愛染恭介のやぶからぼう日記 -86ページ目

沸点

以前私がお世話になっている三鷹のバイユーゲイトの有さんがこんな話をしていた。

彼はミュージシャンだけではなく、ボクシングのボクサーの応援・サポートなんかもしている。

今や全国的に有名人となった内藤大助選手は、その長いキャリアの中常に良い試合をしてきたにも関わらず、

ほとんど注目されることもなくファンは歯痒い思いをしてきたそうだが、これまたボクシングファンには元々評判の

悪かった亀田一家と対戦することになって一躍有名人となった。きっかけはどうあれ、

日本のボクサーのファイトマネーはとてもシビアらしく、注目を浴びることは選手生命を維持する上で大歓迎なことだ。またミュージシャンの世界でも、インディーズではがんばっても1000枚のCDを売るのが精一杯のバンドが、何かをきっかけに100万枚をセールすることがあるらしく、桁をはずれたうなぎのぼり的注目度には

「沸点」のようなものがある、と言っていた。


さてベルクも立ち退き騒動という、本来あまり歓迎されるべきではない由々しき事態で注目を集めることとなってしまった訳なのですが、幸か不幸かルミネ側から10000名を越える署名に対しての回答なく態度をも変えないことにメディアが続々注目してくれるお陰で、店も毎日お祭状態の忙しさ。

しかも日刊サイゾーやmixiのニュースで扱われた先日、ベルクのホームページのアクセスが

80000件!東京ドーム2個分のアクセス(←フテキセツ、でも言ってみたかった!)という以上事態に。

ネットでのメディアの力を思い知らされたのです。しかし、この数字が物語るのはベルクという店自体が

注目されているというよりも、いろんな人が自分の身に置き換えて自分の周りの街のことや、自分のお店のことや、大企業のあり方や・・・あらゆる思いの集約されるところなのでありましょう。

だからこれだけの数字の方に知られることになれば、当然いろんな方が出てくるわけで、

ベルクに一回も足を運んだことのない方からの激励や疑問やらを投げ掛けられ。

だからこそ、今我々スタッフは冷静さと何をどう伝えるべきかの焦点を持ち合わせねばならない・・・

って、ただ日々店を切り盛りするだけなんだけどね。

ふと、これが沸点か、と思った。この人の勢いというものに正直戸惑いと脅威を感じずにはおれんです。

しかしほとんどが応援してくれる声なので本当にありがたいです。


話は変るけど、回りには本当に良いミュージシャンがいっぱいいる。友人たちの音楽にこそ沸点が訪れて欲しい。え?私の音楽はそれに便乗するんでいいよ!


でも12・11は「沸騰」を願ってます!!

12/11(木)吉祥寺MANDA-LA2

出演:愛染恭介&大西英雄/崔在哲(チェ・ジェチョル)from木蓮

~唄とギターとドラムとピアノとチャンゴ

open18:30 start19:30 charge\2000(+1drink)




