを自覚して永い友達しとて仲良くしていかないと、いかがなものかな?という意味にとっています。666は獣の数とされているのが謎とのことですが、共通点は、どちらも生き物で、毛が生えていることですかね。

 

易では、巳ヘビ・午馬・未羊 方角では時計盤の示す5・6・7、南方面ですね。12進法の時計盤では、丁度半ば(ミッドウェイ)を示します。(太平洋戦争での攻守反転機会がミッドウェイ海戦でしたが、1942年6月5日前後でなかったかな)。1+9+4+2=7で、765がみえますね。暗号解読キーはAF(音波?!)でした。 さて、5-7月は、火星人には空亡・天中殺を示します。5-7月が過ぎ去ると、8月、申月がやってきます。さて、567を平らに平均したら666かな。麻雀(マジョーン)では、567は平和(ピンフ)、666は暗刻(アンコ)を示します。図形的には、緩やかな右肩上がりか、または、横ばいを象意します。概ね安定した良い意味にも取れますね。良いに屋根が付くと食です。家族揃って笑って食を団欒するには、衣食住が揃うのがいいみたいで。「笑う門には福来る」で、これらが揃った一門は、ソロモン ブラザースかな?

 

蛇足が長くなりましたが、一方で、株価・信用膨張は、青天井で永遠の右肩上がりとはいきません。いつかリセットされることにはなりそうで、株価に関しては、庶民には株価は乱高下(シェルテ ナギャルド)してほしくないものかもしれないですね。諸行無常かな。サーモスタット掛けたいもんですかね。艮(丑寅、つまり鬼門)の上に点が付くと良しです。王の上に点で主。将棋は、王将と玉将が対峙しますね。なお8月・申月は裏鬼門です。蛇足ついでに書いてみました。

 

コロニー、歴史上のかつて存在した植民地、宗主国が彼の地の民や土地を、経済的奴隷にするものだったとみることができたのかなと。それは、不当に安い賃金で人を有無を言わせずコキ使うような雇用形態があるのだしたら、現代にもある種の奴隷がいやしないか?という見方にも繋がります。例えば過度に精神的・肉体的自由が奪われているような場合かな?

 

四郷 吉田神社

 

余談(後日追記 「八日目の蝉」からの気づき) 

上で触れました 角田光代さん原作、映画化もされた、過去のNHKドラマ「八日目の蝉」(全6話 檀れいさん主演)これ、DVDを当時買って持っておりまして、それで今でも飽きずに繰り返し 見てしまうんでした。あせる

 

ここから、多少ネタバレですが、これは、主人公が不倫で命を身籠り、処置して以後、妊娠不能となり…というところから、「伽藍洞(がらんどう)」と罵られる一悶着の末、衝動で その奥さんの生後間もない赤ちゃんぐすんを誘拐してひたすら逃亡・育てながら隠れて生きる…七歳になっても小学校入学は無理、一貫して会う人 皆に、決して言えない重い秘密を抱え 延々と苦しい嘘の上塗りを重ねて過ごさないといけない その後ショボーン (大昔は七歳位までの乳幼児は死亡率が高く、あの世とこの世の中間にいる存在と見たとか)。

 

男女の性差・貧富など、様々な社会問題への問いを含んだお話で、敢えて一言で言うなら「悪因縁の連鎖」、相手の家庭を壊して不幸にしてまで既婚者との幸せな結婚を目指すという向こう見ずな行いさえしなければ、こんな辛いその後はなかったのに~えーんという、個人的感想なものでした。(水子供養はしたの?) 結婚しようと騙し浮気した男性も、刹那の楽しみのつまみ食い、あーあ。そして、産みの親ではなくとも、純粋な母子愛ハートのバルーンを描く。えーん

 

結婚という社会ルール、以後、自由恋愛はしませんという誓い。破ると こんな破目に遭う恐れもあるよと。びっくり…覆水盆に返らずアセアセ この古来のルール、少しは各人の思いを遂げる方向のモラル更新の条件整備の余地は如何に? …微妙!? それは慎重でないと、子は両親の仲睦まじい後姿を観て安心して育つ節もあり、不倫の世襲が起きるのも決して偶然ではなく、愛の冷えた家庭で外に心をうめる要素を求めたかな、このお話の深遠な問題提起かな。

 

登場人物が「悲しく辛い過去~現在」の想いの丈を絶叫・号泣する場面が頻発する激しい情緒展開の印象深いものでした。これもまた、自業自得蒔いた種(カルマ=業)は自分で刈り取るという、その人(魂)に課された今世での魂の修養なのかな?なんて…オッドアイ猫

 

「八日目の蝉」と言うタイトル、これ、蝉さんの命は地上で、たった7日だけの儚さ、しかし、他の蝉より、1日だけ長く生きた蝉がいたら?という意味だったんでしょうか。蝉さんは幼虫で、地中で7年(17年の蝉も居ます)を過ごし抜け殻を残して成虫に脱皮し、おひさま晴れと樹やしの木くもりの下で7日間精一杯啼く。蝉さんもまた生き物、肉体に魂おばけくんが宿っていて短い生を全うしようと懸命に生きているのかな。(そぅ考えると、蝉取りなんてしたくない) ミンミンゼミ、ヒグラシ、アブラゼミ等それぞれに啼き方があってピリピリ子供のころ、木やしの木に蝉さんが居て、近づくとピッとオシッコひっかけられあせるサッと飛び去る肩透かしにあった記憶がありました。田舎で育って良かったナ~クローバー

 

蝉のおしっこ 

 

ここで、おバカな拙者、思ったことは、劇中の女の子も仰ってましたが、1匹だけじゃなくて、蝉さんたち、みんながワイワイ愉快に八日目まで生きれたらいいのに。つまり、8/7倍の長寿化、翻って人の天寿の若干延長・健康寿命維持も、そんな近未来が来るといいのにな~、でした。おいで。優しいこの子ハートのバルーンに教えられ、セミさんの抜殻を拾うようになりました。お願い蝉さん、土の中で雌伏の時を過ごし、地上に出て、羽化で天使の羽を得て空を翔ぶのかな?

