みなさま こんにちは(*^^*)
ようこそお越しくださり ありがとうございます。
さて、「青い地球は誰のもの?」というテーマ・カテゴリーで、思うところを連載してみよ~か、と、思い立ったものでした。(この記事は、当初2022年10月にあげたものの再掲です。手直し有)
●追記
◆2024年3月 個人的に 印象深くて示唆に富むので繰り返し視てます、10年以上過去のNHKドラマ「八日目の蝉」と悪因縁連鎖などについて追記・改題して上げ直しました。
◆2024年7月 さらに追記しました。赤文字のところです。
なお、普通のモラルからは、「何言ってんだ?この人??」ってことになるのかも? その辺、違和感・御不快な向きは、どうぞスルーの程よろしくです。
そうした類の一連の文献を眺めてみますと、大いなる存在が、人類や動植物等の、歴史を刻みながら進む生様・あり様に、よりよく生き、反省すべきは修正して、来るべき未来へと至る際の試練・災厄を、いかに回避するかの知恵を知らせていたもののよう?にも思えたりします。
それで、その、大いなる存在)が、そうしてまで、後世の私たちに伝えたくて託した戒め・期待が、何だったのか、改めて思い巡らせてみよう、という趣旨です。
神仏とは、その一面を捉えての大まかな言い方を敢えてしてみますと、この世あの世とその輪廻転生の仕組みを廻す、管理者という趣でしょうか。
「青い地球は誰のもの」という、富田勲さん作曲の楽曲がありますが、果たして地球は、誰かのものなんでしょうか人間のもの、さらに、その中の誰かの所有物なんでしょうか誰のものでもない、しいて言えば、森羅万象、地球上の全ての生きとし生けるもの、みんなのものだと思えます。また、別の言い方をしますと、地球は、誰のものでもなくて、ほかならぬ地球自身のものなんだろうと思うことにしています。 生きとし生けるものは皆、日月の光の振り注ぐ 母なる大地、地球から派生した付属物なのかもしれませんね
なので、他の生き物、ひいては、自然に存在する諸々の事物と、上手く調和して生きていけたらいいものかなと思います。
人間も生き物、直近では、猿から北京原人などを経て進化した動物かな?と思っています。生命の起源からの枝分かれに思いを馳せれば、すべての生き物・動植物は、遠祖のご先祖様の縁戚といえるのかもしれませんね。
ただし、猿と人間では、毛皮をまとっているか、汗をかくかなどの、かなり大きな隔たりがあるかな?とも見ています。ただ、厄介なことに、核兵器をこしらえるような、地球上のすべての生き物や事物を破壊し壊滅させる能力と可能性を持ってしまったのも人類だけかな?とも思うところです。
たしかに、食物連鎖のある中で必要悪として、捕食して他の生き物を食糧・生きる為のエネルギーとしていかなければならないのがこの世の理で、動物であっても争いや縄張り争いは起きるのでしょう。
しかし、おそらくですが、他意のない動植物(肉食動物や猛禽類も含めて)は、概ね、おなか一杯になったら、それでもなお、執拗に他の動物に襲い掛かることはせず、遊ぶか、寝てしまうのではないでしょうか。(なので、動物は、富の蓄積ができないのかもしれませんね。)身を守る護身の際は別としてです。言ってみれば そこは無政府状態、人間ほどの理性は備えていませんし。でも、大地震などの災厄の前にはいつのまにか姿をくらましたり、大量の御魚が、岸にうちあげられたりするようですよね。竹に花が咲いたりです。まるで、神仏の意に沿って動いているようにも見えたりします。
