落語のネタに「饅頭こわい」というのがあります。実際は好物なのですがこわいというとみんなが面白がって饅頭を彼の部屋に投げ込みます。言った本人。大好物ですから一人むしゃむしゃ食べてます。投げ入れた面々「あんたが饅頭が恐い言ぅさかい、恐がらそ思てみんな饅頭買ぉて来たんや。あんたのホンマに恐いもん、何やねん?」言われた当人「今度はお茶がこわい」という下げで終わります。お人よしばっかりがしでかす他愛も無いお話ですが・・・台風。これはほんとにこわい。よく「地震雷火事親父」といいますが私は台風がトップ。ご存知の方もおられると思いますが和歌山に旅館を1件持ってます。もう閉館して随分になりますが10年ほど前に襲った台風で大変な被害を受けました。こちらからは200キロも離れてますので近隣に迷惑がかかってもすぐに対処できません。10年前がそうでした。近隣にお詫びをして修理。ところが普段付き合いがないのもあって地元の工務店は頼んでも忙しくて相手にしてくれません。挙句は法外な費用を提示。致し方なく本業休み休みでこちらから親類縁者を頼んで修理。完全に修復するまで実に2ヶ月かかりました。その時の辛さがトラウマになっているのか台風と聞くと過剰に反応します。夜上陸する台風の不気味さ。今夜は眠れな い夜になりそうです。
悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、
恋のように甘く、そして・・・あなたのようにほろ苦い。
トルコのことわざ
デンマークの首都コペンハーゲンに115人前後のIOC(国際オリンピック委員会)委員が集まる中、シカゴ、東京、リオデジャネイロ(ブラジル)、マドリード(スペイン)、の順で最終プレゼンテーションが行われ、オバマ大統領や鳩山首相など各国要人のスピーチを経て、IOC委員による無記名の電子投票が行われます。旗色はイマイチのようですがそれなりにサプライズを考えたゲストも用意しているとか?このところの不況。暗い雰囲気を一掃できるのならオリンピックそれもいいかな?と期待してます。そういえば前回1964年もこれがきっかけに景気が上向き巷では「東京5輪音頭」が流行りそれ以降しばらくは盆踊りの定番になったといいます。
週末、ほとんど車で行くのですが飲んだときは致し方なくJRを利用します。福知山線。(宝塚線)尼崎に差し掛かるといつも目が釘付けになるところがあります。線路沿いには町工場。その先に脱線衝突したマンションが当時の姿を残してます。原因究明と2度とこのようなことが起きないようにと事故調査委員会が結成されました。その事故調査委員会から調査内容がJR西側に事前に漏えいしていた。JR西日本の佐々木社長は29日、大阪市北区の本社で記者会見し、「信頼を裏切る行為」だったと謝罪しました。隠し通せなくなったと思ったのでしょう。107名の人命より組織維持を優先する。事故は起るべくして起こったともいえます。ましてや重大性を認識していないとも取れる事故調委員の“馴れ合い”姿勢。彼らは何のために誰のために事故調査をしていたのだろうか?なんとも下劣。恥を知れといいたい。電車が脱線してマンションに突っ込む。考えもつかない事故。発生直後、仕事ほっぽり出して危険を省みずに被害者の救出に奔走した工場の従業員達がいました。その道ではそれなりの評価をされている人達で構成された事故調委員。どちらも同じ人間。間違っても後者にはなりたくない。ずっと前者の心でいたいと思います。そしてJR。できることなら乗りたくない。(だったら飲まなきゃいい?そういう問題じゃなく・・・)
ご存知の方は少ないと思いますが私の一日は早朝4時から始まります。そのほうが混雑を避けられますし、日中停められないような場所にもゆっくり駐車が出来ます。なにより作業効率がいい。お昼ごろ商品の追加、積み替えに一旦帰宅。ファックス。仕事用と個人用のメールチェック。営業さん等もその時間に合わせて来訪してくれます。その後また仕事に出かけて順調に運べば夕方6時ごろには帰宅します。それから翌日の準備。またメールのチェック。遅くとも日付が変わる頃には就寝。会議や趣味等で出かける場合を除いては大体こんな感じ。ところが心配事やストレス等が原因だと思うのですが稀になかなか寝付けない日があります。一旦消したTVまたつけて眠くなるまで腕枕。昨日が丁度そんな日で時計を見ると2時少し前。朝、目 覚ましの音に飛び起きたのはいいのですが首が・・・寝違えです。首が回りません(借金と違います。念のため)午前中ロボットのパントマイムみたいな動きしか出来ません。声かけられてもすぐに振り向けない。「振り向きざまの斜めアングル」にはかなり自信もってたのですがそれも出来ない(笑)冷やしていいものか暖めたほうがいいのか?それも分からず現在に至ります。一応湿布薬貼ってるのでまさか明日まで持ち越すことは無いと思いますが誰かいい治療法あったら教えてもらえません?結構辛い。