    

西洋の天地創造神話では、神様が、1日目~6日目までで天地や生き物(動植物や人など)をこしらえ、7日目には それを祝福して1日休んだ(安息日の由来+1週間は 月日と五行の7日)という云い伝えです。では、次週八日目以降、神様はどうなさったんでしょうか? 時には天使を差し向けたりしているのかな?8八は、横に倒すと∞=永遠・末広がりという意味も潜んでいますね。⇒永遠の子孫繁栄?うずまき

 

ちょっと、既存の知識から考えてみました。

1は、0⇒1、無から有への宇宙開闢 2は、昼と夜といった陰陽の発生 つまり太陽と地球 3は木、植物発生(トゥリー)又は月の付随 4は、獣(でも数字は三角形で、四という字の中も3つの部屋ですね) 5は、人の指の数・五芒星(大は五芒星) 6は セックス又は靴下又は亀 コンドームと珍宝?水は六芒星?  7は ヘブン(極楽浄土)氷は七望星 光も7芒星 酒池肉林は6~7程度の精神境地かな? 8は、エイっと気合か米、八芒星、ユニオンジャック、第八識(アラヤ識)、9は ナイン (ホワイトナイト? 野球 又はお釈迦様・潔白 八幡神(888)) 10は、天神 11はゾロ目⇒相似形 龍? 12は、何かな 子の刻⇒123・・・の始まり なんちって 日本では、1(ひ)は火 2(ふ)は風 3は水 4は世 5-8は生死父母? 9-10は 個々の足り 足るを知る かな、と、何の根拠もなく、なんとなく頭を捻ってみました。

 

 日本神話にも神代七代があり、五代目は角のある神、そして美男美女の六代目オモダル・カシコネ神(人神)のあとイザナギ・イザナミ様が七代目、さらに(八代目?)アマテラス晴れ・ツクヨミ月見・スサノオ🌊やしの木ほか多くの御子神様が生誕。753はなごみ・いざなうかな?

アマテラス様とスサノオ様についても個人的感想があり、アマテラス(男神ならアマテル?)様の誓約(子作り)と岩戸隠れ、スサノオ様の乱暴で傷心(身)、今でいう「ひきこもり」になったのかなと。気になるのは、引っ張り出し方で、アメノウズメ様のセミヌード色仕掛けで気を引き、タジカラオ様が力ずく筋肉で引っ張り出し「役割に戻れ!」? メンタルケアそっちのけ。「あーあ、仕方ないわ」と、アマテラス様、生きながら死んだ気持ち諦観(心理的引き籠もりの継続)があったのかもと。男尊女卑で虐待されて怨霊の可能性もあったのかも。

 

対するスサノオ様(祇園精舎・沙羅双樹の牛頭天王と習合!)牛、海🌊木やしの木の神でもあり、幼い頃ぐすんは、亡くなった母(イザナミ)を偲んで泣いてばかりミルクえーん、そして荒んだ心で乱暴を働く乱暴者ムキー(スサノオ⇒スサんだ男or素の♂?)、しかし成長して結婚する頃には日本最初の和歌(数字八8が多く出てくる歌)を詠む温厚な心おねがい、これは腕白な子供から心理的自我の目覚め♡を経て道理・思慮分別を身に着け紳士に脱皮成長したと捉えれば、諸行無常・心も移り変わるという、一概に「乱暴者」という烙印(レッテル)を押して心証を固定してはいけない教訓かも?そして、アマテラス様方と御兄弟なのに、天津神星空ではなく国つ神地球。天(高天原 又は地下)から地上に降りてきたか追い出された、言ってみれば天使or堕天使(エンジェル)みたいな個性?、はたまた降臨?!と。…こんな説、人によってはドヤされそうかなびっくり

 

 

がらんどう…これって若しかして、洞窟のような処を経て進む伽藍・御仏様の居所ということかな?そんな場面がこのドラマの中に描かれていることに、ごく最近、はたと気が付き、罵られた「伽藍洞(堂)」本来の姿!?を見せていたのかな!?と感嘆!!がらんとした伽藍…神社等も然り、人が往来してこその場所?