でも、種の保存のための本能は備えていますね。例えば、食欲・性欲愛欲・睡眠欲・排泄欲等々ですね。鳥は、誰に教えられなくとも、巣で待っているヒナに自らが食べるためでなく、本能的に餌を運んできますね。 …夏の炎天下に子供を車の中に閉じ込めたまま、親がパチンコに興じて…という、痛ましい事件報道がかつてあったことなど併せて思い出すものでした。また一方、人間には、親孝行という概念もあったりしますが、そこには、善悪は別として、様々な価値観が並立していそうです。
人間だけが、一生掛かっても使い切れないほどの富を手に入れたとしても、なお、金銭欲・所有欲の限りない者もいたりして、欲の皮が突っ張って、究極的には陣取り合戦や主義主張(政治信条・イデオロギーや宗教教義の相違)の対立から、核戦争まで引き起こしかねない、地球から見て厄介な存在になってしまったという見方もできるのではないかな?と思います。
そこで、「欲」そのものが、直ちに害悪なのではなく、問題は、他との折り合いのつけ方(公共心)かな。易経では「過ぎたるは なお及ばざるが如し」(大過)と言いますが、過激か程々に穏健かという程度問題という視点もあり、そう目くじらたてて極端に捉える必要はないのかもしれません。大過は、何事も、0か100かの両極端でなく、ケースバイケースにて、丁度よい頃合いがあるよと言ってそうですね。(100度は煮沸にはいいが、お風呂入るには40度、飲み物には60度がいいよという風に、適温はいろいろです。)
こうしてみますと、大枠では人間は動物の一種とみることが出来るとしても、細かく見れば、動物と異質な要素は持っているとも言えそうですね。理性の発達と引き換えに、本能や直観力が衰えたかのような。聴力、嗅覚などもですね。
例えば、山に生息している動物、猿や鹿等が、平地の人里に住む人間と棲み分けるなら、電気・忌避柵を設けたり、また餌に困っているようなら、何らかの形でエサを「共存共栄」の意図から、思いやり予算を組んで供給することが出来得るのも人間ならではの特質、とも思えます。
さて、その意味で、さしずめ、地球から見た人類は、その振る舞い方如何によっては、がん細胞か細菌・ウイルスのような厄介な存在かもしれないのかな人もまた諸刃の剣。玉石混淆です。
細菌類もまた大切なこの世の生き物ですね。常在菌や乳酸菌のような有益な存在を考えれば、直ちに細菌類や微生物全般を直ちに害悪と固定して捉え、撲滅すべきものでもないですね。他方、戦前の台湾、まず、衛生状態を改善することから近代化に着手したとも見聞しています。諸刃の剣を見据えての是々非々なんでしょうか。
すべての事象は諸刃の剣、処し方により益(メリット)にも不利益(デメリット)にもなりえるもので、陰と陽で一対なのかもしれません。
以下もまた、あくまで個人的想いの域を出ないのですが、新型コ〇ナウィルスという日本語命名にも、おやっと思ったところです。新型というからには旧型があったはずで、従前のコ〇ナウィルスといえば、今までの風邪症状を引き起こすウィルスのことでしょうか。または無害とか。
コロナの語源は太陽表面の活動?による、あたかも炎のようにも見える核融合・核分裂反応の吹き上がる有様を(フレア)描写してウイルスの姿を模したもので、従来、風邪の特効薬というものは存在せず、もし風邪に効く薬が出来たら、それはノーベル賞ものだと若い頃見聞した記憶があります。
これまでの巷にある風邪薬は、みな風邪に伴う諸症状の緩和という対症療法的効果を意図したもので、根本的治癒は自己免疫に依拠していたのではないかとみてました。あ、そう言えば、インフルエンザには特効薬ありましたね。その後コ〇ナにも出来てました。感染対策として、マスクは推奨されても、その紫外線滅菌はなぜか普及しませんでした。
