【伏見稲荷ねえさんぽ⑦ニノ峰、青木大神→三ノ峰、白菊大神。ご縁起の不思議^^】 | 神さま仏さま「ねえさんぽ」と「あなたの世界をいきること」

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神様仏様、巡礼、登拝を経て「ねえさんぽ」で生まれた感動は、空海さんとの出会いにはじまり神仏さまとの結びへと繋がっていく旅の軌跡(主な巡礼地:奈良・京都・大阪・兵庫・四国)
あなたがいて、わたしがある
世界があって、わたしがある
そんなシンプルな道をともに生きたい

こんばんは!




@Rico です。




京都巡礼ねえさんぽ👣

伏見稲荷大社さん⛩️

稲荷山 七神蹟✨の続きね^^



※七神蹟については、こちらを参照↓



一ノ峰末広大神

こちらの場所から

ほどなくして、進んでいくと。。。



二ノ峰→こちらが、中社神蹟

の入り口付近。




失礼いたします🙏



中之社、青木大神



中之社の御祭神

佐田彦大神

→いわゆる、猿田彦大神の別名とされる説もあり、

 また、出雲の佐太神社御祭神(佐田大神)と同一とも

 されます🙏



猿田彦さまといえば、

ことあるごとに

さまざまな気づきを身近なものとして

私に差し示していただける存在です🙏



(神宮近く猿田彦神社の猿田彦さま⬇️)


(椿大神社の猿田彦さま⬇️)


→ほかの場所でも、アンテナ📡が

 ピピッと来るのですよ☝️(個人的にねグラサン


 

いつもありがとうございます🙏




さらには、

間ノ峰あいのみね→荷田社神蹟



荷田社 伊勢大神




千本鳥居⛩️に入る前のところで

ご挨拶させていただいた

荷田社さんと同様に

荷田氏の祖神をお祀りしているのでしょうか?


→伊勢大神というのが、

どこに繋がっているのか、興味深いです✨


荷田氏は稲荷社ができる以前から

稲荷山に住んでいた竜頭太(りゅうとうた)の子孫と

伝えられています🙏



※後から分かったのやけど、、、

 こちらの石造鳥居⛩️

 奴祢(ぬね)鳥居といい全国で二基のみです✨

→もう一基は、錦天満宮の摂社

 日之出稲荷神社⛩️さんの鳥居



(⬇️ 奇跡的に写真があったよびっくり



さらに、

この荷田氏を紐解いていくと

いろんな繋がりが見えてくるのやけど、、、


その話はまた今度❗️(できるのかw)




で。


今度は、

グングンと下っていき



いよいよ。

いよいよ。


三ノ峰→こちらが、下社神蹟



下之社 白菊大神




やっと、こちらまで

ご挨拶に来させていただくことができました🙏



たくさんの稲荷社さんを

お参りしましたが、

こちらでは初参拝とはなりますが、

よろしくお願いいたします。。。



🙏🙏🙏





もちろん、

こちら三ノ峰にお祀りされているのが


伏見稲荷大社の主祭神

宇迦之御魂大神




ありがとうございます🙏



なんやら、めっちゃ感動するよ。。。



なんやら

歩いた距離じゃなくて、

気持ち的に遠く感じていたものが

少しだけお近くに居させていただけた気がします。



してして。



伏見稲荷大社さんのご縁起についての話。


⬇️ ⬇️ ⬇️


和銅4年(711)に創祀されたといわれる

伊奈利社(現在の伏見稲荷大社)。

この年は、秦伊呂具が初代禰宜とされ、

伊呂具が伊奈利の神を鎮座させた日は、

和銅4年(7112月壬午とされています。


この秦伊呂具に関する説話が

『山城国風土記』逸文に記されており、

概要は以下のとおり。


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秦中家(はたのなかつえ)の遠祖である秦伊呂具(はたのいろぐ)は稲を積み上げるほど裕福で、餅を的にして矢で射たところ、餅が白鳥(しらとり)になり飛び去って山の峰に降りた。そこに稲が奈り生えたことから伊奈利(いなり)の社号がついた。その後、伊呂具の子孫は先の過ちを悔いて、社の木を抜いて家に植え祀った。その木が根付くと福がやってくるが、枯れると福はないとされたという。 
-----



さらに、

餅が白鳥と化したこと→白鳥は穀霊を意味する。

また、穀霊が降りたところに稲が生え、

建てられた祠は伊奈利社と呼ばれていて


裕福なのを奢って食べ物を粗末にしたことから

その穀霊の鎮祭として、稲荷山の杉の木を

家に植え祀ったという話になっています。


➡️ 風土記の後半部分は

 現在でも初午のタイミングで頒布される

「しるしの杉」の由来になっており、

 稲荷参詣が盛んになった平安中期以降、

 稲荷山境内の杉の小枝をいただき、枝に

 宿った神霊を家に迎える風習が定着したそうな。




で。




ビックリしたのが、

これらを深掘りしていくと



伏見稲荷大社さんのご縁起には

また別の説があって、、、

それが弘法大師空海さまと繋がってくる‼️


ということ。



なんともな話😲✨


→ここからは、多少マニアな話になってくるよグラサン


⬇️

先に参拝した

間ノ峰、荷田社さん。


その流れの荷田氏によるご縁起をみると、、、

(『稲荷鎮座由来記』「稲荷大明神流記」より)


-----
竜頭太は和銅年中以来100年におよんで稲荷山麓に住み、

昼は田を耕し、夜は樵(きこり)をしていた。

顔が竜のようで、顔から光を発するので竜頭太と呼ばれ、

姓は荷田といった。稲(田)を背負っていたからである。

空海が稲荷山で修行をしているとき、竜頭太が現れて

「我はこの山の山神なり」と名乗り、真言密教を授けて

くれるなら仏法護持のために尽くそうと誓った。

そこで空海は、竜頭太の顔を面に彫り、稲荷社の竈殿

(かまどどの)に守り神として架けた。 
-----


→竈殿といえば、前回の記事でご紹介した

 御膳谷奉拝所の山上祈祷所前の説明書きに

 ありましたよね❗️



この説話を裏付けるように感じる祭祀行事が

5月3日に行われる稲荷祭の還幸祭


この稲荷祭の内容と巡行内容をみると、、、


稲荷祭とは423日の「神幸祭」(しんこうさい)と、53日の「還幸祭」(かんこうさい)の2つを指します。


202353日の9時から、本殿内陣の各御簾五条に5個を結んだ桂の枝3本づつを懸ける葵桂奉懸の儀がおこなわれます。 美しく飾られた30数台の供奉列奉賛列を従えた五基の神輿は、途中東寺の僧侶による「神供」(じんく)を受けた後、14時に出発し、約2時間あまり京都市内の氏子区域をトラックにて巡行した後、ご本社に到着します。引き続き神輿よりご神璽が本殿へ奉遷され、無事の還御を称える還幸祭が斎行されます。


→葵と桂、さらに東寺😎



てなワケで、

長くなったので次回へ続きます。



では。


いつも、ありがとう^^



@Rico 



幸せは自分のために

世界が平和であるために