 

…やたらと長く生きても中身ががらんどう(空っぽ)ではなぁーということも思ったり。命の時間は有限で他人事でなく自身もそうだな、あれまびっくり 人生は生涯かけた思い出づくりの機会、もっと折に触れ、家族ぐすんやペット犬猫などのビデオや写真など、細かく残しておけばよかったかなぁ。なんちってやぎ座それが心豊かな時なら なおさら。

 

矢野顕子さんのアルバム・タイトル曲「ごはんができたよ」おにぎり 今でもよく聴くんですが、歌詞「ごはんができたよーって、かあさんの 叫ぶ声…」若い頃は、ごく当たり前に聞いていた この曲、齢を経て、その意味深さに気付く、それが どんなに有難いことだったのか花火猫カエル 台所で調理している様子や御馳走でなくとも食卓で一緒に食べたときの記録カレーたこ焼き年毎に残しておきたかったなーでした。かに座 

 

主婦業、家事(お掃除・洗濯・お食事の用意や洗い物・裁縫・家計維持・育児などなど)、【生きるエネルギー補給等と住まい等の整頓・浄化、24時間365日無給】そぅ考えますと、大変な役どころ(無給なら奉仕?!)なのかな。なるほどカミさん、山の神と言いますね。そぅ考えても古来の男尊女卑は 何やら変。なにしろ世の全ての人、オギャ~ヒヨコと女性から この世に出て来たんですから。ぐすん

 

子宮は命を宿す御宮神社参道は産道…お葬式とは正反対の、あの世からこの世へのめでたい通路(洞窟)、と言う見方も出来そうで。輪廻転生で、あちらの世界から、そろそろ またこの世に生まれてきたいという時に、魂おばけくんは、どの妊婦(おかあさん)さんがイイかな?とみて、おなかに飛び込んでくるとの俗説を聞いたこともありました。あせる絵馬性(39)は、心を生きると書きますね。

 

大宮神明社・稚児の宮

 

ふと思い浮かんだことですが…、中学・高校なんかの道徳・社会・大学教養課程の社会常識を扱う授業等、または生涯教育の一環で、こうした教訓ものの視聴とセットで自由討論を併せて持つとか、ラジオの「テレホン人生相談」をクラスみんなで聴く、(考課試験必須でなく) なんていうメニューを設けることも、これから社会へ巣立つ生徒さんを育む、転ばぬ先の杖には、なかなかの有益かも。

 

おん きりく ぎゃくうん そわか

 

お話を戻しまして、今はピークを過ぎたコ〇ナのお話でしたね。穏健な終息を願いますが、注意したほうがよさげな問題かな!と、当時 心にひっかかったのは、むしろワ〇チンのほうでした。
 
治験結果がまだ判然としない安全性に保障の無いものを、諸国民?に対し国連の采配で条約に拠って(条約は、国内法規より上位)ひろく接種しようとした。あくまで自己選択で事故が起きても自己責任で、打つ(打たない)メリット・デメリットを自己判断に任せる、⇒それは同調圧力無く是非を的確に判断できる自由と公正な情報提供を伴うのが前提の筈。こうした見方が単なる斜に構えた考え過ぎ・お門違いの杞憂なら、むしろそのほうがずっといいな。そう祈ります。お願い


地球地球にも、生物的な意思が、若しあったら、自然や動植物の弥栄を考慮に入れず増殖した人類という種への警告と、増えすぎた人類の人口削減!を意図した巡り合わせではなかったか?とも想いを巡らすもんでした。若し増え過ぎというなら何に照らして晴れ?食糧?エネルギー?資源?人心?制度疲労?地球温暖化・自然環境破壊?

 

さて、人間以外の(人間といっても、数%の富裕層・支配層と90数%の貧困層・被支配層に分かれますが真顔)細菌類を含む、あらゆる生きとし生けるもの、さらに生き物でなくても、太陽 月、星 雲、雨 地震 雷 山、陸、丘、川、湖、海、石、砂など、ひいては地球自身地球という、自然・森羅万象まで網羅して、誰かを蔑ろにせず遍くみんな仲良くね💛」 という考え方に立ち、昔の子供向け番組の「ウルトラ警備隊」の末席でいたいもんだな~なんて思います。

 

日々の過ごし方は人それぞれですが、その中で日々地道に螺旋階段うずまきをグルグル上がるように、遺恨・悪因縁の連鎖を止めて、恩返し・恩送りの連鎖の継続に潮目🌊うずまきを変えていくことなんでしょうか。タココロネのうずまき螺旋階段、真上に向かう勾配を整える意味かな?

 

それには、生きとし生けるもの・森羅万象についてバランス良く調和して「みんな仲よくね💛」でいいのかな?

日々生きていられるのは、あらゆる産業やサービスに従事・御尽力しておられる自分以外の多様なお方々のおかげであるほか、ご縁のある周囲の人々や動植物うさぎ、すべての生きとし生けるものかに座、神仏、先祖霊、地球地球や宇宙の森羅万象ちょうちょのおかげ様と感謝お願いする気持ちを大切にしたい趣旨で、下記の文言を思い出すようにしています。

とは言っても、なかなか出来ていない自分もおりますが。びっくりあせるネットでこうした書き込みを のほほんとしていられるのも、平穏な環境・プロバイダ契約・光熱水費・スマホ・パソコンを用意できる富札束等、衣食住環境が安堵されてのことでした。

 

 ありがとう(感謝)

 

 いつくしむ(慈悲・慈愛)(愛おしむ)


 うれしい(歓喜)(愛く)

 

 エンジョイ・えがお (諸人快楽)、援助・円満(偏りのないバランス感覚・富・心境)(寄付・募金等の相互供給など)・円滑・笑顔・和顔施


 大らか (広い心・寛容)(繊細さも大事なものの、些細なことにクヨクヨしない)(思いやり)
 

「古人曰く一日一善」皆が日々良い行いを続けたら善因善果が塵も積もれば山となり、よりよい未来への足掛かりになるのかな、なんて思います。チューリップちょうちょ

 

