舟木一夫
デビュー前年に酒のCMソング
~歌手を諦める条件での“初仕事”!?~
―後半に「船村徹記念館、閉館の動き」―
本題に入る前に―。春雨の後に初めて見える虹を「初虹(はつにじ)」と言います。空気中の水滴に日光が反射して発生する虹は、夕立の後によく現れるので夏の季語ですが、「初虹」は晩春の季語になります。七十二候の清明の頃(4月15日頃)に「虹始見(にじはじめてあらわる)」の一候があり、太陽の光が柔らかく弱い頃の虹で、まだ淡くはかない印象です。いよいよ春が終わりに近づき、夏に向かうサインでもあります。小林一茶の句に「初虹も わかば盛りや しなの山」があります。
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本題に入ります―。舟木一夫さんのファンの方ならご存知の話だと思いますが、私は完全に忘れていました。舟友さんのお一人から指摘されていなかったら、そのまま忘却の彼方に行っていたことでしょう。その話は、舟木さんが1963年に「高校三年生」でデビューする前年の出来事で、同郷の作曲家から推薦されて某酒造会社のCMソングを吹き込んだというものでした。
舟友さんから聞いてもすぐにピンときませんでしたが、しばらくして、そう言えばそんな話が確かにあったなと思い出しました。実はこの話はもう何十年も前に、ある雑誌(「明星」?)に連載されていた「小説 舟木一夫」の中で説明されていながら読み流していたものでした。ともあれ、私はこの話をもっと詳しく知りたくなり、自分なりにいろいろ調べてみました。今回はその結果をお伝えしようと思います。
舟木さんが学校法人愛知学院愛知高校2年生の時に話を戻します。舟木さんはまだ「上田(成幸)クン」「シゲちゃん」と呼ばれていた時代です。上田君は1962年2月、学友の強い勧めもあって、自分でも歌手になれるかどうかを試してみたいと思い、母親だけに知らせて、1958年から毎週月曜日(後に土曜日)午後に生放送していた地元のCBC(中部日本放送)の人気のど自慢番組「歌のチャンピオン」に出場しました。
第一週に松島アキラさんの「湖愁」を歌い週間チャンピオンに選ばれ、二週目に三浦洸一さんの「純愛物語」、三週目に神戸一郎さんの「慕情の街」を歌ってグランドチャンピオンになりました。この時の審査員の一人に、上田君と同じ愛知県一宮市出身で守屋浩さんのヒット曲「有難や節」(1960年11月発売。作詞・浜口庫之助)などの作曲家として知られる森一也(もり・かずや)さんが含まれていました。
実は、森さんは上田君が通っていた一宮市立萩原小学校と同市立萩原中学校の校歌の作曲家でもありました。上田君は3月半ば過ぎ、両親と一緒に森さんの家の門を叩きました。森さんにとって、上田君は真面目そうで好感が持てたので、テストをしたうえ、レコード歌手になってはいけないと訓戒しました。業界の厳しさを知っているから、森さんの門を叩いてくる青年には同じようなことを言っていたようです。
しかし、上田君は翌晩もやって来て、どうしても歌手になりたい希望を伝え、さらに翌々晩も訪ねて森さんの帰宅を待っていたといいます。森さんはその熱心さに加え、音程が正確だったのを買って、CBC 放送局で吹き込む予定になっていた愛知県岡崎市の酒造会社「丸石醸造」が造っている名酒「長誉(ちょうよ)」のCMソング「長誉音頭」(森さんが作曲、作詞は冨山紫峰)を手伝ってもらうことにしました。
「長誉音頭」は女性タレントとのデュェット。この女性の存在は調べても分かりませんでした。森さんはこの話を、同社発行の「酒味の雑誌 壺」(非売品)の1968年1月15日発行号に書いていて、CMの仕事は「これで歌手を諦めなさいという条件付きだった」ことを明かしています。そして「(作詞をされた研誠社の)寛容な冨山社長は、このアマチュア歌手に金三千円を支払ってくださった」と記しています。上田君は嬉しそうに学生服の内ポケットにしまって帰って行ったということです。
上田君は1年後の1963年6月5日、舟木一夫の芸名でデビュー曲「高校三年生」をリリースすると、あっという間に大ヒットしました。森さんは当時の社長ら関係者に「高校の制服でCMソングを歌っていた上田君を覚えていますか。あの青年が舟木一夫になったのですよ」と話すと、社長らは悪ふざけが好きな森さんが担いだのだろうと思って本気にしませんでしたが、事実であることを知って驚いていたと言います。
そのうち、週刊誌が「舟木一夫をコロムビアに推薦したのはモリ・カズヤという男で、彼の住所は…」という記事を出したため、それ以来、森さんの自宅前は歌手志望者が相次いで門を叩き大賑わいになり、古い郵便受けは殺到する手紙で壊れてしまいました。今の若い人には想像がつきにくいですが、当時の週刊誌は歌手ら芸能人の住所や電話番号を詳しく書いていましたから、古い人間にはそうだろうと分かります。
長誉館おかざき塾代表(当時)の深田正義さんは2009年11月12日付の東海愛知新聞に「このふるさとに生きる」というタイトルで記事を載せ、「コマーシャルに森一也作曲『長誉音頭』が流れ、4デビュー前の高校生、舟木一夫が初仕事として吹き込み、その後『高校三年生』が大ヒット。長誉の一級酒を飲んで歌謡ショーへ行こう!」と、活気の出た街に酒が浸透してゆきました」と記しています。
