愛染恭介のやぶからぼう日記 -87ページ目

さいばん!

先日、裁判というものをはじめて傍聴しに行ったよ。

我がベルクと同じフロアにあるベルパーク(ソフトバンク代理店)とルミネによる訴訟。

もちろんベルクにとっても他人事ではない裁判で、かなり重要な公判であったのだけど

内容はここでは控えさせて頂くとして・・・

面白かった!!


当事者には申し訳ないけど、こんなスリリングなやりとりは下手な芝居を見にいくより面白い。

無料だし。弁論する当事者たちの緊張度は予想を越えるものだろうし、

一語一語に間違いがあったら、その審判の左右に影響を与えかねない、という緊張感が

傍聴するものにも伝わるから一言も聞き逃せない。

そしてそこには下手な感情論も入りこむ余地がないはずなのだが、

被告・原告双方の弁護士に質問の仕方には、キャラクターの違いはあるが

何か心情的に煽るような窮地に追い込むような声のトーンがある。

シビアなかけひきがこちらの足りない脳を刺激する。


どんな悪行も、ものの言い方ひとつで正当化される可能性があるし、

冤罪を科せられそうな被疑者も、裁判の前にマスコミが黒と言ってしまえば

既に社会的に黒になってしまう。

もし、そこで少しでも疑問符が浮かぶ裁判があったなら、

時間が許されるかぎりその裁判にかけつけるのもいいかもしれない。

もちろん傍聴するものにはその場では何の効力もないけれど

世論の一つとして少しは判決の行方のテコ入れになるかもしれない。

 

しかし弁護士ってのは最高の役者だと思ってしまったよ。

その人個人の本心とはよそに、

依頼者のために相手を社会的に不利な立場に追い込む努力をする。

こりゃ詩のボクシングよりも壮絶な言葉のボクシングだ。


MOJOでSOSO

突然ですが明日10・23(木)バンドSOSOライブです!

所沢 「MOJO」 open19:00 start20:00

          投げ銭ライブ お通し¥500+1オーダー


所沢MOJO Tel.04-2923-3323

        http://www.mojo-m.com →ABOUT USをクリックすると下の方に地図記載


まだできて一年くらいのハコらしく、普段はレストランバーのようですが

今月あのブラジルの鬼才マルコス・スザーノがライブしてるよ!

レニーニ&スザーノの「魚眼」は愛聴盤だし、ソロCD造りでの参考(あくまでも参考ね!)にさせてもらっている

一枚でもある、そのマルコス・スザーノ・・・いつの間に日本に来てたんだ?!

いや、自分にとって凄いミュージシャンがライブした同じステージに立てるというのは

神が降り立った場所に立つくらいの大袈裟なことなんよ!


で、フードメニュー、お酒も充実しております。

ご近所の方は冷やかしに、投げ銭ライブいかがでしょう!お待ちしております。


覚え書1 密かに蜜を

我が家のリビングには炭と化したりんごが3個窓際に飾ってある(いや放置されている)。

もう6~7年はいるだろうか。不衛生な、と思われるかもしれないが最早腐っているのを通りこして

ミイラ化して(炭でできたしわしわのお化けりんご風)虫さえ素通りする。


絵巻物で人間(女)の一生を描いたものがあるけれど、

生まれ~成人し~子供を産み~ばあさんになり~死に~腐り~ミイラ化~土

というのがリアルに描かれていたのを、このりんごを見て思い出すわけだ。

現代人がやたら死を恐れるのは「死」や「死体」を隠し、見えないものにしているからだ、とも言われている。

この絵巻の時代のように、その辺に死体が野ざらしに晒されている時代には

死はそんな特別のものではなかったんでしょう。


ま、そんなことはさておき歳をとるってのは、肉はたるみ体力は衰え、頭は回転しなくなり

どう見ても醜くなる・・・に抵抗して必死になる人がでてくるわけだけど

むかしの日本は歳をとることが悪くないばかりか、歳をとった人が重宝される、

少なくとも今よりはそんな時代があったはずだ。着物は太った人の方が似合ってくるし

髷は髪が薄くなったり後退してきても味がある。

年寄りの意見にゃ宝がある(姥捨てもあったでしょうが)。

これからますます高齢化社会がやってくるっちゅうのに

いつまでも若い顧客(女の子)を相手のテナントを管理しているようなファッションビルや

音楽業界は底が見えている感があるし、これから違う視点を支持する人が・・・

というか大人の為の娯楽の少なさに欲求不満の大人たちが暴動をおこすときだ!

丸木スマのように歳をとってからびっくりするような絵描きになった人もいる。

見た目はミイラのようになっていくとしても、

そこにはたくさんの蜜が、熟成されているのだ!

感性なんて言葉は加齢臭を放ち、下ネタを堂々と話し、ダジャレに生き、つまようじで口をシーハー

いっている世代こそが持ち合わせる言葉で、ファッションを楽しみ、腐った葡萄の熟成を楽しみ

生きている証しをキャンバスに殴りつければいいのだ。


たまに「あんときはよかったなあ」なんて振り返っている人がいる。

私にはさらっさらそういうのがない。常に「今が最高」と思う。かっこつけるわけではないけど

事実だからしょうがない。もちろん日々辛いことも多く、眠れない夜もある。

決して能天気ではないし、くよくよ悩むけど、底の底のどっかで楽しんでいるのだ。

言い換えれば、精神が弱いので、過去をどんどん忘れるように出来ている。

ポジティブではなく病的にバカなのだ。

それが今後加速していくだろう。人生のパンチドランカーになってへらへらして

蜜をみんなで分け合いたいね。