それでは 今回は そろそろ この辺でおにぎりお茶
 
神仏 皆様に 感謝と敬意でお願い どうぞ良い日をお過ごしくださいね。コーヒー生ビール
 
それでは またハートのバルーンカエルネザーランド・ドワーフ
 
 
 
 

城南海「童神~私の宝物~」ドラマ「八日目の蝉」 エンディング テーマやしの木

 

※上記著作権法を考慮し、URLリンクとしました。(ユーチューブ動画)

皆様こんばんは~!猫

 

こちらに、お越しいただき、どうもありがとうございます。

はじめてお見えの方も、どうぞよろしくお願いします。

 

今回は、【青い地球地球は誰のもの?】連載第3回目「生命と魂を考える~牛乳・鶏卵・林檎・蜂蜜の巻」となります。

 

★なお、この記事は、2022年10月に掲載したものの再掲です。2024年7月に捕捉・加筆しています。赤紫色で示しました。

ねこさん

うちのネコさん💛

 

 

普通のモラルからですと、「何言ってんだ?この人??」ってことになるのかなと思います。なので、ちょっと、これはどうも、・・・と思われる方は、適当にリタイアしてくださいね。うずまき

 

文献参照はしないで、頭の中の思考と記憶だけで書き進めていて、書いたことの裏取りなどはしていません。予めご了解くださいませ。猫

 

 

●過去記事

 

 

 

 

昭和生まれ世代の若かった、20世紀後半の頃に流行ったトレンドのひとつに、「ノストラダムスの大予言」というのがあり、キョロキョロ そのほかにも、当時、脚光を浴びた預言者や、その類の文献は、いろいろあったもんでした。

 

そうした、一連の文献を時系列的にならべて眺めてみますと、大いなる存在が、我々人類の歴史を刻みながら進む、生き様・あり様に、反省・修正して、未来へと至る際の試練・災厄を、どう回避するかの知恵を知らせていたもののよう?にも思えたりします。地球

 

そこで、その、大いなる存在が、そうしてまで、後世の私たちに伝えたくて託した、戒め・期待したものが、いったい何だったのか、私たちは、より良い未来に向かって、何を心がけて、改善・修正していったらいいのか、主観故の偏りはあっても自分なり探ってみよう~、というのが、このシリーズの趣旨です。ちょうちょ

 

 

伊勢神宮内宮で撮れたハロ現象写真(2020年6月)

 

 

★さて、第3回はここからです。猫

 

(1)動物を食べたりすることへの日本の歴史的差別について

日本には、時の仏教解釈も関わった、四つ足の(鳥は何故除くのかな?)動物を捌くことを嫌う歴史から、それに絡む、いわゆる差別というものが、歴史的に存在してきた経緯でしたでしょうか? しかし、それを言ったら、日々、肉を牛、ハム豚などを、美味しく食べて生きている、今日の私たち消費者全員が、まさに同質かなと思えます。ややこしいのは、欧米人のような、狩猟民族由来の、(パンも食べる雑食とは言っても) 「我々には、肉食こそが、ちょうど日本人にとっての米食おにぎりみたいなもんなんだよ~」という言い分もありそうで、そうした価値観の人たちから見れば、「日本って、昔から、なんとおかしな差別があるんだはてなマークそれを言ったら、俺たち欧米人はみんな、日本では、差別される側なのかしらんはてなマーク」と、仮に思われたとしても、不思議ではないかもですね。

西洋人と日本人では、腸の長さも違うと聞いたことがありました。穀物・野菜食べて肉を食べない分だけ日本人は腸が長いとか。これ、ホントかいなはてなマーク 牛さんは胃を複数持ってたっけか…

 

 

(2)古代ローマでの飽食

かつて、遠い昔に、古代ローマで飽食を楽しんだ王族など富裕階級の人達は、ご馳走を、美味しくタラフク飲んで食って、そして、満腹になったらゲーゲー吐いて胃から吐き出して腹を空にして、また、飲み食いを続けて楽しんだもんだと、五島勉さんの往年の大予言シリーズで読んだもんでした。みんなが、そんな飽食を享受できたのではなくて、そこには貧富の差どころではない、人権思想の発達前の奴隷制度が当たり前の時代のことで、いうまでもなく、それに供された食べ物もまた、生きた「命の跡」すね。おばけ

対して、現代はどうなんでしょうか。やはり、およそ5%の超富裕層と、95%の被支配層のピラミット構造に維持されようとしていないかな?という見方もあるようですね。 多国籍企業が、国家よりも上に君臨するとか、TPP条約のトリガー条項(苫米地英人さんの著書「TPPが民主主義を破壊する!」によれば、一度付けた条件は、緩む方向へは不可逆で、きつくなる方向にだけ改変される余地があるというルール)などが思い出されるものでした。今では一体どうなっているんでしょうね!? 条約は憲法や国内法より上位にくるので、国家主権が破壊される(例えば、立地した多国籍企業が土壌汚染などの環境問題を起こしたとしても、企業利益が保護される仕組み!?)ので、仮に これが事実だとして、若し、今も是正されていないとしたら、「なんで、こんな不条理がまかりとおるの?」と言う話かな?、ですね!? 制度見直しなどされて、今では、それに気が付かなかった小生の杞憂だったらイイなとは思います。勝ち組と負け組という言葉が流行って久しいですが、著しい貧富など、格差の克服もまた、人類の永遠の課題のひとつでしょうかね?

