2024年2月 岡山市 北区畑鮎 畑石鉄神社(奥院) | 旅する石鎚信仰者

旅する石鎚信仰者

やはり石鎚山は素晴らしい。

岡山県岡山市北区畑鮎に畑石鎚神社がある。

この畑石鎚神社の参拝は二回目で前回の参拝は2017年7月の事である、そしてこの

畑石鎚神社入口には立派な由緒が記されていて一節に次のように記されている。

「寛文年間に藩主池田綱政により金山寺に移され、その後潮満橋西方の山に石鎚山

行場の再現としての地を選び祭祀されております。この山は鎖行場三ヶ所 垢離取り

のお滝行場もあります。」と記されている。

大変興味深い内容であり前回参拝時も、この石鎚山の情報を探すが全く見当がつか

ずほぼ諦めていたところであった、そして最近になり一冊の岡山県の古い文献の存在

を知りこの石鎚山の事が記されている、しかし位置情報がはっきりと記されてなく場所

の特定には至らない内容であるが、よく解読するとこの畑石鎚神社の後方裏山が由

緒に記される石鎚山であると考えるとすべてが一致する事に気が付いた。

そして今回、畑石鎚神社を再訪問、予想通り石鎚神社裏山中腹に鎖場と奥宮を発見

する事が出来た、鎖場は石鎚神社本殿裏から山頂に向って続く険しい大岩群の左側

を沿うように掛けられてあり、入口は石鎚神社入口横であるが踏み跡も印も無く雑木

林の中に入って行くと現れる感じである、そして鎖を登り切った大岩の上に小さな社を

発見、ここには摩利支天の石仏が祀られていた、何故、石鎚蔵王大権現ではなく摩利

支天なのかは分からないが畑石鎚神社の奥之院で間違いない様である。

この畑石鎚神社奥院へ至る鎖場ルート、かなりの急傾斜の岩盤にあり、足がかりも無

く危険極まりないところであるが、巻き道経由で奥院へ行く事もできる、巻き道周辺に

は大岩が幾つもあり要所には祠も祭られていた。

この畑石鎚神社の三段の鎖、素晴らしい規模であるがこれも先人の石鎚山に対する

思いの表れであり、この地に石鎚信仰が繁栄している証である。

 

 

 

 

 

 

 

 

岡山市北区畑鮎の畑石鎚神社

 

すばらしい石鎚神社である

 

石鉄山蔵王大権現

 

護摩が焚かれている様子

 

入口に掲げられている由緒

この由緒から鎖場がある石鎚山の存在を知った

そしてこの「潮満橋」情報は何も得られなかった

 

由緒に記される「潮満橋」とは直ぐ前のこの橋の事だろうか

 

参道途中にある石鎚神社社務所

 

最上段の本殿へ

 

階段を登り左側から入る

 

畑石鎚神社の神殿

 

石鎚神社修験道場とある

 

鎖場は石鎚神社本殿の左上にある (写真中央奥)

 

草木を分けて入るとロープが結ばれた木がある

鎖ルートはロープを無視して右上へ

そしてロープ沿いに登って行くと巻き道で奥院へ行ける

ロープに沿って直登りすると左に虚空蔵菩薩が祭られた大岩にたどり着く

左から上に上がり右方向へ薄い踏み跡を進むと奥院横に出る

 

ロープを無視して右奥へ登ると正面に大岩が見えてくる

 

一枚岩の岩盤に掛かる鎖が現れる

 

先端は腐って失っていた

 

山頂方向に連なる大岩沿いに鎖は掛けられている

 

岩盤に掛かる長い鎖の先には梯子がある

この梯子を上ると三の鎖を登らず右から大岩を巻いて奥院へ

 

そしてここでニの鎖と三の鎖が交差している

 

三の鎖の先端には鉄リング

 

三の鎖は垂直で登れない

 

鎖の強度も当てにならない事からここは巻いて登る

 

見下ろすと険しい環境に作られている

 

奥院はこの大岩の上に鎮座している

左から巻いて登ると問題なし

 

鎖を登り切った所にある奥院

 

社に「摩利支天王」とある。

 

石仏上部に摩利支天

台座正面に「昭和四年十ニ月十五日 下石井 有本信吉」

 

奥院前に鎖の端部が打ち込まれている

 

奥院は畑石鎚神社の方向を向いている

素晴らしい規模の鎖は先人の石鎚山への想いが表れている

「やはり石鎚信仰はすばらしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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