このところ庭に出ていない。窓から外の変化を見ているだけだが、それでも植物の成長発展を見ると、生きている甲斐がある。

 冬がくれば春を思い、春はやがて夏、緑一色、夏はうるさい程の葉の繁り、セミの声。これを何十年くりかえしている間に、生物の生命はつきる。これが軽廻というものか、としみじみ思う。も少し生きて、その変化を見たい。

    28・8・25

 政府機関の一部を地方へ移転する案が人口減少対策として採り上げることになっているが、私は、之には俄かに賛成し難いと思うし、否むしろ反対である。

 首都に政府機関が集中するのは当たり前のことで、その一部を分離して、どういう効果があるのだろうか。聞けば中央省庁は政府機関の地方移転に激しく抵抗しているという。

 当たり前である。

 首都に集中しているのは、自然であって、国会・各省庁などとの連繋その他あらゆる面からして便宜あり、各省庁の業務に効果的であるからである。

 例えば、文化省の京都移転についても、たしかにそもそも文化財が関西を中心に存在しているから、一応尤もな点もあるように見えるが、文化庁は文化財の保護管理のみを目的とする機関ではない。国・地方の文化・芸術その他文化に関するあらゆる行政は勿論、他の諸官庁との連絡・調整その他の業務は他の諸官庁が首都東京にある限り、文化庁が東京にあることが常識的にも最も妥当に行われるのである。

 今、文化庁ないしその一部を京都に移転するとどんなメリットがあるのだろうか、移転に伴ない多額の経費が必要となる他に年々その行政を遂行するための経費は高くなるだけである。電話・その他連絡などは昔と違って便利になっただろうが、それは文化庁が東京におっても同じことである。

 行政機関の所在地が集中することは国民一般にとって便利なことである。機関の地方分散で一般国民が不便になるなら、それこそ何のための地方移転なのだろうか。

 極端に言えば、政府機関の移転を人口対策などを目的として実施したら、世界の物笑いになるだけのことではないか、と危懼する。

     28・9・4

 年はとりたくないと思うものの、そうはゆかない。若いうちは病気になり難かったし、なっても直りも早かった、と思う。この頃は反対である。

 それに、病院に通う、というのは何であんなに時間がかかるものが、と言いたいくらいである。

 昔はいざ知らず、この頃はおおむね時間をきめてくれるところも多いが、それでも一時間や二時間も待つのは当たり前みたいである。前の人から押せ押せで遅れるので、医者がなまけていたり、ムダ話をしているわけでもないから、あまり文句は言えないが、それでももっと合理化することをお互いに考えて欲しいと思う。

 医薬分業で、院内薬局が激減したことも再検討してもいいと思う。反対しているのではない。院内薬局の在り方についても、監督官庁がどうでもいいことを規制し過ぎるのではないか。

 後発薬の問題もある。どちらでもいい、という程度ではなくて、同じ効果を持つ薬なら後発薬に限ると、したらどうか。売上げが減って問題なのかもしれないが、そうでなくても薬は種類も量も増えているのではないか。

 群盲象を撫でるという言葉があるから、もうこれ以上は言わないが、厚労省を中心に是非いろいろ再検討して貰いたい。

 そして、そのための検討委員会を作って貰いたい。既在の検討機関の他にである。

 日本人の長寿化、老令化の進行は、さなきだに増える社会補償費の一層の増加を来している。再検討は税、財政の合理化の見地からも是非必要である。