 

◆ここで余談(加筆事項)

この段落は、上記から派生して思い描いた、あくまで荒唐無稽な未来展望の一仮説について となりますが、若しそれが世界連邦!への布石なんだよというんなら、「実はそれ、既に準備してたのよ~」と言う人々(が若しいたら)へのインフォメーション(動機・必要性、メリット・デメリット整理、勢力・派閥毎の損得の過度な偏在解決(誰かが美味しい思いをして、誰かが貧乏くじを引くというプロセスを経ることが若し不可避なら)の態様・制度設計の練り込みなどなどかな)があって、それに皆が納得して追認したんだっけかな?なんちって…独善的で我田引水なものが勝手に進んでいやしないか?という懸念意識は、過去の歴史推移に鑑みて、有権者(基本的人権・主権在民)として持っていたいものかな?なんておもいますね。その方向(世界連邦的発想)が絶対ダメとまでは烙印を押さなくとも、なら、どんな程度の縛り~緩やかさの態様にしたものか、例えば、世界は一国家で統一政府をこしらえて道州制みたいにするのか?若しくは、EU⇒ユーロみたいに通貨統一程度で既存の各国主権がある程度存続した縛り・まとまり程度にするのか、などなど、いろいろやってみて、都度不具合を体感しつつ、逐次ベターの更新を続けていこうというような覚悟はそこにはあるのか? ひとつには、為替差益・差損という非生産的経済損得が生起する現在への現実の素朴な疑問もあってつらつら思うもんでした。それを何のためにするのか、遍く人々・生きとし生けるもの・地球などの幸せの為であるはずですね。

でもまあ、なんといってもその前提は、東西対立・宗教対立などのモメる要素が払拭された安全・安心な物的・心的環境下で考えるべきことなんだろな、とも思うもんでした。ものには順序があるなら、なにが順当な手順かな?ですね。

 

 

(3)命の尊厳についての考察(犠牲という漢字から)

ここから、牛さんの話になります。犠牲という熟語がありますが、どちらの字も「牛へん」ですね。「牛へん」をとると、「義理に生きよ」とも読めます。さて、漢字って、いつどこで誰が編み出したのものやら、すごいもんですね~。

 

…牛さんは、果たして、人に使役され、食われ、革をとられるのが義理の生き物だと、一体、いつ、どこで、誰が決めて固定された世の中になったんでしょうはてなマーク牛豚鳥うお座 たしかに、牛肉は、栄養価が高くて美味しいんだけど…。

 

高級車車の座席や高級家具の牛革、アルカンターラのような人工皮革で十分なんじゃないかな、と思ったりします。キョロキョロ 

 

連想しますと、食物ではありませんが、真珠は宝石ではないんだけれど、一粒一粒がアコヤ貝の命の犠牲の賜物でしたね。貝塚で、誰かが御霊に感謝・供養おばけしているのかなはてなマーク ほかには、の命おばけくんと引き換えの賜物とも言えそうですね。

日々、当たり前に使い捨てているマスク・ティッシュ・包装紙も、自然由来なら、などの命の跡やしの木です。

コロナ華やかなりしころ、不織布マスクが大量に必要とされましたが、よく考えてみれば、家庭用オートクレーブ(紫外線滅菌消毒器)に一定時間入れたら、複数回使えたっけなーなんて後から思ったもんでした。これって衛生学を修めた人なら基礎知識だった? するってーと、食器乾燥機なんかにもついているもんなのかなぁ?

石油(化石燃料)だって、かつて生息した樹木やしの木の化石です。医薬品の素でもありますね。

スーパーなどに、食材の買い物に行って、帰って整理しますと、その都度、大量の石油由来の包装材料がゴミになります。しかしうまく燃やせば、燃料にもなりそうですね。なにせ石油の変形なんで。

 

ここで言いたかったことは何かと言いますと、前回お話しした、食べ物の命に対する「いただきます・ごちそうさま」の感謝の精神は、そのまま延長して、衣食住・地球・宇宙(森羅万象)への感謝の精神に繋がるものかなキョロキョロということでした。三毛猫

 

 

(4)生き物の命を取らずに済む栄養源について

そして、そんなことに思いを巡らせているうちに注目したのは、牛乳牛、鶏卵鳥、果物さくらんぼそして蜂蜜🍯でした。キョロキョロ

仏教には、スジャータ、乳粥が出て来ますね。牛乳は栄養価の高いものですね。キラキラ

 

牛肉牛を食べるには、牛さんを殺生しないといけないけれど、牛乳を搾って飲む分には、直ちに牛さんの殺生をしなくてもいいのかな~、と、思ったもんでした。龍 また、飼料のトウモロコシなど、人が直接食べれば、肉食牛が、未来に向かって、左肩下がりにフェードアウトしていく流れにのせれないのかな?とかですね。

 

また、鶏卵鳥は、受精卵ヒヨコになる前なら、そこに新たな鶏さんの魂おばけが宿る前とみて、命を取ったことにはならずに済むのかな?びっくりと、思いあたるものでした。鶏卵は、ヒヨコヒヨコが生まれて生きるに足るたんぱく源・栄養素を備えた、天然の栄養カブセル鳥とも言えそうかなと、思ってみたりですね。きのこ 

 

ここで気にかけていることは、輪廻転生のためにこの世へ修行に来た魂おばけくんが宿っているかどうか!?と言う観点のお話です。

 

