政治の本質は「友と敵」?~危険なカールシュミットを学んでいこう! | チャンクロブックスー教養人への冒険

チャンクロブックスー教養人への冒険

受験勉強、セミナーで物足りない人を本格派知的冒険者への道へとナビゲートするためのアカウント。受験勉強の後を何をしたら、いいか分からない人、コーチングの裏側にある教養を学びたい人に有益な情報を提供。

 

 

 

おすすめ度4
難易度4

カール・シュミットという名をご存じだろうか?いろんな本を今まで投稿してきたが、たぶん一番取り扱い注意な危険人物だ。というのも一時はナチスに接近した公法学者だからだ。

 

*カール・シュミットの入門はこちら!

 


だが、彼の民主主義批判、危機の時代の分析は近年は再評価されている。

さて、ではなぜ彼の思想は危険でありながらも、今読み直す必要があるのだろうか。そのわけを少し紹介しようと思う。

まず、法学や政治学を専攻された方は、シュミットが政治の本質は「友と敵」の区別をすることだと主張したことくらいはご存じだろう。まあ、政治って争いがつきものだよねくらいの軽い感じで認識しているかもしれない。

彼の言う「友・敵」は討議の相手、経済の競争のライバルとかそんな生易しいものではない。彼はこう言う。

友・敵・闘争という諸概念が現実的な意味をもつのは、それらがとくに、物理的殺りくの現実的可能性とかかわり、そのかかわりをもち続けることによってである。p26

こんにちもなお、戦争という事態は、「危急事態」なのである。このばあいにも他のばあいにも、例外的事態こそが、とくに決定的な、ことの核心を明らかにする意義をもつ、ということができる。p30

つまり、「友・敵」の区別は戦争というマジの殺し合いが起こりうる例外状況に関わるものなのだ。

そして、この例外状況において政治的単位=決定的単位=主権の特徴が際立つというのだ。

政治的単位は、およそそれが存在するかぎりはつねに、決定的単位なのであって、かつ、例外的事態を含め、決定的事態についての決定権を、概念上必然的につねに握っていなくてはならない、という意味において「主権をもつ」単位なのである。p36

政治的単位=主権ということは国家に関わるのだが、彼がこんな物騒な話をするのはドイツ=ヴァイマール共和国という当時世界でもっとも民主的な憲法を持つと言われた国家が危機的状況にあったからだ。それは第一次世界大戦にドイツがやぶれ多額の賠償金を負ったからというのは容易に想像できよう。

このような政治的危機の時代に自由主義的な国家観は国家や政治は経済・道徳・法に対して中立であることと、権力の抑制・均衡のことしか論じない。これでは国家が危険に陥った時の政治の問題を論じられない。

というのも、国家が危機に陥る時というのは国家が成員に対して時に死ぬことを要求するくらい血なまぐさい「友と敵」の区別をする事態なのに、自由主義的な国家観ではこのような現実的な闘争に「中立」を主張して、何も決定できないからだ。これでは国家が危機に陥ったとき何も対処できない。

やはり国家が危機に陥った時に何も手付かずでは困るから、例外状態に対処できる理論は用意しておきたい。

そのとき、シュミットの政治の本質は「友・敵」の区別だという考えは国家の危機をしっかり見据えるのに重要だと言える。 「友と敵」という物騒に聞こえるが、「友と敵」という区別を曖昧にして、「人類」のために結束しようと言って、その実、都合よく「友・敵」関係を利用する団体もあるんだから、見るべき危機は見るべきなのかもしれない。

このことはシュミットが戦前の国連批判を展開した次の文章に顕著だが、現在のアメリカ帝国主義の批判にも読めなくはない。

一国家が、人類の名においてみずからの政治的な敵と戦うのは、人類の戦争であるのではなく、特定の一国家が、その戦争相手に対して普遍的概念を占取しようとし、(相手を犠牲にすることによって)みずからを普遍的概念と同一化しようとする戦争なのであって、平和・正義・進歩・文明などを、みずからの手に取りこもうとして、これらを敵の手から剥奪し、それらの概念を利用するのと似ている。「人類」は、帝国主義的膨張にとって、とくに有用なイデオロギー的な道具であり、その人倫的・人道的形態において、経済的帝国主義のための特別の器である。p63

さて、シュミットの議論がいかに重要かここまでの説明で理解できてきただろうか?

日本でも緊急事態条項という何とも物騒なものが議論に最近は上がるが、この問題はシュミットの問いと密接なものであることが分かるだろう。

 

*国家緊急権についてはこちら!

 

 


シュミットの問いと関連してくるということはシュミットの議論がもっている危うさとも関連してくる。

シュミットの「友・敵」という見方自体が何か問題を含まないだろうか?

シュミットは「友・敵」の議論を展開し、ナチスという独裁の方向にいったわけだが、現在ではこのことはどう考えればいいのだろうか?

政治に対してあまり関心がない人もあろうが、何故国家はそのような人に対して「中立」に見えるのだろうか?

まあ、国家にとっての友と敵はどういう人なのだろうみたいなことは考えられたほうがいいかと。僕はうがった見方をするから、政治に無関心な状態にしておけば、そのほうが国家にとっては敵が減って、統治コストが下がるからみたいなことを考えるのだが。いやはや、政治には何かしら関わっているのですよ、ほんと。

 

 

 

コメントは気楽にお願いします!

 

*読書会・映画雑談会のイベント等に参加していただけるとブログ以上に面白い情報をお伝えできます!

 

 

*過去どんな雑談会を開催したか気になる人はこちらの記事を!

映画雑談会のお知らせ!映画を楽しく語っちゃいましょう(^o^)

 

 

 

*オンライン家庭教師始めました!

オンラインにて期間限定の家庭教師をやろうと思ってます。

コロナ休校期間中の学校課題のサポート等をします。

興味のある方は次のブログ記事をお読みの上、連絡お願いします。

早稲田政経卒によるオンライン家庭教師はじまります!

 

 

教養を深める作業は中々一人でやっていてもつらいですし、分からないことも多いので一緒に楽しく学んでいきましょう!

 

 

一緒に本を読む子供たちのイラスト

 

 

 

古典などの難しい本に挑戦したい人、本について真面目に語りたい人、一緒に学ぶ仲間を見つけたい人、コツコツ教養を深める場が欲しい人etc

 

 

 

大歓迎です!

 

*インスタもフォローしてください!

https://www.instagram.com/kurokuryo/

 

 

フォローしてね!