読書感想文シリーズ第3弾
過去関連記事
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第1弾 旅と鉄道1972年秋号 の感想文
旅と鉄道 1972年秋号 | あきべや☆鉄 (ameblo.jp)
今回は1977年2月鉄道ジャーナル
特集は現代の主役『特急列車』(続)
第2弾 鉄道ジャーナル1977年1月号 のつづきとなります
鉄道ジャーナル1977年1月号 現代の主役特急列車 | あきべや☆鉄 (ameblo.jp)
表紙は183系とき
巻頭カラーはむふふな写真集
新幹線写真3枚のあと
ひばり、わかしお、あさま、とき、しなの、しらさぎ、有明、にちりん、やくも、かもめ
のグラビア
その後は、『L特急、現状分析と考察』
なお、グラビア写真に載っていなかった残りのL特急は
いしかり、ひたち、雷鳥、加越、みどり、あずさ、あやめ、さざなみ、しおさい
『L特急』の『L』の意味についてはまったく述べられていません
L特急と特急の違いは
・ネットダイヤ化、愛称統一単純化
・数自慢、定時発車
・自由席
と述べられています
そして旅や仕事で使う特急列車というものは
・新幹線
・L特急
・寝台特急
の3つに収れんしていく・・となっています
たしかに
時刻表の目次には
新幹線、エル特急、寝台特急が先頭でした
目次欄も
この3つのロゴが並んでいました
ちなみにこの当時から、ダイヤは変わっているよ~の注意書きもありました
次の特集は『あさしお1号城崎行乗車記』
旅レポは検札時車掌より『次の2号に乗った方が早かったのに・・・』のダメ出しから始まります
宮津線を経由していた1号は山陰線を直通する後続あさしお2号に抜かれるというダイヤでした
車両はキハ82、京都を出た途端、『偉大なるローカル線の旅』が始まったと書かれ
綾部、西舞鶴、豊岡で進行方向も変わります
乗客のほとんどは天橋立で下車し、その後城崎までは空気輸送でした
うんちくとして、昭和47年あさしお号登場時は10両編成都ホテルの食堂車も付いていたらしい
次は広告
シベリア横断の旅、費用は27~30万、期間は3週間
で
地図を見ると、キーウとモスクワが鉄道で結ばれていたり
トビリシ(ジョージア)、テヘランとも交流が盛んであったことが伺えます
次の特集は『はつかり』
はつかり誕生から現在に至るまでの変遷を詳しく
初のDC特急
昭和35年12月10日午前4時半、青森駅で華やかな出発式により初のDC特急が出発
1週間後の12月17日、ヒューズが飛び運転不能、SLに牽引される
1か月後の1月12日、エンジンから出火、火災車両を切り離して90分遅れで発車(いいのかw)
その後も出火に故障が頻発、『火を吹くはつかり』と呼ばれることになる
半年後の昭和36年7月からは車両検査係が全区間に添乗し障害復旧に対応していたらしい
そして新造された増備車は、完成後から次々慣らし運転を実施(そして問題が次々発生w)
導入予定だった白鳥の車両であった為、『瀕死の白鳥』と言われてた・・・らしい
昭和36年10月改正で、おおぞら、つばさ、ひばり、白鳥、まつかぜ、へいわ、かもめが誕生
3か月間のデバッグ?のお陰で、10月以降は安定した・・・らしい
他の記事は
・振り子電車特急しなの運転日記
現役運転手さんの執筆した1001M→1004M乗務日記
名古屋から木曽福島まで、木曽福島で乗務交代、休憩後折り返し1004Mに乗務
運転士さんならではの視点レポは新鮮でした
・EF65
一般型、P形、F形、PF形の違い、見分け方
・時刻表に載らない特急
貨物特急のこと
コンテナ輸送がどんどん伸びて拠点間輸送が主流へ
コキだけでなく、ワキ10000やレサ10000も
・開業当初に投入した新幹線1次2次車両廃車、新車へ切り替え
開業から13年。走行距離は600万Kmを越えた為、順次廃車
(181系は15年で350万kmで廃車になっている)
13年間の車両組み換えにより、廃車対象が各編成に散らばってしまっていて
編成変更計画が大規模となっているらしい
・阪奈間の輸送、近鉄の伊勢輸送
・欧州の鉄道事情と特急列車
最後にまたまた1977年から問題
今回は本誌(1977/2月号)の懸賞クイズをそのまま転載
『気動車のエル特急』は、なにとなに??(2列車あります)
答え
今回は書かないでおこう
当時のL特急一覧は本記事中に記載があるので参考に