そして、果物(多年生植物の果実)、たとえば、林檎りんご・梨・桃・蜜柑でもいいんですが、収穫して食べても、木の幹やしの木は、切り倒さずに生きていて、翌年には、またをつけてくれますね。桜桜も、桜の花桜に着目したら、咲いて散るけれども、さくらんぼさくらんぼの実がなって、やしの木は生きていて、来年また花をつけるのかなと…そのお花の蜜を、蜜蜂が集めた蜂蜜も良さそうですね。

 

以上は、動植物の殺生を、なるべくなら、回避・抑制した人の食べ物の摂取の知恵は、何かあるものかいな?と、思い巡らせてみたもんでした。

 

 

菅原神社 撫牛さま

撫牛さま牛 菅原神社

 

 

(5)動物と植物の命の重さ・軽さについて

そこで、動物の命しし座と植物の命やしの木について、それぞれ、どう考えたらいいんでしょうね。植物の命は、動物の命より格下だと、果たして人が決めつけられるのかな??おばけくん

 

と、ある霊能者さんに、その辺をお伺いして観ていただいたところ、「虫ちょうちょや、植物クローバーの命にかかる霊・魂は、一匹に一つの単位で存在するのではなく、何十匹、何十の束でおしなべて備わっているとみるものだ。」とのお話でした。

 

例えば、100のその植物の種が植えられていたとしますと、仮に半分の50を刈り取っても、半分の50残しておいたら、丸ごとその命を刈り取ったことにはならない、という捉え方を示されたものでした。小さい昆虫の、蟻さん等もそのようでした。これは、初めて聞く捉え方でした。やしの木 海を泳ぐ御魚の群れ、一糸乱れず集団行動しているように見えることもあるようで。

 

そうしますと、改めて精進料理やベジタリアンの意義も改めて考え直したくなるものかもしれませんねはてなマーク

 

 

(6)昆虫も生き物 夏休みの自由研究「昆虫採集」

ここでちょっと、昆虫の話をしてみようと思いますが、昔、子供の頃に、夏休みの自由研究という、自分で決める課題というのがあって、そこで、「何しようかな?」「工作にしよっか? でも、なんかややこしそうだな、そうだ、昆虫採集にしよう~」と、タモ虫籠を持って、森林の中へ、捕獲に行く、なんてことが、あったような記憶です。

この時に、昆虫採集をやろうという意思のために、捕まって命を奪われる、自由に生きた筈の命を思いやる心が、抜け落ちていたのかなと、後から気が付くようなことでした。おばけ

 

殺して虫ピンで箱の中に見栄えよく並べて留めて、2学期のはじめに学校に提出。いずれはゴミとして捨てる…。龍

 

時代は移り変わり、今なら、昆虫の生態をカメラで撮って、殺生しないで済む「バード・ウォッチング」ならぬ「昆虫ウォッチング」で、生態観察のベターな道もありそうですが、今でも「昆虫採集」って、あるのかなはてなマーク 子供の教育は、生き物の生命の尊厳に向かうべきところかな?という気がしたものでした。猿

 

 

(7)核(という漢字)についての考察

植物とは言うものの、御神木やしの木が、神社神社にはみえますね。樹木、植物も大切な命です。しかも、人より、うんと寿命が長い。おばけくん千年以上生きる樹木も存在します。そして、木によっては、切り倒すと祟りがあったりするのも事実でして、そんなことを考えますと、一概には植物やしの木の命といっても、粗末にはできないものかなですね。

 

さて、核ミサイルという言葉、聖書の予言では、ミサイルは火を噴く蛇ヘビとして出てくるというあやしい記憶がありましたが、 という漢字がありますね。(その意味は、コア、例えば、地球の中心部には、野球のボールの中みたいにマントル層の奥深くに、コアがあるということですが、それって、いつどこの誰が、穴掘って実際に見てきたのかな。キョロキョロなんて、お馬鹿なことを思ってみたもんでした。アセアセ地磁気があるということは、鉄が溶けて沢山あるのかな?ですね?)

 

余談は置いておきまして、という漢字とに分けてみますと、まず、は、木草バナナ、植物・自然地球を大事にしないと、いけないよという意義に捉えてみたもんでした。他方、亥(イノシシ)はといいますと、これはさん豚の意味ですね。豚さんの命を、感謝・慰霊お願いを疎かにして食べてきた因縁返しおばけが若しあるとしたら、核が降ることになってお返しが来るよ~おばけという、自然の摂理からの戒めとも受け取れるのかな!?などと連想してみたものでした。

 

 

こぶたさん💛

こぶたさん💛

 

 

(8)殺生と魂・命の尊厳について

20世紀末頃のメディア報道を思い出しますと、海外産牛牛は、成長促進ホルモンを打たれ、病気予防のために抗生物質を打たれ、インクのついた新聞紙を食わされ、さらに肉骨粉飼料を食わされて同種の共食い状態を起こされ、遺伝子的におかしくなって、BSEをひき起こしたのではなかったでしたっけかはてなマークそんな朧げな記憶です。

 

牛さん牛、豚さん豚、鶏さん鳥、生きて、青い空の下で天寿を全うしたかったでしょう。この世に輪廻して魂を持って生まれてきた生き物なんですから。

 

童謡に、「ドナドナドーナードーナー、荷馬車が揺ーれーるー♫」という、運ばれる子牛の定めを歌った歌があったもんでした。( ショロム・セクンダ作曲「ドナドナ」 )

