舟木一夫
2025年 80’ツアーコンサート曲⑰
「修学旅行」
―13日19時~BS日テレで映画「銭形平次」―
―後半に「八代亜紀回顧展」を見て来ました―
本題に入る前に―。数え年で13歳になる子供が13番目に生まれた菩薩である虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)にお参りし、大人になるための知恵と福徳を授かるよう願う風習が「十三詣り(じゅうさんまいり)」です。旧暦3月13日や月遅れの4月13日を中心に、主に関西地方で「智恵もらい」「智恵詣」として行われます。関西では京都・嵐山の法輪寺の十三詣りが有名。帰る途中で振り返ると授かった知恵を落としてしまうとされるため、寺の前の長い渡月橋を振り返らないようにしながら渡る姿は、京都の風物詩です。
東大寺 虚空蔵菩薩
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本題に入ります―。舟木一夫さんが「2025年 80’ツアーコンサート」の17曲目に選んだのは、1963年8月にリリースした2枚目のシングル「修学旅行」(作詞・丘灯至夫、作曲・遠藤実)でした。6月5日に「高校三年生/水色のひと」(同)でテビューしてからわずか2か月で2枚目のシングル発売です。B面は「淋しい町」(同)。この時点で舟木さんの路線=“学園ソング”がほぼ決まりました。
「高校三年生」が驚くほどの速さで爆発的なヒットをしたため、舟木さんはテレビ出演や雑誌の取材はもとより映画出演も決まり、2曲目を出す頃は文字通り目が回るほどの忙しさになっていました。1963年7月のある時、舟木さんが東北地方での仕事を終えて国鉄上野駅に戻ってきたら、ホームに日本コロムビアのスタッフ数人が待ち受けていて、「これからすぐにスタジオに入って欲しい」と告げられました。
舟木さんはそのままタクシーに乗せられて車内で歌詞と譜面を渡されました。スタッフは「すぐにレコーディングしないと発売日に間に合わない」と言います。新曲の打ち合わせもないまま、「修学旅行」の発売日が先に決められていたのです。作詞家、作曲家、編曲家も大変でしたが、歌手も舟木さんのように高校でクラシックの勉強をして譜面が読める下地がなければとても務まらなかったと思います。
デビュー間もない舟木さんの人気の凄さを表す数字があります。当時の若者が必ずと言っていいほど読んでいた「週刊平凡」の1963年9月5日号によりますと、舟木さんへのファンレターは1日約1500通。9割以上が女子高生で、山梨県に住む女子高生は「私の高校では流行歌は歌ってはいけないのですが、生徒会で舟木君の歌だけ許され、昼休みに教室中にあなたの歌が流れています」という一文を寄せています。
もう一つ。10月27日に愛知県一宮市の一宮体育館で「舟木一夫後援会発会式ならびに記念演奏会」が開かれました。1回目・午後1時、2回目・午後3時半、3回目・午後7時の計3回行われ、1回目は徹夜組200人を含む4000人が開演前に長蛇の列を作りました。ゲスト歌手は守屋浩さん、二代目コロムビア・ローズさん、高石かつ枝さんら。3回の公演で計1万2000人の観客を動員する大盛況の記念公演になりました。
大映映画「高校三年生」(監督・井上芳夫、1963年11月16日公開)が大ヒットしたため、大映は「修学旅行」も映画化しようと、当時舟木さんが所属していた堀プロダクション(ホリプロ、堀威夫社長)の担当者と打ち合わせを始めました。しかし、大映側の最終決定がなかなか下されません。しびれを切らした堀社長が映画化の話を日活に持ち込み、舟木さんの3作目の「学園広場」で撮ることで合意しました。
修学旅行と言えば、1958年に学習指導要領が改定された際、戦時中に中止されていたものが“修学旅行=教育活動”と位置付けられ活発化していきました。1959年4月20日には、日本初の修学旅行専用車両となる155系電車を使って、関東地区の中学生を乗せる「ひので」、関西地区の中学生を乗せる「きぼう」が運転を始めています。そんな中で生まれた舟木さんの「修学旅行」でした。
舟木さん自身の修学旅行と言えば、一宮市立萩原中学時代は京都、愛知学院愛知高校2年の時は北海道に行っています。舟木さんは中でも京都の落ち着いた雰囲気と社寺を含む街並みの美しさが忘れられず、いつか秋の京都の自然をゆっくり楽しみたいと思っていました。そんな舟木さんの夢を知った「月刊平凡」の編集部が、舟木さんの「修学旅行」の発売に合わせて企画を練りました。