なお、コ〇ナから連想する物事はといいますと、戦後に存在した国産自家用車名と、社名が たまたま被って、不本意なことに、石油ファンヒーターなどを取扱うメーカー名などが思い当たり、ほかには、コロニー(植民地)も連想されるもんでした。
そして、巻貝の形を模した菓子パンに、コロネというのもありましたね。これは、かなり以前に見たNHKドラマ「八日目の蝉」から気が付いたものでした。巻貝というと、アンモナイト・カタツムリも思い出します。渦巻状の こんな感じで中心から外へと無限に膨張・拡散していく様を描くような。123456789…ひふみよいむなやこともちろらね…神道祝詞 天の数歌もさらに思い出す。
蛇足ですが、音写の連想では、コ〇ナ⇒567⇒56憶7千万年(人口)⇒弥勒菩薩⇒369 なんてなことでした。外には、ウランも567で、576⇒意宣り⇒祈り⇒稲荷 神とは、示す辺に申(もうす・モーセ・さる)と書きます。申(36)の神というと、日本では、猿田彦神様を思い出しますね。大柄な体格で、鼻が天狗のように高かったんだそうで。鼻という漢字、艸の上に田があって(十字)上に白が載っています。白は日の上に点ですね、さらに上に横棒を引くと、百(もも)となります。猿田彦様というのは、謎の神(一説には、キリストと言う人もいました。〈比良夫貝に噛まれて崩御 どうやら、ヒラフガイ⇒ヘブライ??の女性?に何かされた?〉白髭の神ともされています。神ならぬ髪は長い友達と書きますが、太陽などの天神と、地球などの地の自然(地神)に恵まれても、それを自覚して永い友達しとて仲良くしていかないと、いかがなものかな?という意味にとっています。666は獣の数とされているのが謎とのことですが、共通点は、どちらも生き物で、毛が生えていることですかね。
易では、巳・午・未 方角では時計盤の示す5・6・7、南方面ですね。12進法の時計盤では、丁度半ば(ミッドウェイ)を示します。(太平洋戦争での攻守反転機会がミッドウェイ海戦でしたが、1942年6月5日前後でなかったかな)。1+9+4+2=7で、765がみえますね。暗号解読キーはAF(音波?!)でした。 さて、5-7月は、火星人には空亡・天中殺を示します。5-7月が過ぎ去ると、8月、申月がやってきます。さて、567を平らに平均したら666かな。麻雀(マジョーン)では、567は平和(ピンフ)、666は暗刻(アンコ)を示します。図形的には、緩やかな右肩上がりか、または、横ばいを象意します。概ね安定した良い意味にも取れますね。良いに屋根が付くと食です。家族揃って笑って食を団欒するには、衣食住が揃うのがいいみたいで。「笑う門には福来る」で、これらが揃った一門は、ソロモン ブラザースかな?
蛇足が長くなりましたが、一方で、株価・信用膨張は、青天井で永遠の右肩上がりとはいきません。いつかリセットされることにはなりそうで、株価に関しては、庶民には株価は乱高下(シェルテ ナギャルド)してほしくないものかもしれないですね。諸行無常かな。サーモスタット掛けたいもんですかね。艮(丑寅、つまり鬼門)の上に点が付くと良しです。王の上に点で主。将棋は、王将と玉将が対峙しますね。なお8月・申月は裏鬼門です。蛇足ついでに書いてみました。
コロニー、歴史上のかつて存在した植民地、宗主国が彼の地の民や土地を、経済的奴隷にするものだったとみることができたのかなと。それは、不当に安い賃金で人を有無を言わせずコキ使うような雇用形態があるのだしたら、現代にもある種の奴隷がいやしないか?という見方にも繋がります。例えば過度に精神的・肉体的自由が奪われているような場合かな?