 

こうした動物たちは、未来も80億人にまで増殖した人類の食物奴隷として生まれ過ごす地位に固定されるのかな…。牛

 

宇宙の神様は、地球地球だけを見ているのではなく、他の星星空も併せてみておられるのかなと思います。輪廻転生システムは、どうやら、地球だけで完結しているものでもなさそうらしくて。(出典: 祥伝社刊 五島勉「アマラの法則」)

 

仏教では十善戒で身口意の業を言いますね。不殺生は、そのはじめに来るものでした。(生き物は皆食べないと生きていけないので、しなくても済む殺生は、と、とらえるものでしょうね。それで、お食事の際の「いただきます。」「ごちそうさま」と唱え、生きるエネルギーをくれた命に感謝の念を伝えたいものです。真摯に念じたら、ちゃんと伝わると信じています。)

 

※ここで誤解しないでほしいことは、そうした方面に関わるお方々を云々する意図は全くないことでした。

今の社会システムの中で、それを云々するのは、とんだお門違いで、むしろ、ご尽力のおかげで、より多くの人々に、日々、比較的安価に動物性たんぱく質が安定して供給されているという事実があります。生産者・消費者を問わず、その恩恵を得て、それを是とする社会モラルの世界にいるんですものね。捕捉しますと、むしろ、そうした役割を担っていただいていることに意識をはらうべきなのでしょう。小生も焼き肉・鶏の唐揚げは好きですね。あわせて、乳製品や植物・魚由来のタンパク質も日々何らかのかたちで併せて摂っています。魚肉ソーセージは子供のころ好物でした。納豆食べたーいぃあせる

 

また、もちろん直ちにその殺生をなくせないのは言うまでもないとしても、いただいた命に感謝する習慣と合わせて、鯨のように、余すところなく大切に使い切るという「もったいない精神」は、この国の美点の一つなのかもですね。例えば、本革の服や、家具にしても、一旦作ったら、粗末にせず長年大事に労わって使い続けようという思いもまた、蔑ろにできないような気がします。車のシートなどもですね。なので、個々の人々の意識の持ち方も、頭ごなしに言うのではなくて、時間をかけつつ、その価値観に基づいた発想が自身で納得・消化し得るのかを待つような、自発的な思いの発芽を待つような鷹揚な姿勢も心得たいことなのかもしれませんね。

 

 

おひさま

 

 

(9)未来への課題は何か

遠い、何千年か、何万年も先の未来を見据えて、これから、何が理想の未来の姿なのかを考え、そこに向けて、少しでも、世の中を改善していくんだとしたら、どんな現状の不条理に、どんなふうに、一歩一歩、手を付けるのかな?という、絶え間ない模索がいるんではないかな(ベターの上塗り)とみて、そのひとつに、命の尊厳の問題は、避けて通れない課題なのかなと見えたものでした。(殺生以外にも、世の中、不条理は多いじゃないか~ですが、今回は殺生をテーマにしています。)

 

「自分がされたら嫌なことは、他人にもせず、自分が喜ぶことを他人にもせよ」(黄金律)これだけ出来れば御の字かなと思いますが、そぅは言っても、これはとても難しくて、例えば、同じ事されたら嫌だろと言っても、うっかり知らぬ間に、歩いていてさんを踏み潰しても、殺生のひとつにカウント?では、とても現実にやっていけない窮屈な話になりますね。この世は、動植物を食べないと生きていけない理なのに、誰しも命を取られるのが一番嫌なことで・・・という、いまさらながら、どうにもならないこの世の矛盾を感じます。そう考えますと、より高次元の存在、神仏神社・自然チューリップ・地球地球・宇宙星空の境地からみて、どう改善の余地があるものかな?と言うことなんでしょうかねはてなマークで、今般のテーマとなったもんでした。

 

いきなり、ワンアクションで、一気に極楽浄土が出現するのではなく、現実から理想へと、ベターな選択を繰り返し、螺旋階段を一歩一歩上がるようにうずまき、徐々に改良する行脚の連続なのかもですね。そしていつか、気が付いた時にはアセンションを達成していた、なんていうものかもしれないなはてなマークなどと考えるようにしています。

 

山ねずみロッキーチャックねずみという、昔、子供のころにテレビで見ていた動物アニメがありましたが、そこで、動物たちに、怖い、恐ろしい存在として描かれていたのが人間!でした。なにしろ、銃を持って撃ち殺しに来るし、罠を仕掛けて帰っていくので。龍

 

五島勉著「アマラの法則」という本に書いてあったことですが、御仏様(弥陀如来)の大きさについての記述があって、それは、ひとつの星雲・ギャラクシーほどの大きさの意思を持った知的生物なのだということでした。宇宙には、そんな御仏様が、無数におられるんだよとも、書かれていたような記憶です。まだ、うちにあるはずなので、探して、改めてよく読んでみたい本でした。

 

また余談ですが、西遊記の中の孫悟空猿、自らの能力を過信して、もう此処が宇宙の果てだと思うところまで飛んで、そこに小便をひっかけて帰ってくるんですね。しかしそれは、大きな大きな御仏様の掌の上でしかなくて、ほとんど動かなかったに等しいというお話でした。(悟空という名前は、空を悟っている、般若心経を理解している猿?ということなんでしょうか?) そう言えば、昔、「猿の惑星」地球という意味深長な映画があったもんでした。猿悟空⇒59⇒ウク(受く・愛く)を連想します。御供もでした。還暦60の前夜の数字でもありますね。たしか、過去の日本の最高齢者の御方は、御年120歳近くまで経られたと記憶しています。皆が健康年齢を維持していけるといいですね。南無無量寿経お願い

