一般大学には、「オープンキャンパス」ってのが有るけど、個人レッスンがメインになる音楽大学においては、「学校を選ぶ」ってより、『先生を選ぶ』って言うか、イチバン重要なのは「先生との相性」ってになるわけで、学校の設備や雰囲気も大事だけど、実際にレッスンを受講してみない事には実際のところは判らない。


・・・というわけで、音大には「受験準備講習会」なるものが有って、受験希望者はソルフェージュや楽典、また希望の先生の個人レッスンを受講して、大学の雰囲気を体験する事が出来ちゃう。 大抵は、夏休み&冬休みに行われる「夏期講習」と「冬期講習」って事になるんだけど、洗足学園音楽大学には敬老の日を含む3連休(2008年の場合)に「秋期講習会」なるものが開催される。 これは、推薦入試、一般入試のほかに「AO入試」の設定が有る事も大きいんだけど、兎も角そんなわけで出勤してきたわけです。


6人レッスンした内、ピアノ科志望の子は3人(全員2年)だったんだけど、特に「ハジメマシテ」の2人はかなりレヴェルが高くてびっくり。 主科以外の3人(全員3年)も真剣に音楽と向き合ってて好印象で、ホクホクでした。


その後は、山本貴志くん、笠原智廣くんなどとゴハン。 メチャメチャに美味しい貴腐ワイン(ハンガリー)を頂きました☆ 貴腐ワインって、それはそれはもう大好きなんだけど、今回のはウルトラスーパー大ヒットでした。



音譜 information
 
公演詳細&他の公演に関しては ≫ http://www.ajima-net.com/

噂によると、アジマさんは色んな楽譜を見るのはお好きなようですけど、違和感を持ってる楽譜も少なくないようですよ? ・・・ってなわけで、前回書いたナショナル・エディションの続き。 この楽譜、「作曲者の意図に忠実に」ってのが売りの楽譜なんだけど、『ホントかよ!』って突っ込み入れたくなっちゃう箇所もテンコ盛り。山盛り過ぎちゃって全てに言及する事は出来ないけど、例えば、ソナタ2番。



1楽章のラスト(240小節目)の変ロ(B-flat)の音。パデレフスキ版と比較すると1オクターヴ下げてあるんだけど、注釈見ると「もしショパンの時代のピアノが現在と同じ88鍵だったら下げて書いていただろう」・・・みたいな事が書いて有んの。 おいおいおーいビックリマーク


そりゃ、楽譜に書いてある音を「わざと」下げて弾く事だって有るよ? 例えば、ベートーヴェンの「テンペスト」ソナタを弾く時に、3楽章の43(&270)小節目の左手を楽譜に書かれてるより1オクターヴ下げて弾くようにしてるんだけど、それは「楽譜とは違う」事を意図しながら下げてるわけで(シャーマー版は「下げても良いんじゃない?」って書いてある)、元の楽譜を勝手に「こうだろな」って変えちゃうのってどうだろなあー って思う。人の事は「勝手に変えちゃいかんビックリマーク」とか言っときながら、自分では変えちゃうエキエルって一体ガーン笑。



上記のショパンのソナタの1楽章ラスト部分だって、今までの楽譜を見てた人でも、「もし88鍵だったら・・・」って考えて「自主的に」下げる人は少なくなかった。僕が弾く時はどうかって言えば、ベートーヴェンの「テンペスト」の上に書いた箇所では楽譜の音を1オクターヴ下げるけど、ショパンの葬送ソナタの1楽章のラストは下げない。それは、下げて弾くと倍音がキレイに響かない気がするからで、「たとえ88鍵有ったとしても、そうは書かなかったんじゃないか?」って風にも思うから。大事なのは、「作曲者の書いた通りに印刷して、あとは演奏者の解釈に任せる」って事だと思う。 このナショナル・エディションって、ホントに「任せてくれない」。付点のリズムはこう、この音の取り方はこう・・・みたいに、巻末の冊子には演奏法に関する注釈がテンコ盛り。そんなの読んでると、お前らどうせバカなんでしょ? だから親切にここまでしてやってるんだよって言われてる気分になってくるし、意地でもその通り弾いてやるもんかって気分にもなってくるむっ笑。



そんな事を言いつつも使ってるナショナル・エディション。 前回日記で触れた、マズルカの曲順をはじめ、ピアノを弾くからには「作曲者が書いた本来の姿を知りたい」って思うのは当然でしょ? だから最新の研究の成果は気になる。けど、「エキエルをはじめとする、『研究者の解釈』はスッキリ洗い流したい」から、その辺りは自分の目と耳を頼りに・・・



ナショナル・エディションって、音符の隙間から、編集者のワタシがいつも正しい、従いなさいってオーラがプンプン出てる感じ。 折角良い所も沢山有る楽譜なのに勿体ない気がするな。

今まで、ショパンの曲を弾く時は基本的にパデレフスキ版を使ってたんだけど(ペータースは論外だし、ヘンレ版のショパンの楽譜も好きじゃないので)、現在も刊行の途にある「作曲者の意思に忠実」というフレコミのナショナル・エディションは、今まで慣れ親しんだ楽譜とは、音とかフレーズとか、果ては曲順まで違うんだから、頭の中がプチ・パニックになる事もあせる

今回のリサイタルでは、ショパンのマズルカと葬送ソナタを取り上げる事にしたけど、楽譜はこのポーランド・ナショナルエディションってのを使ってる。例えば、作品33のマズルカは、従来の楽譜は、「嬰ト短調、ニ長調、ハ長調、ロ短調」ってなってるんだけど、ナショナル・エディションは「嬰ト短調、ハ長調、ニ長調、ロ短調」って事で、2曲目と3曲目が入れ替わってる。 ショパン社から出版されてる下田幸二氏の「ショパン全曲解説」って本を見ると、作品33のマズルカの項にこうある。

 
『作品33の4曲は、自筆譜では嬰ト短調、ハ長調、ニ長調、ロ短調の順(初版も一部を除いてこの順番で出版)になっているが、それに誰かの書き込みで順番の変更があり、それによって現在の嬰ト短調、ハ長調、ニ長調、ロ短調の順番での出版が一般化した。この変更がショパンの意思であったかは不明だが、前後のつながりを考えれば、妥当と言える。』

 
うーん、これってどうなんだろ。 「ショパンの意思であったかは不明」でも、前後のつながりが良ければ勝手に変えちゃっても「妥当」なの!? って思っちゃうんだけど。 音も、フレーズも、「こっちの方が自然に聴こえるから」って風に後世の人が書き換えても、『妥当』になっちゃうの?
 

・・・次回に続く音譜