「舟木クンの修学旅行 京都の秋」がそれです。雑誌を入手して中を見てみると、学生服姿の舟木さんが嵐山、金閣寺、龍安寺、南禅寺、清水寺などを回り、「みゆき旅館」に宿泊―というコースを満喫している様子でした。舟木さんは初めて泊ったこの旅館をいたく気に入り、その後、京都でコンサートなどの仕事がある時は必ずと言っていいほど「みゆき旅館」を定宿にしていました。
こんなことがありました。舟木さんが「みゆき旅館」に泊っていた時、トイレから廊下までいたる所に小さな文字を書き連ねた紙が貼ってあるのを見つけました。風呂場に貼ってあった紙は濡れないようにビニールでくるんでありました。何事だろうと女将さんに尋ねると、「今、お泊りになっている(萬屋)錦之助さんが映画の撮影中で、覚えなきゃいけないセリフをこうやって貼ってるんですよ」と教えてくれました。
舟木さんは長谷川一夫さん、大川橋蔵さんと同じように萬屋錦之介さんからも東映映画「一心太助 江戸っ子祭り」で挨拶をして以来、“時代劇のイロハ”を教えてもらいました。ともあれ、この一件で、錦之介さんも「みゆき旅館」を定宿にしていたことが分かりました。もっとも、ここは他の芸能人にも愛された旅館だったようで、美空ひばりさん、高倉健・江利チエミ夫妻(当時)らも定宿にしていたようです。
この旅館はその後、どうなったんでしょうか? ご存知の方は教えて下さい。
💛
八代亜紀さんの回顧展が東京・西武渋谷店で開かれています。興味のある方は下
の「akiraの徒然日記」でお読みください。
<八代亜紀さんの遺作は「想い出通り」>
八代亜紀さんの生前最後のシングルは、亡くなる9か月前の2023年3月15日にリリースされた「想い出通り」(作詞・悠木圭子、作曲・八代亜紀)。八代さんにとっては110枚目のシングルでした。八代さんの出世作「なみだ恋」を手掛けた作曲家・鈴木淳さんが2021年12月9日に虚血性心不全亡くなったのを偲び、妻の悠木さんが書いた歌詞に、八代さん自身が曲を付けたものです。ジャケットには鈴木&悠木夫妻宅で撮影された写真が使われ、背景には八代さんが油彩で描いた夫妻の肖像画が飾られています。
舟木一夫さんのファンなら、この歌のタイトルを見てすぐ分かります。舟木さんが31歳の1976年8月にリリースしたアルバム「レマンのほとり」に収録されている「想い出通り」(作詞・里中さとる、作曲・岩鬼まさみ)と同じタイトルです。作詞&作曲は舟木さんのペンムームで、舟木さんの“寒い時代”に作った自作曲です。舟木さんはこの歌を、偶然、八代さんが亡くなった翌2024年の通常コンサートのオープニング曲として準備していて歌いました。
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総力特集
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ひと目で分かるドラマ週間早見表
COVER LONG INTERVIEW
「ムサシノ輪舞曲」正門良規 特集/生誕70年 永遠のロッカー 西城秀樹
★連載③ 宝塚Stars 鳳月 杏(月組トップスター)
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佐久間大介・日村勇紀
広瀬アリス
山内惠介
彩風咲奈
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谷原章介
「パネルクイズ アタック25Next 出張アタック」 「西部警察PART-Ⅲ」放送直前!爆裂カーアクションSP特番
「鬼平犯科帳」と中村吉右衛門
★令和歌舞伎の花形役者
尾上右近
★連載
「決定版 別れと出会いの80年 三橋美智也」 舟木一夫
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」小芝風花
連続テレビ小説「あんぱん」今田美桜
「小田井涼平の温泉にゆこゆこ」
「名画座の最前列で。」小西康陽
「映画に耳をすましてみれば」文・多賀谷浩子
「調査報告 むチュー刑事」
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