恋愛小説家 -84ページ目

「あの人」の存在価値

それで、あなたにとってあの人はどんな存在なんだっけ?

さあ、考えて。

頭の中を、一旦まっさらにして
今の感情とか、固定観念を捨てて

どんな人なのか、自由にあげてみたらいいよ。

 
彼女はしばらく、ウ~ンと唸ってから口を開いた。 

 

 

ええと、

いないと困る、かな?

でもね、一緒にいたらいたでうざったくなって、

ときどき完全に離れたくなる。

 
ていうか・・・経験上離れてみたところで

電話番号は捨てられない。ずるずる来ちゃった感じ。
  

言っていることが難しいから面倒くさい。

私以上に理屈っぽいし、本音が読めなくて煮え切らない。

デートしてもマンネリで、このごろ人目ばっかり気になる。
 
多分、根は優しいと思う。

いい歳して少年ぽくてね、寂しがりやで、たまにカワイイ。

どんな話も聞いてくれるから悩みを打ち明けたくなる。

あの人の前でなら、泣いてもいいんだって思えるから、
それで発作的に、会いたくなるのかなぁ・・・。
  

 

なるほどね、

それだけ聞いていたらなんだか

「大事にしなさい」って、結論が出てるんじゃない?

とりあえず今のうちはまだ焦ることないよ。

ダメになるときは、もっとハッキリ、ダメになるものだし。


少なくとも、

素直に泣ける場所は多いほうが困らないでしょ。

  

やさしい人は振り返らない

「結婚する」という結論のために
とても大切な人と離れた。
 
「もう会わない」と言い出すのは
身を切るように痛かった。
 
存在の大きさは家族や親友と同じだったのに
異性である以上、
心底深い係わり合いは 持ち続けられない。
誰が決めたかそういう常識、
不思議な関係になるのはモラルに反するらしい。
 
でもそうするしかないのも事実、
たとえ私が中途半端なつながりを望んでも
相手の望む形とは違ってしまう。
 
「お願いだから、石だけはやめてね」
 
最後のプレゼントについて
傲慢すぎるリクエストをした。
 
家の前まで送ってくれた夜、
心細い街灯に照らされて遠ざかる背中は
振り返らなかった。
絶対に、振り返らなかった。
  
振り返ったら
ふたりして泣いてしまうし、
全速力で駆け出してしまうし、
“どうしようもなくなって”しまう。
  
すべて解ってくれたやさしい人が
だんだん離れていく。
小さくなって、角を曲がる
私が選んだ黒いジャケットが見えなくなる。

信じられないよ
明日からはもう、本当に会えないなんて。

7月31日

 

「今日はサン=テグジュペリが永遠の飛行に飛び立った日です。」

 

言ったことあったかな?

私の好きな作家が、どうして分かったんだろう。

自己紹介に、好きな本「星の王子さま」と書いてある

でも、知っているはずもないよね・・・

 

愛はお互いを見つめ合うことではなく、

共に同じ方向を見つめることである
 

サン=テグジュペリの言葉だそうです。

 

 

人間同士、愛しあうといっても

自己愛が強ければ、エゴのぶつかり合いのようなものです

  

「愛する自分」を愛しすぎると

無心で本当に相手の幸せを望む気持ちや

誠実な献身までも足かせのようになるばかりです

 

愛しているから 愛して欲しい・・・

当たり前?そんなことはないのに

  

私の思う常識や罪悪感という建前は

見透かされているようだったけれど

ずっと昔に逃げた理由はきっと、

「あなたの愛が怖くなったから」

  

自分がより高く飛び立てるように

お互いを縛るような愛から

身軽になりたかっただけなのです

     

別世界

あれは、いつかの夏の終わり。

  

正確には恋人でも何でもなかった、その“彼”の家に招かれた日のことはよく憶えている。都内に出やすいベッドタウンの、急行の停車駅で降りて、こじゃれた店が並ぶバス通りをまっすぐ10分ほど歩く。レンガ調の洋風邸宅には、飾りなのか分からないが煙突がついていて、玄関には葡萄のつたを這わせたアーチがしつらえてあった。重厚な呼び鈴をおすと、薄ピンクのレースエプロンをひらひらさせて、お母さんが廊下の奥から現れる。今でもきっと、あの家を見つけられるはずだ。

 

クールな顔をして彼はお母さんを「ママ」と呼び、お母さんは彼を「くん」付けで、お父さんを「さん」付けで呼ぶ。茶色いテリアの名は「マロンちゃん」。絵に描いたような平和ぶりに、無表情で笑うしかない。豊かさゆえに現実味の乏しい別世界に迷い込んだ気がした。

 

猫足のテーブルに、糊のきいた真っ白いクロスがかかり、まもなくお母さん自慢のビーフシチューが登場した。籐かごに盛られた焼きたての自家製パンが湯気を立てており、庭で取れたばかりの生野菜と、デザートには梨のコンポート、バニラアイス添えが出てきた。うっかりシチューを一滴スカートに落としてしまい、なんともバツが悪いしみが残った。

コーヒーが入るころ、お母さんの弾くショパンが流れていた。そこにときどき、いたずらなマロンちゃんが足元をモップのように駆け回る。軽やかな爪の音が「チャチャチャ」と入ると、すかさず「もう、マロンちゃん!やめなさい、マ~ロ~ン!」と、お母さんの全然すごみのない甘い声が飛ぶ。

 