◆余談(後日追記 「八日目の蝉」からの気づき)
上で触れました 角田光代さん原作、映画化もされた、過去のNHKドラマ「八日目の蝉」(全6話 檀れいさん主演)これ、DVDを当時買って持っておりまして、それで今でも飽きずに繰り返し 見てしまうんでした。
ここから、多少ネタバレですが、これは、主人公が不倫で命を身籠り、処置して以後、妊娠不能となり…というところから、「伽藍洞(がらんどう)」と罵られる一悶着の末、衝動で その奥さんの生後間もない赤ちゃんを誘拐してひたすら逃亡・育てながら隠れて生きる…七歳になっても小学校入学は無理、一貫して会う人 皆に、決して言えない重い秘密を抱え 延々と苦しい嘘の上塗りを重ねて過ごさないといけない その後。 (大昔は七歳位までの乳幼児は死亡率が高く、あの世とこの世の中間にいる存在と見たとか)。
男女の性差・貧富など、様々な社会問題への問いを含んだお話で、敢えて一言で言うなら「悪因縁の連鎖」、相手の家庭を壊して不幸にしてまで既婚者との幸せな結婚を目指すという、向こう見ずな行いさえしなければ、こんな辛いその後はなかったのに~という、個人的感想なものでした。(水子供養はしたの?) 結婚しようと騙し浮気した男性も、刹那の楽しみのつまみ食い、あーあ。そして、産みの親ではなくとも、純粋な母子愛を描く。
結婚という社会ルール、以後、自由恋愛はしませんという誓い。破ると こんな破目に遭う恐れもあるよと。…覆水盆に返らずで この古来のルール、少しは各人の思いを遂げる方向のモラル更新の条件整備の余地は如何に? …微妙!? それは慎重でないと、子は両親の仲睦まじい後姿を観て安心して育つ節もあり、不倫の世襲が起きるのも決して偶然ではなく、愛の冷えた家庭で外に心をうめる要素を求めた故かな、このお話の深遠な問題提起かな。
登場人物が「悲しく辛い過去~現在」の想いの丈を絶叫・号泣する場面が頻発する激しい情緒展開の印象深いものでした。これもまた、自業自得、蒔いた種(カルマ=業)は自分で刈り取るという、その人(魂)に課された今世での魂の修養なのかな?なんて…
「八日目の蝉」と言うタイトル、これ、蝉さんの命は地上で、たった7日だけの儚さ、しかし、他の蝉より、1日だけ長く生きた蝉がいたら?という意味だったんでしょうか。蝉さんは幼虫で、地中で7年(17年の蝉も居ます)を過ごし抜け殻を残して成虫に脱皮し、おひさまと樹の下で7日間精一杯啼く。蝉さんもまた生き物、肉体に魂が宿っていて短い生を全うしようと懸命に生きているのかな。(そぅ考えると、蝉取りなんてしたくない) ミンミンゼミ、ヒグラシ、アブラゼミ等それぞれに啼き方があって子供のころ、木に蝉さんが居て、近づくとピッとオシッコひっかけられサッと飛び去る肩透かしにあった記憶がありました。田舎で育って良かったナ~
ここで、おバカな拙者、思ったことは、劇中の女の子も仰ってましたが、1匹だけじゃなくて、蝉さんたち、みんながワイワイ愉快に八日目まで生きれたらいいのに。つまり、8/7倍の長寿化、翻って人の天寿の若干延長・健康寿命維持も、そんな近未来が来るといいのにな~、でした。。優しいこの子に教えられ、セミさんの抜殻を拾うようになりました。蝉さん、土の中で雌伏の時を過ごし地上に出て羽化で天使の羽を得て空を翔ぶのかな?
西洋の天地創造神話では、神様が、1日目~6日目までで天地や生き物(動植物や人など)をこしらえ、7日目には それを祝福して1日休んだ(安息日の由来+1週間は 月日と五行の7日)という云い伝えです。では、次週八日目以降、神様はどうなさったんでしょうか? 時には天使を差し向けたりしているのかな?8八は、横に倒すと∞=永遠・末広がりという意味も潜んでいますね。⇒永遠の子孫繁栄?
