反出生主義というワードが思想界隈で近年よく話題になります。
これはデヴィド・ベネターという人が唱えた思想で、
生まれてくることは常に悪いので、子どもを作ることは悪い
というものです。
なかなか過激で直観に反する議論だと思った人は多いかと。
どうして、彼はこのような立場を取るのでしょう?
彼は快楽が存在することはよいことであり、苦痛が存在するのは悪いことだと考えます。これに対して、苦痛が存在しないのはよいことだが、快楽が存在しないことが悪いと言えるのは条件つきである。つまり、快楽を奪われる場合である。そのため、まだ存在していない人の場合、快楽が存在していないことは悪いとは言えない。
このように快楽と苦痛に非対称性があることが彼が反出生主義をとる理由です。
どうです、この議論を聞いて納得できます?
何を言っているんだと思った人はたくさんいるかと。ですが、簡単に論破できないので現代思想で特集されるくらいに話題になるのですね。
まあ、こんな哲学的議論に興味のある人は一部の専門家だけで、生きづらい自分を肯定してくれる思想として求められている気はしますが😅
まあ、ベネターの議論を少し知ると、そういう実存的な問題はまるで関係ないと分かりますが😅
さて、本書の特集では彼の議論が論理的に妥当なのかを論じるものもありますが、彼の議論がもつインパクトに関心をもった論文が多く掲載されているように思いました。
僕はベネターの立場には乗らないですが、逆に出生主義でもないです。
子どもを生むことが義務だとか言われたら、それはそれで息苦しいものです。
ベネターは本来文学や宗教の領域で議論すべき重たい議論を議論のための議論の世界に持ってくるというかなり危ないことをやってしまったという認識を僕は持っています。
命を相対化するリスクのある議論に思っています。
ベネターは自殺は認めないと論理的にいっていますが、人生悩んでいる人にはベネターのこの議論を正確に追う心の余裕ってあるんですかね?
生きている理由なんてどこまでいってもよく分からんし、生きていることがいいのか、悪いのかなんてどこまでいっても分からんだろうにな。
なんで、いい奴だと生きている意味ないぞとか、どうせ苦しむなら生まれないほうがいいという議論には与したくないですね。
なぜか存在させられてしまった生を生きるしかないと思うんですがね。
ベネターはこういうのは精神論だと切り捨てるのでしょうが、精神論と分かってベネターのたぐいの議論はあまり相手しないのが生き方としては賢い気がします。
親のエゴであまり先のことを考えずに子どもを作ってしまっても、生まれてから親の責任を取っていく道はあってもいいでしょう。
人は過ちをたくさん犯すけど、そこからたくさん修正もできるでしょう。
ベネターの議論は最初から「賢い」選択をしようとしすぎな気がするんだよな。
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