4月6日、実は今日は亡き父の誕生日
そして両親の結婚記念日です
私は父親っこで、小さい時からいつも父に連れられて
夏は海やプール、軽井沢の別荘に家族で行きバーベキューをしたり、馬に乗ったり、
そして父が大好きだったヨットでクルージング
冬はスキーと
亡くなってだいぶ経ったからもう話していいかな、
高校生ときは父のガールフレンドと一緒にお食事したり
英語も中国語も堪能で、ダンディー
お友達の交友関係も広く、亡くなった俳優の勝慎太郎さんも父の仲良しのお友達で、
いやぁ、こうやって書くだけで随分と危ない父のように思えてしまうのですが、
誰からも好かれて、我が家にはいつも父のお友達が遊びにきていました
そのおもてなしを完璧にしてきた母も強者ですね
私がアメリカに移住してからも、両親は毎年遊びに来てくれました
父は一人でも何度もフラっとアメリカまで来てくれて、娘も息子も父の事が大好きだったので、
沢山の楽しい思い出があります
父は私がアメリカ在住中に亡くなりました
父は亡くなる10年前に白血病を言い渡され、余命5年弱と宣告されました
日本の母から連絡が来て、父が危ないと言われ、緊急で日本に帰国
妹もアメリカに住む我がファミリーは、父の元に駆けつけるのも簡単ではありませんでした
父の側で過ごすこと2週間、毎日アイスクリームを食べたいという父のために病院の売店でアイスクリームを買って食べさせてあげるのが私の日課になりました
当時、アメリカで大学受験を控えた息子がまっていた私は、2週間の予定を伸ばして、ずっと父の側にいたかったのですが
帰国予定の前日、病室で父から
パパの人生は本当に幸せだったよ、もう何も思い残す事もない
こうやって毎日、亜子と過ごせた事も本当に幸せだった
でも、アメリカには〇〇(息子)が待っていて、いま人生で一番大切なときだろ
母親なら、生きていてこれから人生で大切な事が待っている息子のもとに帰りなさい
と言われたのです
父の前では笑顔だけしか見せない、と決めていた私はその場では泣けず
アメリカに戻ると決めた飛行機が離陸し、日本を離れた瞬間、涙が止まらなくなったことを今でも覚えています
日本からアメリカに移住する時、2度と日本には帰れないかもしれないと思いつつも
一滴の涙すら出なかったのに
今アメリカに帰ったら、生きた父にはもう2度と会えない
と悟った瞬間、涙が止まりませんでした
父は息子の大事故の事を知りません
その前に亡くなってしまったから
でも、知らないでいてくれて良かったと思います
あんなに愛情あふれる人が、息子の事故の事を知ったらどんなに悲しんだかと思うと、知らずに天国に行ってくれて良かったと思います
今宵は、大好きだった父の事を思い出しながら、懐かしい写真を見たいと思っています
それでは皆さま、
Have a good night
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鈴木亜子 鈴木彩乎 ARiNa 顧問 モデル
女性社長 女性起業家 社長 コンサルタント コンサル アメリカ生活