ちょっと、既存の知識から考えてみました。1は、0⇒1、無から有への宇宙開闢 2は、昼と夜といった陰陽の発生 つまり太陽と地球 3は木、植物発生(トゥリー)又は月の付随 4は、獣(でも数字は三角形で、四という字の中も3つの部屋ですね) 5は、人の指の数・五芒星(大は五芒星) 6は セックス又は靴下又は亀 コンドームと珍宝?水は六芒星?それと、王も6芒星で。 7は ヘブン(極楽浄土)氷は七芒星 光・主も7芒星 酒池肉林は6~7程度の精神境地かな? 8は、エイっと気合か米、八芒星、∞、ユニオンジャック、第八識(アラヤ識)、9は ナイン (ホワイトナイト? 野球 又はお釈迦様・潔白 八幡神(888)) 10は十字架・天神・田、× 縦横、飛車角 11はゾロ目⇒相似形 龍 坂(スロープ⇒468⇒平たく平均して666) 12は、何かな 子の刻⇒123・・・の始まり 13は、真言宗13仏真言と、13段階段 なんちって。9+9+9は27⇒船 89はお釈迦様、野球、90は救霊、98-99は外宮、100は桃、101は101匹ワンチャン 108は海上保安庁 なんちって。793は千種、907熊野・菰野…
日本では、1(ひ)は火 2(ふ)は風 3は水 4は世 5-8は生死父母? 9-10は 個々の足り 足るを知る かな、と、何の根拠もなく、なんとなく頭を捻ってみました。
日本神話にも神代七代があり、五代目は角のある神、そして美男美女の六代目オモダル・カシコネ神(人神)のあとイザナギ・イザナミ様が七代目、さらに(八代目?)アマテラス・ツクヨミ・スサノオ🌊様ほか多くの御子神様が生誕。753はなごみ・いざなうかな?アマテラス様とスサノオ様についても個人的感想があり、アマテラス(男神ならアマテル?)様の誓約(子作り)と岩戸隠れ、スサノオ様の乱暴で傷心(身)、今でいう「ひきこもり」になったのかなと。気になるのは、引っ張り出し方で、アメノウズメ様のセミヌード色仕掛けで気を引き、タジカラオ様が力ずくで引っ張り出し「役割に戻れ!」? メンタルケア❤そっちのけ。「あーあ、仕方ないわ」と、アマテラス様、生きながら死んだ気持ちの諦観(心理的引き籠もりの継続)があったのかもと
対するスサノオ様(祇園精舎・沙羅双樹の牛頭天王と習合!)、海🌊木の神でもあり、幼い頃は、亡くなった母(イザナミ)を偲んで泣いてばかり、そして荒んだ心で乱暴を働く乱暴者(スサノオ⇒スサんだ男or素の♂?)、しかし成長して結婚する頃には日本最初の和歌(数字八8が多く出てくる歌)を詠む温厚な心、これは腕白な子供から心理的自我の目覚め♡を経て道理・思慮分別を身に着け紳士に脱皮成長したと捉えれば、諸行無常・心も移り変わるという、一概に「乱暴者」という烙印(レッテル)を押して心証を固定してはいけない教訓かも?そして、アマテラス様方と御兄弟なのに、天津神ではなく国つ神。天(高天原 又は地下)から地上に降りてきたか追い出された、言ってみれば天使or堕天使(エンジェル)みたいな個性?、はたまた降臨?!と。…こんな説、人によってはドヤされそうかな
がらんどう…これって若しかして、洞窟のような処を経て進む伽藍・御仏様の居所ということかな?そんな場面がこのドラマの中に描かれていることに、ごく最近、はたと気が付き、罵られた「伽藍洞(堂)」の本来の姿!?を見せていたのかな!?と感嘆!!がらんとした伽藍…神社等も然り、人が往来してこその場所?
