MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

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私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

今日の朝ミサで瀬田教会主任司祭小西広志師(フランシスコ会)の説教を聴いてこの『被造物の賛歌』を思い出しました。

 

説教の概要は:「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マコ16章15節)。本節は宣教が人間だけではなく、生きとし生けるものすべて、すべてに被造物に及ぶことを教える。被造物に対する見方、価値観を変えない限り宣教はできない。被造物は支配する対象ではなく、共存する兄弟姉妹。

 

 

事後的に知ったことですが、2019年7月29日は、岡村孝子さんがさい帯血移植を受けた日でした。それゆえ今年の7月29日がめぐってくると、岡村孝子さんにとっては「いちおう完治と言える目安」の「満5歳のセカンド・バースデイ」になるわけで、その日は大いに盛り上がってお祝いしようと、今から待ち構えています。

急性白血病公表の岡村孝子、現状と今の心境明かす | RBB TODAY

 

臍帯血移植を受けて完全寛解だそうです! | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

 

歌手の岡村孝子さんが、さい帯血を移植し退院へ|新着ニュース・プレスリリース・イベント|北海道ブロック血液センター|日本赤十字社 (jrc.or.jp)

 

岡村孝子さんに「ハッピー・セカンドバースデー!」 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

 

奇しくもその当日に、わたしがブログに骨髄バンクドナーリクルートで成果が上がったことを報告する日記を投稿していたことは、あとから知ってみると感慨無量でした。

 

その過去記事、ここに再掲しておきます。

 

(以下引用)

 

2019.7.29 献血ルームでの

      骨髄バンク登録促進活動

 

 先日来、「素寒貧状態のわたしにも、わずかながら起死回生の収入のチャンスが……」という話を、チラ見せ程度に書いておきましたが、今日は初めてその具体的な内容をご紹介します。

 「うつ病地獄」で返上していた「日本骨髄バンク説明員」の資格を、昨年春に五年ぶりに取得しなおして、登録促進活動への参加を再開した話は以前にも書きましたが、この六月半ば過ぎになって、急に、その「説明員資格」を生かした活動を、ただのボランティアとしてでなく、アルバイトとして(日本骨髄バンク臨時職員という地位に就いて)やらないか、との話が舞い込んだのです。

 これはもともと、日本骨髄バンクが今年の四月から始めた、「首都圏の(いや、「全国の」だったかな?)めぼしい献血ルームにアルバイト職員を派遣して、献血受付窓口のそばに張り付つかせて、ドナー登録促進活動をやらせる」という期間限定の試行事業だそうです。とりあえずは四月から九月までという期限つきの事業です。その「臨時職員」に空席ができたので、「長年説明員の経験のあるAkemiさん、やってみませんか」ということになったのです。

 それで、6月28日以来、毎週、土日祝日を含む週五日、一日五時間の勤務で、某献血ルームに派遣されることになりました。なぜ「土日祝日を含む」となっているかというと、献血ルームへの人の集まり具合は明らかに「土日祝」が平日よりも多くて、ドナー登録者が「釣れる」可能性も高くなるからです(そのため、お休みは必ず平日にとることになります)。

 仕事の内容は、日本赤十字社が開いている献血受付窓口の傍らで骨髄バンクドナー登録の呼びかけをやり、希望者が「釣れた」場合には、献血へ向かって進む時間の流れの一部を「拝借」して、当人に「骨髄バンク事業の趣旨と、ドナー登録者に課せられる課題」を手短に説明し、申込書を書いてもらい、日本赤十字社スタッフに後事を託す、というものです。

 骨髄バンク事業が開始された当初は、日本赤十字社は骨髄バンク事業の一環としてのドナー登録希望者の受け入れはするものの、献血の場を積極的に「ドナー登録啓発」の場として提供することはしていませんでした。そのため、献血ルームの常連でありながら、そこで骨髄バンクドナー登録も同時にできるのだということを知らない人が多く、「こんなやり方ではドナー登録者が伸びるはずがないじゃないか」と、ドナーを待っている患者家族などからは、「じれったい、じれったい。なんで日赤が積極的に動かないのか」との意見が、しょっちゅう出されていました。