覚え書2 呻吟ブルース

ブルースというものにわざわざ呻吟をつけるまでもない。

この二重に重い言葉を繋げたわりには軽いサウンドは、単にsingingとかけたという軽率なノリもあるが

モノマネだけの薄っぺらいブルースをやるくらいだったら、

本当に胸のつかえをとるような、自分のブルースをやるしかない。

まあ自分の軽い存在にはおあつらえ向きなブルース。


それにしても偉大なブルースマンにはどうして盲目の人が多いのだろう。

黒人が大統領になることが考えも及ばなかったろう時代の、社会的立場が弱い上に盲目という

黒人がやれることはブルースぐらい・・・と言うのはたやすい。

韓国の「風の丘を越えて」という映画があった。パンソリ(伝承歌)歌手を旅をしながら

歌い手である娘をホンモノに育てるべく、その師匠である父親が道中少しずつ食事に毒を盛って

失明させてしまう。そのことによって引きかえに無常を手に入れ、

歌を手にいれ一人前のパンソリとなっていく壮絶な映画だった。

漢字の成り立ちをひもとく「文字逍遥」(白川静)の中に、「音」についてこう書かれている。

音こそ、霊なるものの「音づれ」=「訪れ」であると。

中国でも古い時代、神に仕える者には盲目の人であることが多い、とある。

「左伝」という古事記によれば、ある戦で「南風競はず」として楚の敗北を予言した聖者が

南北の歌声を聞いて戦いの勝敗を知ったという。神の声はあらゆるものの音を借りてその意を

示すことができた-こんなものを読んでいたら・・・

盲目のブルースマンたちも、目が見えないことで単に音に敏感であった、なんていうレベルではなく

声なき声、音が聞こえたに違いない。

あ、以前にも書いたけど日本にも瞽女(ごぜ)という存在がいたそうな。

神の姿は肉眼でみえるものではない。ただその「音なひ」を聞くことができた。


映画「ブルース・ブラザース」の二人はいつだって夜だってサングラスをかけていた。

そうやって闇のなかでブルースをさぐってたんだ!

愛染、出直してきます。


愛染恭介大西英雄12/11(木)吉祥寺MANDA-LA2 LIVE!!

商店が、いー!

先日埼玉のライブには、フライヤに「ベルクを救え」のサブタイトルが入っていた故、

ベルクの為のイベントと思って若き商工会の方がお客さんで来た。

彼は全国的に消え往く個人店に憂いを抱き、自分が管轄する地域の商店を発展させるべき

あらゆるアイデアを持っているようだった。

ベルクのことも噂で聞きつけ、店に下見に来たし、店の売り上げ来客数から単価率を割り出し

「意外と安いんだなあと思いましたよ」と訳知り顔で言ったりしてた。

こういう人と話していると微妙に温度差を感じる。

確かに商品のアイデアとか原価率計算とかは大事だけど、一番大事なのは日々の現場での感覚だ。

周到に練られた計算値はあくまで雛形であって、現場にいればどんどん変化せざるを得ないことが多い。


ベルク本で店長も触れているけれど、個人店には良いところもあるけれど、

弱点もいっぱいある。土地を持っていたり危機感もなくゆる~くあぐらをかいている店も多いわけで、

大手に見習うべきところはたくさんある。逆に大手が個人店に見習うべきところもあるとは思うが。

ベルクだって18年経ったいま、「個性的」とか云われるようになったけど

最初は大手にひけをとらない、「なんかこの店、しろうとくさ~い」といわれないように

表向きはったりをかましつつ、いろんな店の技を盗んできて自分達のものにした。

大手にある「安心感」を手にいれるべく、必死だったわけで個性なんて考える余裕もない。

でもチェーン展開する以前の店には「実験する」という特権があって、それが店を個性的に

するのかもしれない。すぐ廃れたアイデアもあれば生き残ってきたアイデアもある。

もちろんそこにはお客さんのダイレクトなジャッジを受け取れる現場あってのこと。


そんな仕事とは関係なく、ああいう駅ビルで働いている反動があるのか

時間があると商店街をうろつくのが趣味になってきてしもうた。先日は

都内でも有数の大きさを誇る武蔵小山の商店街。

目蒲線のこの駅に降り立つと、いまどき珍しいくらいデパートや大きなビルがない。

その代わり立ちくらみするくらいの長~い商店街が続き、商店街萌え(←古い?)には「キャーjert

なのだ。そして老若男女人がいっぱい。生きてる生きてるぞよ!この商店は、と長老のように

あごひげを撫でるのであった。その証拠にコンビニが一軒もない!

あの巣鴨の地蔵前商店街でさえコンビニはあるのにこの徹底さである。

各分野のお店が機能(機能せざるを得ない?)しているのだ。

そして夜の街もばっちり。いかがわしい飲み屋街の中には、一杯300円のラーメン屋もあって

さすがに怖れおののいたけれど、飛び込んだ居酒屋も出汁がおいしい料理を出す当たり飲み屋だった。

どこかのベルク本の書評の中に、いいのがあった。

今、世界的に街がチェーン店化する中で、ヨーロッパの大都市の中には個人店を

誘致するところもあるらしく、それが新しい都市のモデルになるだろう、的なことが書いてあった。

まさしくそう思うよ!!