 

キリスト(964 10)という言葉の音を数字変換してみますと、キというカ行の音を五段活用してみたら、コロス(カラスも)とでますね。564ともいえそうで、これは、殺生・生死にかかるテーマがかくされていたとみることが出来得るのかもしれませんね。なんちって^^;

釈迦如来

(10)結び~人工肉~食物にかかる命の問題の発展的解消~

1960年代に放映された、スタートレック(邦題:宇宙大作戦)を視ていますと、滅多に出てこないシーンでですが、宇宙船エンタープライズ号の中で、乗組員の人達が、電子レンジみたいな取出口から、ワンタッチで出てくる食べ物を美味しそうに食べているシーンがありました。…半世紀たった今見ても、未来的で面白いので、また視てみよう~星空 他の星で摂れる?宇宙小麦も出てきますね。

 

前回も書きましたが、今、世界の中では、大豆など由来の人工肉(代替肉)開発が、実際の商業ベ-スにのせるべく、既に始まっているそうでした。過去にNHK BS1で放送していました。ほかにも、微生物と空気と水を使った食料の開発も手掛けられているそうでした。こうした取り組みが人類の食糧難の解決に向けて、上手く実を結べばいいな~と思うようなことでした。ネザーランド・ドワーフ

※ただし、ですが、こうした代替肉の成り立ちの安全が要注意ポイントで、遺伝子組み換え技術などを駆使していたりしますと、健康被害の出るものかどうかが気になります。摂取しても全く人体に害のない安全安心なものであることが、こうした食べ物の大前提となりますでしょうか。現代~近未来の科学(化学・生物学等)に期待いたしたいものかなと思います。

 

いわゆる弥勒の世(極楽浄土)という境地が若しあるとして、この世に引き寄せるにはどうしたものか、それには、生きとし生けるものすべてが、遍く円満に融和共存するため、お互いに食物連鎖によって食べあっていきつつも、併せて、自然界の命・魂・森羅万象のバランス取りの配慮を、宇宙・地球の意思が、「それでいいよ~」という落としどころに持っていく、ということなのかな?と思うもんでした。この世の輪廻転生システムの健全化ですね。カエルきのこ(人の世の格差や、生活を営む上での不安や制約の解消が順序は先かもですが。それはそれですね。あせる)

 

それは、単に殺生の在り方にとどまらず、遺恨の連鎖悪因悪果を縮小・浄化しつつ、善因善果の連鎖を増幅して、「遍く、みんな仲良くね」を図っていくことかなとも思えます。それは、全ての人種・職種・人々や個々の動植物・生き物等の中に、突出した偏見・差別や、蔑ろにするハブケを作らないということかな?なんてことを、思ったもんでした

 

御釈迦様は、そもそも、誰かを省けにしようなんて思っていなかったでしょうと思うんです。ただ、観るべきは、「人でなし」でしょうね。人々~神羅万象にとって、盗人(ぬすっと)か助っ人(すけっと)か?という観点ですね。

 

ま、人それぞれ、多様な価値観・人生観のもとに生きているんだと思います。中には、こんなこと思っている人もいるんだなぁ~と、寛い心で観ていただければ幸いです。

 

今回は、ここまでとなります。オッドアイ猫

 

冗長な拙稿に最後までお付き合いいただき、大変おそれいりました。グリーンハーツ

 

それでは、今日は、そろそろ、この辺で~おにぎり

 

衣食住に苦も無くこんなことを書く暇を与えてくださった神仏と、

ここまで拙稿をお読みいただけた皆様に 感謝と敬意でお願い

 

それでは また(*^-^*)

 

なうまくさんまんだ ぼだなん ぼろん 合掌お願い

おん ガネーシャ そわかゾウ

 

 

うお座クローバー猫猿トナカイうさぎねずみ牛いのしし

 

 

今日の1曲 五輪真弓 いつも そして いつまでも

 

みなさん、おはようございます。鳥

 

こちらにおこしいただき、ありがとうございます。ちょうちょ

 

今日は日曜日、サンデーですね。晴れうずまき

 

今回は、下記を リブログさせていただきました。ありがとうございます。お願い

 

 

…そうですね。よく 高齢になると、お誕生日クローバーが来ても「あぁ、またひとつ 歳 とってしまったわ~ やだ もぅ~ショボーン」なんて言ってみたり… でも、お誕生日が来るのは奇跡。だって、死んじゃったら、それはもぅ来ないんですから。キョロキョロ

 

生きてるだけで まるもうけ 感謝ですね。ハートのバルーン

 

ちなみに 1945年3月10日は 東京大空襲の日でした。

苦しみお亡くなりになられた 何万という多くの御魂炎の御冥福を祈ります。

 

回向有縁無縁一切精霊お願い

 

きのこ 猫 ゾウ ヘビ かに座クローバーとかげてんとうむし

 

それでは 今日は そろそろ この辺でおにぎり

 

ご覧いただき どうも ありがとうございました。チューリップ

 

お休みの方も お仕事の方も

どうぞ 好い1日をお過ごしくたさぃ。カエル

 

それでは またバイバイ

 

 

せみさん