 近年ではこの点はずいぶん改善され、全国の献血ルームには、「献血と同時に骨髄バンクのドナー登録もしませんか?」とのメッセージが、控えめながら随所に置かれる状態にまではなっています。ただ、その場に骨髄バンク専門のスタッフが居合わせないと、なかなかそのメッセージも気づかれにくい、という状態は続いています(問題の根本には、「特殊法人日本赤十字社」と「公益財団法人日本骨髄バンク」が別の組織であって、いちいち交渉しながらでないと、ものごとを前に進められないという難点があるのですが、……)。

 というわけで、今回のお役目のようなものが、日本骨髄バンクからわたしにも回ってくることになったわけですが、もともとこれは、献血希望者を窓口で受け付けて「検査用採血」→「本番の採血」へと進ませてゆく一連の流れの一部を「拝借」するやり方なわけですから、全体の流れをきちんと把握して、「どの人には、いついつのタイミングで骨髄バンクの話をもちかければ、有効か」ということを、つねに意識しながらやらないといけません。これが案外むずかしいのです。

 とりわけ、HLA検査用の血液の採取は、献血の事前検査用採血の針をいわば「借用」して、「同じ針から2ミリリットルだけを別の試験管に頂戴する」形でやってもらわねばならない関係上、ドナー登録をお勧めする呼びかけは、当の献血希望者が献血ルームに入ってきてから、受付を済ませて事前検査に呼ばれるまでの短時間にやらねばならず、この短い時間の中に「割り込む」のがなかなかむずかしいのです。また、勧誘が押し付けがましくなっては、献血だけを希望している人にとって「わずらわしい、うるさい」ものと受け止められかねませんから、ひとことあっさり声をかけて、相手の関心が向いてこなければ深追いは慎むという、引き際の潔さも必要です。

 また、「釣り」が成功して、骨髄バンク説明の機会が確保できた場合でも、それはあくまで献血へ向けての時間の流れの一部を「拝借」しているのだ、ということを心得ておかないと、とかく説明が長くなってしまい、下手をすると献血スタッフの側をいらいらさせることになってしまいます。

 というわけで、このアルバイト、やり始めてから三週間ぐらいにわたって、なかなかコツがつかめず、失敗ばかりしておりました。なかなか「釣り」が成功しなくて落胆したり、たまに「食いつき」が得られると、「食いついた魚を完全に釣り上げるために」と意識しすぎて、とかく話を長くするという、わたしが昔からよく人に注意される欠点がもろに現われてしまったり……。

 最近やっと慣れてきて、7月26日、27日、28日の三日間は、連日ドナー登録者4名獲得という「成果」が上がりました。それに先立つ7月25日にわが家に届いた岡村孝子ファンクラブ会報第126号に以下の自筆のメッセージが載っていたことも、後押しになったのかも?

 

     *     *     *

 

皆さん、お元気ですか?

私は……ひたすら前に向かって頑張ってます。

皆さんのお手紙、鶴、メッセージとても励みになります。

まだ写真でしか見ることができませんが、後ほど手に取る日を楽しみに頑張りますね!

部屋の中では、季節を肌で感じたり、できません。

長くて遠い道を進むことに、めげそうになることもあります。

でも今日を越えたら、きっとこの道の先に皆さんの笑顔が待っている!と信じて。皆さんもお体大切にして下さいネ。

負けないぞ。

            岡村孝子

 

     *     *     *

 

(引用終わり)

 

 

四つ葉のクローバー / 岡村孝子 Okamura Takako - YouTube

 

 

本日、4月22日(月曜日)、青山学院大学相模原キャンパスで開かれた献血会兼骨髄バンクドナー登録会は盛況で、骨髄バンクに新規登録してくださった若い学生さんが20名もいました。

 

それにつけても思い出すのは5年前の今月今日の、青天の霹靂のようなニュース。「岡村孝子さん白血病を公表。治療に専念するため、予定していたコンサートツアーは中止」。

 

急性白血病公表の岡村孝子、現状と今の心境明かす | RBB TODAY

 

あの年も今年と同じく、4月22日は月曜日だったことを鮮明に記憶しています。

 

というのは、キリスト教徒にとってはいちばん大切な祭日「復活祭(必ず日曜日と決まっている)」の翌日だったからです。復活祭の翌日の月曜日のことを「復活節第一月曜日」と言います。

 