お昼前、11時頃だったと思います。証券会社の担当営業員から電話がありました。「社長。午後からすこしお時間いただけないでしょうか?」「どうしたん?」「実は私来月で退職します。つきましては後任の担当者ともどもご挨拶にお伺いしたいと思いまして」この彼、26歳。株式を見る目はイマイチですが礼儀正しい。担当になってから2年。私もかなりフランクにものを言いいますが付け上がることなく敬語を崩さない。若い人には珍しいと好感を持っていただけに驚きました。「転職?」「いえ。いずれはと思ってますがまだ当てはありません」午後3時ごろと約束しました。5分遅れで後任と一緒に来ました。「遅くなりまして申し訳ありません」「いや、私も今帰ってきたところ」愛知県出身で早くに母を亡くし7年前に癌で腎臓を摘出した52歳の父親が一人。彼は単身で大阪赴任。姉が一人いるそうですが遠距離。退社の理由を聞いても多くを語ろうとしませんが父親と一緒に暮らしたい。そばにいてやりたい。ということのようです。「仕事は?」「現地でこれから探します。今の仕事続けながら面接受けにはいけません。ま、その気になればなんとかなると思ってます」一見無鉄砲に聞こえますがこれまでの仕事振りから行き当たりばったりの性格にはみえません。父親の体調に何らかの異変があったのかと推測します。「君ならどこに行ってもやっていける。それよりも今しか出来ない事があるならそれを優先すべきだと思う。後悔しないためにも」帰り際、「これまでの私と同じように後任よろしくお願いします」と最敬礼。「がんばれよ」「ハイ!有難うございます。」人は追い詰められて何が一番大事かに気づくのかもしれません。
認知症の定番といわれている行動が次々と出てきています。驚いた表情を見せず穏やかに・・・と自分に言い聞かせながら対応していますがだんだん目が離せなくなってきました。お金への執着から食事に。妹が作ったハンバーグを目の前で「まずい!」と言う。そのくせ10分もすると「お腹がすいた。ご飯の用意をしないと・・・」と食後の薬も飲まずにさっきまで一緒に食器を洗っていた台所に行く。幸い夜はトイレに起きるぐらいで静かに休んでくれてますがこれもいつまで続いてくれることか。なるべく運動をと朝食後、以前は車で行っていた買い物も散歩を兼ね杖を持って一緒に歩いて行きます。この街は坂が多い。(もともと山を切り開いて出来たニュータウン)阪急系のスーパーまで500メートル。息切れするのを見計らってはベンチに腰掛けて「きれいに花が咲いてるなぁ・・・あれは鈴かけの木。英語ではプラタナスと言うんやで」「お前はなんでもよく知ってるなぁ・・・誰に教えたもらったんや?」「多分お母さんに教わったと思うわ」「そうかなぁ。初めて聞いた名前みたいやけど・・・」噛み合わない会話で気を紛らわし片道20分。昼食の食材を買って来た道と違う道を帰ります。玄関入ると彼女は直ぐに買ってきた袋を全部開けて冷凍庫に入れます。ソファーで休んでいるうちに今度は私がアイスクリームだけ残して冷蔵にいれなおします。これを怠ると好物のメロンパンからちりめん雑魚までカチンカチン。食品を冷蔵庫に入れる習慣は身に染み付いてますが冷凍と冷蔵の区別は早いうちからつかなくなってます。次は徘徊かな?病状がいずれ進むのは仕方が無い。だったらそれがせめてすこしでもなだらかに、穏やかに、今帰ってきた道のように休みながらゆっくりと歩いていけたら・・・
昨夜は業者会議。この会が今年何十周年とかで記念大会があり幹事それぞれの役割分担が決められました。私を含めた数人。受付担当だそうです。(笑)それと今回メーカーの営業担当の一人が移動になるということでその送別会。会議後に会食。(早い話が飲み会)この営業氏。1年前に我々の担当になり今回の移動でまたもとの部署に逆戻りという不可思議な人事。会社内部の事情は知る由もないのですがその風貌ほどにはイマイチ存在感の薄い人でした。事実、飲み始めてからも隅のほうで一人おとなしくしていて誰も寄り付きませんし彼もまた自分から輪の中に入ってきません。そういうタイプなんだと思います。こちらのほうも彼の存在をほとんど忘れたような盛り上がり。話の内容といえばその場に居合わせない業者の悪口ばかり。それを言うのが役員のなかでもボスみたいな人。そ こに取り巻き見たいな連中が同調する。それほど名作とは思ってませんでしたが昔読んだ漱石の「ぼっちゃん」を何故か思い出します。子供の世界で陰湿ないじめが流行ってると聞きましたが大人の世界でもおよそ組織という形をとると必ずこういうのがついて回る。そういえば政治家なんかでも役を離れたり引退してからの発言のほうが真実味があり面白い。



