岡村孝子さんの事務所から発表がありました。
退院のごあいさつがあったのは9月20日でしたが、そのときは、これまでの闘病の経過についての報告はなく、ただ「退院」とだけありました。
が、昨日事務所から、治療経過についての内容を含む発表があり、臍帯血移植を受けて現在は完全寛解と診断されているのだということがわかりました。
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歌手の岡村孝子さんが、さい帯血を移植し退院へ|新着ニュース・プレスリリース・イベント|北海道ブロック血液センター|日本赤十字社 (jrc.or.jp)
じつはわたしは、骨髄バンクの宣伝に携わっている身でありながら、岡村孝子さんに造血幹細胞移植で治ってほしいとは思っていませんでした。だから率直に言って、「へぇーっ、受けちゃったの。でも、何はともあれ、それで完治に向かってるんなら、めでたいことだ」というのが、第一報を受けての感想です。
白血病治療において、造血幹細胞移植は、最後の決め手ではあるものの、受けずに済めばそれに越したことはないという、過酷な治療です。受ける患者にとって、移植前の「前処置」に入って以後の無菌室での闘病はたいへんつらいものだと、体験者はみんな言っています。それに、57歳という岡村孝子さんの年齢を考えると、移植を受けたがゆえに逆に命が縮まる可能性だって、無視しえない(相当に高い)割合で、存在したのです。「最後の決め手」は「最後の賭け」でもあるのです。
だから、薬剤を用いた化学療法だけで治ってくれるなら、それに越したことはないと、思っていたのです。「伝家の宝刀は抜かずに勝つことをもって上策となす。抜いて勝つのはあくまで次善の策」というのがわたしの持論です。
でも、同じく造血幹細胞移植でも、臍帯血移植の場合は、骨髄移植と違って、提供者側の都合との折り合わせをする「コーディネート」という面倒な手続きは介在しませんので、その点ではずっと話がスムーズに進みます。移植で行こうという治療方針が立った段階で、主治医が「臍帯血バンク」に既に現物として貯蔵されている「冷凍臍帯血」のHLAデータにアクセスし、患者のHLA型と適合する「冷凍臍帯血」が存在することがわかったなら、とりあえずそれを予約的に確保し、あとはこれまでの患者さんの治療経過を踏まえて最適な移植時期を選び、いよいよ移植という時に、必要な医療資源として「冷凍臍帯血」の提供を受けることができます。
だから、同じく造血幹細胞移植に頼るのであれば、可能なら骨髄バンクよりは臍帯血バンクに頼って治るほうが、患者にとって精神的ストレスが少なくて済みます。(骨髄バンクだと、ドナー候補者は現われても、本当に提供まで至ってくれるのかどうかはコーディネートの進み具合に依存するので、最終同意が得られるまで、ずっと気を抜けないのです。)
最近、骨髄バンクを通じた造血幹細胞移植よりも臍帯血バンクを通じた造血幹細胞移植のほうが実績として伸びているのは、冷凍臍帯血のストックが充実してきたことだけによるのではなく、コーディネートが患者に与える精神的ストレスがなくて済むので、主治医もなるべくならそちらを選択するようにと、患者に勧めているためと思われます。
ただ、臍帯一本分から採れる造血幹細胞の量はさほど多くないため、子どもや体格の小さい人には適用できても、大柄な人には適用できないというのが、ネックになっています。
幸いにして、岡村孝子さんは、わりと小柄な人です。ファンクラブ限定握手会で、一度だけ目の前でお会いしたことがありますが、日本人女性の平均身長158センチよりは少し低いんじゃないかと思えました(155~6センチぐらいかな?)。体重のほうも、若いころのような極端な痩せ型ではなくても、依然ほっそりしているから、50キロあるかないかでしょう。それで、臍帯血移植を選ぶことができたんですね。よかった、よかった。
(以下は余談です)
2002年だったか、ファンクラブ会員限定の「握手会」に行ってきたわたしが、「岡村孝子さんって、思ったより小柄な人だった。コンサートのとき、ステージでの彼女を客席から見ていると、もっと大きく見えるのに」と、ある人に打ち明けたところ、その人から「孝子さんの姿を大きく見せているのは、あなたの心ですよ」と言われました(笑)。
(追記、その2)
「あみん」時代のステージを知っている人は、加藤晴子さんと比較することで、岡村孝子さんが比較的小柄な人であることは、わかっていたようですが、なにせわたしは、ソロになってからの岡村孝子ファンですので、不勉強でして……(笑)。