MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

私は、イタリア児童文学が大好きで、皆既日食も大好きで、足摺岬も大好きな、団塊の世代に属する元大学教員で、性別はMTFです。季節の話題、お買い物の話題、イタリア語の勉強のしかた、新しく見つけたイタリアの楽しい本の話題などを、気楽に書いていこうと思っています。

フランシスコ会が運営しているカトリック瀬田教会の聖堂には、今はシチリア島に住んでいるナミカさんが数年前に描いた聖フランチェスコ(フランシスコ)と聖キアラ(クララ)の絵があります(聖ヨセフの像と告解室がある小空間の、窓際の壁に掲げてあります)。

 

そこにお参りして思い出したのですが、聖キアラはテレビの守護聖人なんですね(「受像装置」の意味ではなく「遠隔画像送受信技術」の意味)。彼女が病気でクリスマスの祝典にあずかれなかったとき、幼子イエスさまにその悲しみを訴えたところ、自室にいながらにして、壁に映し出された映像を通じて祝典にあずかる恩寵を賜ったとの言い伝えがあります。そのため、遠くにあるものをありありと眼前に見せてくれるテレビジョンというものが発明されて以来、それを扱う人々には彼女のご守護があるということになったようです。

Santa Chiara

 

今日知ったんだけど、1253年に亡くなったアッシジの聖クララは、テレビの守護聖人なんだって。ミサに出席できないほど病気の時、部屋の壁にミサの様子が見えて聞こえたらしいから。 : r/todayilearned

 

そのときの「壁に映し出された」というのは、壁面をスクリーンにして映画が上映された場合のようにだったのか、それとも奥行きまで含めて、壁面そのものが窓になったかのような在り方だったのか、気になるところですが、わたしは後者だと思いたいです。

 

もしそうだとすると、今のテレビ技術もまだそこまでは発達していないので、聖キアラに「あなたのご覧になったのと同じような在り方で、遠隔地の情景をリアルタイムで視ることを可能にしたいので、よろしく、よろしくご助力ください」と祈ることは、有意義なことだと思えます。

 

で、わたしもそのようにお祈りしてきました。

 

”製品化が視野に入り始めた「完全な三次元映画」” | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

 

最近、わたくしとつれあいの住んでいる老朽化した住宅に代えて、次の世代の者たち2人が、土地を二分したうえでそれぞれの家を建てようという計画が進行中です。完成したあかつきには、わたくしどもの世代はそのうち一方の、二世帯住宅として建つ建物の中に隠居として住まわせてもらうことになりますが、そのスペース以外の設計は、次世代に任せて、わたくしどもはつまらぬ口出しはせぬことにしています。

 

が、関心はあります。

 

昨日も、その当事者2人がわが家のリビングにやってきて、建てる住宅との関係で生じてくる相互の土地の使い方に衝突がないようにと、調整作業をやっていました。

 

その際、一方のほうが、自分の側の建てる予定の住宅は、季節ごとの朝日や夕陽がどちらの方向からどのくらいの高さで差し込んでくるかを考慮しつつ、ベランダの位置などを検討していると言って、その設計図を見せてくれました。

 

季節ごと、時刻ごとの太陽の光線の射し込んくる方向と、それによって建物がどのように影を落とすかなどは、このごろのことですから、住宅業者がコンピューターで計算したものを示しながら、作業を進めてくれているようですが、想定する季節と時刻を短時間で(わずか数秒で)変えつつ、時々刻々の太陽光の射し込みようを素早くシミュレートするには、依然として天球儀(とりわけ透視天球儀)を使ったほうが手っ取り早いなと、アナログ世代のわたしは感じます。

 

そこで、3年前に人さまに古代以来の素朴な位置天文学と暦との関係を一目瞭然にわからせる目的で、市販の透視天球儀をベースにしつつ自己流に台座をつけた「北緯35度40分あたりの空をシミュレートする透視天球儀(二十四節気に相当する黄道上の太陽の位置を、黄色いラベルを貼って、強調してある〔注〕)」を、卓上に持ち出して、次世代の2人が差し出す設計図と比べながら、「ここのベランダには夏は朝食ごろの時間帯には朝日がよく入るけど、午前10時ぐらいには、太陽は天頂近くに行ってしまうから、ベランダには射し込んでこないねえ」などと、逐一説明してあげました。

 

天空を模した道具としては、現代の透視天球儀に相当するものとして江戸時代までは「渾天儀」というものが使われていましたが、

渾天儀 - Wikipedia

このごろはそれに代えて、天空をシミュレートするといえばほとんどもっぱら「プラネタリウムに行けばいい」という話になってしまっています。

 

でも、プラネタリウムは、それが設置してある科学館みたいなところに行かないと鑑賞できず、思い立ったときにすぐさま確かめうるものではありません。そのうえ、各プラネタリウムにはその日その日の科学館側の決めた上映プログラムというものがあって、個人が「この日の、この時刻の空を見せてください」と注文して、すぐに見せてくれるものではありません。

 

さらに、天球を内側からながめるようになっているから、外からしか眺められない天球儀よりも実感が湧くと多くの人が言うけれども、それは鑑賞していて美的に楽しいという意味であって、暦との関係などを探索するためには、むしろ外側からながめる天球儀のほうが、わかりやすいという点も、多々あります。

 

だからわたしは、今のような時代でも、科学教材としての天球儀(とりわけ透視天球儀)は、もっと活用されるべきだと思います。

 

目下の日本では、国産品のかつての製造業者が生産から撤退してしまったようで、透視天球儀としては中国製の粗悪なものしか売られていませんが、もっと科学的で教材として優れたものが、国産でふたたび作られるべきだと思います。

天球儀は極軸の傾きを変えられるものでなけりゃ、話にならない | MTFのAkemiのblog イタリア児童文学・皆既日食・足摺岬が好き

 

 

 

〔注〕黄道上、二至二分(春分、夏至、秋分、冬至)の位置には大きな丸、四立(立夏、立秋、立冬、立春)の位置には中くらいの丸、それ以外の16個の場所には小さな丸のラベルが貼ってあります。

 

 

わたしのブログの、ずっと昔に書いた記事なのに、いつもコンスタントに多くのアクセス数をいただく記事として、↓この記事があります。多くの方が疑問に思って、正解を探しておられるのでしょう。

 

大切なことなので、リブログしておきます。