今日はアメリカではパープルハートの日です
 
 
13年アメリカに住んでいた私が、一番衝撃的だった事、それは息子のハイスクール時代の親友が湾岸戦争に『志願して』行った事でした
 
彼はハーバードにも楽勝で入れると言われていた位大変優秀な青年でした
 
 
我が家に遊びに来てもとても礼儀正しく、お父様は地元のラジオ局の社長で裕福なご家庭に育ち、素晴らしいヤングジェントルマンでした
 
そんな彼が大学に行かず、
 
戦争に志願して行ったのです
 
 
湾岸戦争が開戦になった翌日、ご近所を犬のお散歩で歩いてビックリ
 
なんと、ご近所の家の前の木々には黄色いリボンがあちこちに巻かれているではないですか🎗
 
 
まさに映画の世界、この国にはこれだけ沢山の人の知り合いがいま、戦争に行っているんだと思い知った瞬間でした
 
 
その日は世界中のニュースで湾岸戦争の事がトップニュースだったにも関わらず、
 
日本のニュースを見た私は愕然としました
ガーンガーンガーン
 
 
理由は、その日に結婚したキムタクの話しでもちきり、1時間のニュースで50分がキムタク
 
湾岸戦争は5分のみでした
滝汗滝汗滝汗
 
 
アメリカにいたからこそ、日本の良さも再確認出来たけれど、
 
日本はなんと平和ボケな国なのだろうと残念に感じた出来事でした
 
さて、
 
パープルハートとは、アメリカ合衆国の戦傷章の事で、
 
日本語では名誉負傷章、名誉戦傷章、名誉戦死傷章などと訳されるようです
 

 
戦争で撃たれたり亡くなられた場合に授与されるのですが、
 
例えばスーパーに行っても
 
パープルハートの方には特別なパーキングスペースが用意されていたり、
 
車のナンバープレートもパープルハートの勲章がついた特別なナンバープレートになり
 
税金も払わなくてよくなったり、
 
一生、アメリカ政府から手当ても支給されるようになります
 
 
パープルハートのナンバープレートのお車から降りてくる人に遭遇したら
 
誰もが、ありがとうございますと声を掛けたり、
 
敬礼する人もいる位
 
 
アメリカ人はパープルハートの人は感謝や尊敬の念を抱く、それがパープルハートなのです
 

実は前述の息子の親友
 
湾岸戦争で撃たれ、パープルハートになりました
 
彼は撃たれた事により名誉の除隊をしました
 
 
でも、人生観が全く変わってしまい、
 
アメリカに戻ったあと、牧師さんになったんです
 
 
綺麗事では済まない事は沢山ありますが、
 
戦争という極限の経験をすると、人生観は大きく変わるのではないかという事は、
 
想像出来ますよね
 
 
子供を2人育てた私ですが、
 
毎年パープルハートの日がくると、
 
息子のハイスクール時代の親友、彼のことを思い出してしまう私でした
 
 
ちなみに当時、彼のご両親に、
 
なんで入隊し戦争に行くことを許したの?
 
と愚問を投げてしまった私でした
 
 
当然、反対したし毎日家族で話し合った
 
でも18歳になった息子が真剣に考えて、しかもあれだけ固い意志を持っているなら、最後は認めるしかなかった
 
と仰っていました
 
 
アメリカで18歳とは、日本では20歳、大人になったという考え方なので、
 
なるほどとは思いましたが、
 
 
ご両親からは、
 
生きて帰って来れる保証がないので、いまは毎日必ず一緒に食事をして、共に過ごす時間を沢山作っている
 
と言われたとき、
 
 
私なら首に縄をつけても、息子に嫌われても何があってもどんな事をしてでも、絶対に行かせない!!
 
と思ったものでした
もやもやもやもやもやもや
 
 
そこまで子供の成長を尊重し、認められて応援するアメリカ人のご両親、
 
素晴らしいけれど、戦争に行かせるなんて私には無理でしたね…
 
平和で何事もない事は当たり前じゃないと
 
今日も別のブログ記事に書きましたが、
 
戦争なんて日本には関係ない?
 
そんな事なかったりするんですよ、日本ではちゃんとニュースで報道しない事が色々ありますから
滝汗滝汗滝汗
 
 
 
毎週金曜日にアップさせて頂いている、元夫の大事故のブログ記事は、明日アップさせて頂きますね
照れ照れ照れ
 
 
 
Have a good night 星空
 
 

 

 

 

ダイヤモンドはじめましてのかた

 

 

 

 

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