ワタナベ薫さんと同じく
モニュメントバレーの写真を…
ご訪問ありがとうございます
スタンプクリエイターakkoです
あの日…
3月11日に感じた思いを
今日は書き留めておこうと思います
薫さんが仰るように
死を思えば、どう生きるかを考える
…本当にそうだなあと痛感します
特に今年は私にとっては
大切な家族の死に向き合うことから
始まった1年でもあり
ことあるごとに「いかに生きるか」を
考えずにはいられない日々を過ごしています
3月11日には多くの方の
10年前の体験や死生観なども
ブログなどから拝読させて頂き
色々と共感させて頂きました
私はというと、今年の3月11日には
ブログを綴ることはできなかったのですが
やはり皆さんと同じように
10年前のことを思い出しながらも
とても大切な存在をサポートするために
全力を注いで過ごしていました
大切な人が長い間、苦しみの中にいて
やっと一筋の光のようなものが見えた時…
声を上げてわんわん泣きながら一人で
車を運転して帰路についていたほどでした
(安全運転はしています)
心からの安堵感から涙があふれ
自分が思っていた以上に気を張り続けて
いたことにも気付いて驚きましたが
結局、その後も状況は一進一退であり
一喜一憂してはいけないなと思いつつ
ここからの学びは何だ?何だ?と
問いかけながら過ごしています
生きるということは
つらいことにも向き合い続ける
ということかもしれないですね
けれども必ず
「ああ、生きててよかった~」と
思えることも、人生には起こりうるわけで
つらい時にもどうにか下を向かないで
前を向く強さを持たねばと思います
そのためには切り替えて
感謝をひとつひとつ数えてみる…
そして俯瞰してみるトレーニングも
まだまだ修行中です
今月のカオルンダー
毎日何度も見ては唱えて励まされています
「必ず来る!必ず!!!」オリャ〜!
私の10年前の3月11日のことも
少しだけつづっておきます
当時は神奈川県に住んでいて、
震源地よりは離れていましたが
それでも私にとってはそれまでに
経験したことのない揺れに
(震度5弱か5強くらいでしたが)
恐怖を感じました
2歳だった長女を守らねばと
とにかく必死で抱き締めていました
(夫は仕事中で自宅で娘と2人きりでした)
数日後には私たちは引っ越しを
控えていたので、計画停電や
計画断水が行われる中、
2歳児をあやしながら
必死で荷造りをしたことが
最も印象深く思い出されます
被災地の方々のご心痛やご苦労を思うと
全くたいした状況ではありませんが、
電気や水のライフラインがいかに
ありがたいものかを痛感した
期間でもありました
住んでいたマンションから外を眺めると
ガソリンスタンドへ続く長蛇の車の列が
見えなくなるまで長く長く続いていたのも
恐ろしく印象的でした
食器や調理器具も荷造りつつあったので
引越し直前はインスタント食品に頼ろうと
考えていましたが、震災後のスーパーの
陳列棚はガラリとしていて焦りました
コロナ禍の混乱でもあらゆるものが
品薄となり入手困難となりましたが、
ガソリンや非常食、多くの備えを
日頃からしておくことは本当に大切ですね
あれから10年…
私たちも引っ越しを決意してから
10年なんだねと主人と話していました
あの時の決断は大切な家族を
思ってのことでした
残された時間を悔いなく過ごすため…
そしてそう誓った通りに過ごせたことは
本当によかったと思っています
家族が闘病中に感じたことがあります
宣告された事実が悲しくて…
逆説的に思ったこと
たとえ余命宣告を受けようが
そうでなかろうが
明日の命は誰にも分からないと
今日を生きている自分が
明日も生きていられる保証なんて
実はどこにもないんですよね…
だからこそ、やっぱり精一杯
今を生きなくてはと思います
私が生きていられる「今日」は
闘病の末に亡くなった家族や
震災でお亡くなりになられた方々たちの…
どんなに生きたくても迎えられなかった
誰かの「明日」でもあるんですよね
3.11を忘れないということは
そういうことも忘れないで
感謝して生きていくことかなと
私なりには思います
このことを今一度、胸に刻んで
大切に日々を過ごしていこうと思います
長文をお読み頂き
どうもありがとうございました