ところで、森さん作曲の歌では、舟木さんと青山和子さんがデュエットして1964年6月に発売した「織姫音頭」(作詞・城ゆたか)も載せておきます。「しあわせの星二つ」(作詞・冨山紫峰、作曲・上原げんと)のB面です。また、「作詞・冨山紫峰、作曲・森一也」で作った「結婚記念日の歌」も記しておきます。この曲は愛知県岡崎市鴨田町にある大樹寺の冨山家墓所に歌碑(下の写真)も建っているそうです。
今回のブログ掲載にあたっては、資料提供などで丸石醸造の深田英揮社長をはじめ社員の皆さまにも大変お世話になりました。この場をお借りして感謝申し上げます。有難うございました。
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<森一也さん>
1915年4月8日、愛知県一宮市出身。日本コロムビアの専属作曲家・音楽評論家。懐メロ解説の第一人者として知られる。幼少のころから詩人・西條八十の大ファンで、西條の童話に親しみ、毎晩母親から読み聞かせてもらっていた。1932年に一宮中学から明治大学附属中学に編入。その後、東京音楽学校(現・東京芸術大学)を卒業。戦後は雑誌社などを経てコロムビア専属の作曲家となり、西條との付き合いも始まった。西條は回想記で「名古屋に森一也君という、作曲をやったり、NHKの音楽解説をやったりする才人がいる。おまけにこの人はぼくの書いた物なら、詩であれ、歌であれ、散文であれ、なんでも辞引のように知ってる」と紹介している。主な楽曲は「吹雪の国境」(東海林太郎)、「恋慕しぐれ」(同)、「有難や節」(守屋浩)など。1998年2月1日、死去。アニメーション評論などで知られる森卓也さんは実弟。
西條八十さん
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<丸石醸造株式会社>
【名 称】
【事業内容】
清酒、日本酒、リキュールの製造・販売
【代表者】
深田英揮
【所在地】
〒444-0015 愛知県岡崎市中町6丁目3-3
【創 業】
1690年
TEL
0564-23-3333
FAX
0564-22-0539
丸石醸造は元禄三年(1960年)に愛知悔過岡崎市にて日本酒造りを始めました。以来330年以上の永きに渡り、日本酒を造り続けています。蔵のある岡崎市は、江戸太平の世を築いた徳川家康公生誕の地という古くからの歴史があり、一方では山と川に囲まれた、豊かな自然を感じられる土地です。
丸石の歴史は、初代にあたる投町三太夫が江戸活況の中、西から江戸へ続く東海道の往来により酒造りを伝え聞き、農地を得て大量の保有米を酒造りに生かし1690年に酒造業を興した事により始まりました。
明治時代に入り木綿業や銀行を興すなど事業を拡大しつつ、1900年に灘は西宮市久保町に蔵を造り灘の地にて酒造りを始めました。 当時は灘で造ったお酒を「長誉」、地元岡崎で造ったお酒を「三河武士」としていました。 その後岡崎にて焼酎、みりん、味噌、醤油造りなどを始め、蔵は隆盛をむかえます。 しかし太平洋戦争中の岡崎空襲により蔵のほとんどを焼失することとなり、戦後僅かばかり焼け残った岡崎市中町の味噌蔵を再築し日本酒造りを再開させました。
創業以来いろいろな事業を興す中で、始まりから今に続くものは唯一「日本酒」を造ること。その歴史を岡崎から後世に紡ぎます。
代表取締役 深田英揮
二兎
日本酒好きの間で大人気となっている「二兎(にと)」をはじめ、「三河武士」「徳川家康」などの銘柄を醸している愛知県内でも有数の老舗酒蔵・丸石醸造。2023年の岡崎市は、大河ドラマ「どうする家康」で大盛り上がり。さらに、丸石醸造にとっては、「干支がウサギ」であるだけでなく、「創業333年」という節目の年となっています。まさに奇跡的な巡り合わせです。18代目の蔵元である代表取締役の深田英揮さん、杜氏として酒造りを担う片部州光さん(下の写真)をお尋ねしました。
二兎二兎追うものしか二兎を得ず
二兎は愛知県以外の方にも丸石のお酒を飲んでもらえるようになりたいとの思いを込めて、2015年12月に産声をあげた新しい銘柄です。「二兎追うものしか二兎を得ず」をコンセプトに、「味と香」、「酸と旨」、「重と軽」、「甘と辛」、「入りと後味」、「複雑と綺麗」など、一見すると二律背反する二つのコトガラが最高のバランス・味わいになるように造っています。
二兎の共通の特徴は「新鮮さ」「後味の良さ」「食との融合」です。 新鮮さが、起承転結すべての場面においてスムースで安定した味わいを感じさせる事ができ、後味の良さが、心地よい物語の完結とともに次の一杯を要求させます。 そして二兎を楽しむ時、まずはお酒だけ、その後食事と合わせての2つのパターンをお試しください。食とのペアリングが二兎をさらなる高みへと羽ばたかせます。
「空気との触れ合い」「時間の経過」「温度の変化」によって様々な表情を見せる二兎は、1杯の華やかさより、1本を飲んで輝きをはなつお酒でありたいと考えています。
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船村徹記念館、閉館の動き
さすらいさんがお書きになっている武蔵野舟木組をリブログさせていただきまし
た。船村記念館が閉館されるそうで、残念です。
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