…やたらと長く生きても中身ががらんどう(空っぽ)ではなぁーということも思ったり。命の時間は有限で他人事でなく自身もそうだな、あれま 人生は生涯かけた思い出づくりの機会、もっと折に触れ、家族やペットなどのビデオや写真など、細かく残しておけばよかったかなぁ。なんちってそれが心豊かな時なら なおさら。
矢野顕子さんのアルバム・タイトル曲「ごはんができたよ」 今でもよく聴くんですが、歌詞「ごはんができたよーって、かあさんの 叫ぶ声…」若い頃は、ごく当たり前に聞いていた この曲、齢を経て、その意味深さに気付く、それが どんなに有難いことだったのか。 台所で調理している様子や御馳走でなくとも食卓で一緒に食べたときの記録年毎に残しておきたかったなーでした。
主婦業、家事(お掃除・洗濯・お食事の用意や洗い物・裁縫・家計維持・育児などなど)、【生きるエネルギー補給等と住まい等の整頓・浄化、24時間365日無給】そぅ考えますと、大変な役どころ(無給なら奉仕?!)なのかな。なるほどカミさん、山の神と言いますね。そぅ考えても古来の男尊女卑は 何やら変。なにしろ世の全ての人、オギャ~と女性から この世に出て来たんですから。
子宮は命を宿す御宮参道は産道…お葬式とは正反対の、あの世からこの世へのめでたい通路(洞窟)、と言う見方も出来そうで。輪廻転生で、あちらの世界から、そろそろ またこの世に生まれてきたいという時に、魂は、どの妊婦(おかあさん)さんがイイかな?とみて、おなかに飛び込んでくるとの俗説を聞いたこともありました。性(39)は、心を生きると書きますね。
ふと思い浮かんだことですが…、中学・高校なんかの道徳・社会・大学教養課程の社会常識を扱う授業等、または生涯教育の一環で、こうした教訓ものの視聴とセットで自由討論を併せて持つとか、ラジオの「テレホン人生相談」をクラスみんなで聴く、(考課試験必須でなく) なんていうメニューを設けることも、これから社会へ巣立つ生徒さんを育む、転ばぬ先の杖には、なかなかの有益かも。
地球にも、生物的な意思が、若しあったら、自然や動植物の弥栄を考慮に入れず増殖した人類という種への警告と、増えすぎた人類の人口削減!を意図した巡り合わせではなかったか?とも想いを巡らすもんでした。若し増え過ぎというなら何に照らして?食糧?エネルギー?資源?人心?制度疲労?地球温暖化・自然環境破壊?
さて、人間以外の(人間といっても、数%の富裕層・支配層と90数%の貧困層・被支配層に分かれますが)細菌類を含む、あらゆる生きとし生けるもの、さらに生き物でなくても、太陽 月、星 雲、雨 地震 雷 山、陸、丘、川、湖、海、石、砂など、ひいては地球自身という、自然・森羅万象まで網羅して、誰かを蔑ろにせず「遍くみんな仲良くね💛」 という考え方に立ち、昔の子供向け番組の「ウルトラ警備隊」の末席でいたいもんだな~なんて思います。
日々の過ごし方は人それぞれですが、その中で日々地道に螺旋階段をグルグル上がるように、遺恨・悪因縁の連鎖を止めて、恩返し・恩送りの連鎖の継続に潮目🌊を変えていくことなんでしょうか。コロネの螺旋階段、真上に向かう勾配を整える意味かな?
それには、生きとし生けるもの・森羅万象についてバランス良く調和して「みんな仲よくね💛」でいいのかな?
日々生きていられるのは、あらゆる産業やサービスに従事・御尽力しておられる自分以外の多様なお方々のおかげであるほか、ご縁のある周囲の人々や動植物、すべての生きとし生けるもの、神仏、先祖霊、地球や宇宙の森羅万象のおかげ様と感謝する気持ちを大切にしたい趣旨で、下記の文言を思い出すようにしています。
とは言っても、なかなか出来ていない自分もおりますが。ネットでこうした書き込みを のほほんとしていられるのも、平穏な環境・プロバイダ契約・光熱水費・スマホ・パソコンを用意できる富等、衣食住環境が安堵されてのことでした。
あ ありがとう(感謝)
い いつくしむ(慈悲・慈愛)(愛おしむ)
う うれしい(歓喜)(愛く)
え エンジョイ・えがお (諸人快楽)、援助・円満(偏りのないバランス感覚・富・心境)(寄付・募金等の相互供給など)・円滑・笑顔・和顔施
お 大らか (広い心・寛容)(繊細さも大事なものの、些細なことにクヨクヨしない)(思いやり)
「古人曰く一日一善」皆が日々良い行いを続けたら善因善果が塵も積もれば山となり、よりよい未来への足掛かりになるのかな、なんて思います。