復活祭そのものは「春分のあとの最初の満月のあとの最初の日曜日」という約束によって決まる移動祭日であるため、年によって日付けが変わり、今年の場合は復活祭は3月31日で、その翌日にあたる「復活節第一月曜日」は4月1日でした。

復活節第一月曜日 | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き (ameblo.jp)

 

というわけで、キリスト教の暦での意味づけは、今年の今日の場合は「復活節第四月曜日」となり、5年前の同月同日とは意味が異なるのですけれども、われわれ岡村孝子ファンのあいだで「岡村孝子さんのご快復を祈る記念日」であることに変わりはありません。

 

あと3か月余りでやってくる2024年7月29日は、岡村孝子さんの満5歳のセカンドバースデイです。みなさん、7月29日には盛大にお祝いをいたしましょう。

 

歌手の岡村孝子さんが、さい帯血を移植し退院へ|新着ニュース・プレスリリース・イベント|北海道ブロック血液センター|日本赤十字社 (jrc.or.jp)

 

[シンガーソングライター 岡村孝子さん]白血病から回復して2年9か月ぶり復帰コンサート……「もう、ダメかもしれない」と思ったことも | ヨミドクター(読売新聞) (yomiuri.co.jp)

 

岡村孝子 「天晴れな青空」(Live '02) (youtube.com)

バチカン市国の面積については、0.44平方キロ(44ヘクタール)という情報がよくみかけられますが、

バチカン市国 観光ガイド – 見どころ、行き方、モデルコース - Amazing TRIP (amazing-trip.xyz)

 

↓このサイトによると、それは誤りで、正しくは0.49平方キロ(49ヘクタール)だそうです。

バチカン市国の面積と大きさ【比較付きで解説】 | 世界雑学ノート (world-note.com)

 

つまり、約0.5平方キロ(50ヘクタール)、言い換えれば1000メートル×500メートルの長方形の面積とほぼ同じということですね。

 

それだけの小さな面積の中に、サン・ピエトロ大聖堂や教皇庁の政務関係のいろんな仕事をする建物、バチカン美術館などがひしめいているうえに、結構な広さの庭園もあると聞くと「ほんまかいな?」と疑念も湧きますが、この面積は、わたしにとって身近な世田谷区の公園と比較してみると、砧公園と、道路を隔てて隣接している大蔵運動公園とを合わせた面積にほぼ等しいものです。

世田谷区内の公園、面積・広さトップ10 | 世田谷ガイド (setagaya.guide)

 

あの敷地の中に世田谷美術館もあれば大きな体育館もあって、さらに、一周するとけっこう汗をかくサイクリング・コースもあり、さらにバード・サンクチュアリもあることを考えると、同じ面積をもつバチカンもさほど窮屈ではなく、外の喧騒から隔てられた祈りにふさわしい空間になっているものと思われます。

 

 

昨日(4月18日)、東京カテドラルで故・澤田和夫神父様の葬儀ミサが執り行なわれたそうですが、残念ながらわたしは別の用事があったので、列席できませんでした。

 

で、ご葬儀には列席できなかったけれど、その実況録画のようなものがYouTubeにアップされていはしまいかと、YouTubeで「澤田和夫神父」を検索してみました。

 

そしたら、残念ながらそういう動画はみつからなかったものの、代わりに、澤田神父様が山谷での暮らしを終えた際の「お別れ会」のもようを録画したものがみつかりました。

 

YouTubeにアップされたのがすでに12年前とのことですが、澤田神父が山谷で暮らしておられた時期というのはさらにずっと前のことでしょうから、録画が撮られたのは30年とか40年とか前のことだろうと思います。

 

澤田神父様 山谷とのお別れに(1/3) 『天守閣』 (youtube.com)

 

澤田神父様 山谷とのお別れに(2/3) 『山谷の裏道を歩きながら』 (youtube.com)

 

澤田神父様 山谷とのお別れに(3/3) 『天守閣で送別会』 (youtube.com)

 

わたしは澤田神父様のお顔を拝見したのは、たった一度だけ、それも遠目にでしたが、事情あって、澤田神父様の親族関係については、昔からかなり詳しい情報を得ています。

 

それによると師は、生まれと育ちの家庭環境はかなり恵まれたものでした。ご本人は、司祭になって以後、それについてはほとんど語ることがなかったようですが。

 

まことに私心のないかたであったと思います。