見事なまでの別世界で、飲んでもないのに悪酔いした。よりによって私は、何のためにここに呼ばれて、どうして来ることにしたのかもよく憶えていない。たしか、彼に誘われたときは興味津々だったはずだけど・・・ようやく入ったモノトーンな彼の部屋で、「もう帰らなきゃ」と鞄を掴んだ。

 

すぐにでも「私の住みか」に帰らなくてはいけない気がした。彼が気になる存在かどうかよりも、自分がそこにいて落ち着かないことが何よりの答えだ。「住み慣れた巣に帰りなさい」という、本能のさけび。ここは私の居場所じゃない。

 

 

冒険の報いか、「彼」が心底恋しく思えた。ペンキのはげた階段、扇風機、蚊取り線香、汗くさいぺしゃんこ布団、あちこちヒモが飛び出したタオルケット。「彼」が待つ昭和なアパートは、愛しくも小さな世界だ。一秒でも早く「彼」を抱きしめるために、夕闇のバス通りを走りだしていた。

  

時間は止まらず流れてく

来週あたり、大切な用事が思いきりぶつかりそうな予感。

どうしよう、どうしよう、どうしたら?

 

・どちらかをキャンセル

・どちらとも強行突破

 

これまで多くの場面で、私は前者を選択することが多く

いずれかをリスケジュールするように調整していたのですが

ここにきて、なんとか後者で、進められぬものか考えております。

  

大切な人と満を持して再会

大切なクライアントの会議
 

どちらも大切で、「今しかない」気がしている。

だから、めずらしく攻めの姿勢で行きましょう。

 

素直に相談、最良の妥協、時間配分、

そして何より、誠心誠意、愛情勝負・・・です。

  

どこまで充実させられるか

どこまで協力していただけるか

どこまで私が走れるか
 

好きなことに囲まれているから

困った悲鳴というよりは、嬉しい興奮で

ヤッホー!なんて

叫びだしたい心境です。

ガムランの音色

お気に入りの鞄に、ボスからいただいたバリの鈴(ガムランボール)をぶら下げています。一度はストラップが切れたものの、刺繍糸で補修して復活させてみました。この鈴が、私が歩くたびにリンリンシャンシャン音を立てます。不思議な音色は、ヒートアップした頭の中も、スッと整頓してくれるのですが・・・

 

気のせいかな?その日によって、音の響きが少し違っているような気がします。このところのひどい湿気で、音がこもってきているのかもしれないし、持ち手の心模様を吸収して、澄んだり濁ったりするのかも?

 

というのも、ガムランボールには、神様が宿っているんだとか。

はるかインドネシアからやってきた神様が、どこか違和感ある空気や人と過ごしているときは「鳴らしてやらんわい」と、鈴の音をこぼさないようにしているんじゃないかと思ったり。また妄想しちゃってますが。

 

お守りは持たない私ですが、このガムランボールが最高に澄んだ音を響かせる人とめぐり逢えたら楽しいな・・・と、打ち合わせ中にこっそり鈴を振ってみました。

 

この雨が止んだら

ぽつぽつ落ちてきた雨が合図になって

突然はじまった雷雨

暴れまわる風に 叩きつけるような水滴

 

しばらくは降りられそうもないね このまま

 

夏の嵐が頭上を去るまでの間

わたしはずっと 窓の外を見ていた

 

やさしいと思っていたあなたの手が

ただうっとうしく 触れられたくないものに変わったとき

この恋が もう潮時だってことがわかった

  

ただ逢いたいとだけ思っても

ほどよい距離感は だんだん狂いだしてしまった

透明で静かなほとりを乱されるようで

逢いたいのに逢いたくなかった

 

身を潜めるように重い雲が去るのを待つ

 

わたしはだいぶ大人になって

もう大丈夫だって思える自分に気付いたの

 

だけど今度は逆に わたしがあなたを

たった一人置いてきぼりにしてしまうようで

長いこと 成長したことに気付かないふりをしていた


数センチの駆け引きが長引けば長引くほど

そんなのお互いに苦しいばかり


もう終わりにしよう 

終わりは「別れ」とは違うということ

言わなくたって分かっているから

 

雨が止んだら もう行くね

   

4.しづ心なく桜ちるらむ

<バックナンバー>

1.皆既日食の日にやってきたミラクル

2.セイコトマサキリコン

3.扉の裏で笑う人

 

 

3月にクミコさんから頼まれごとをした。卒業式の日、ゼミの卒業生のために花束を内緒でプレゼントする計画を思いついたらしい。それで、さすがに花束をいくつも抱えてラッシュアワーを乗り継ぐのは厄介と、唯一免許をもっている(その上近所の)私に相談してきたのだ。別に花屋から学校まで直送してもらえばよいものを、そうしないところがクミコ流。

 

「車で学校まで行きたいの!

 お願い!!みやちゃん運転してくださいっ。」

 

私は高校を卒業する前に、2年分のバイト料をはたいて免許を取っていた。確かに免許はあるけれど、実家の車は父の仕事仕様で、私が乗ることは滅多になかったし、そもそも教習所の検定以来、運転したのはたったの2、3回だ。まるっきり、「乗れる」だなんて口が裂けてもいえないような心境である。だから、親友のたっての頼みとは知りつつも丁重にお断りした。

 

「それはさすがに無理!道も分からないし、

 高速道路なんて教習で数分間走っただけだもん。」

 

それでもクミコさんは諦めなかった。

「大丈夫!平気だよ」

「そんな、冗談じゃなくって、ホントに死んじゃうかもよ?」

「いいの。みやちゃんとなら、死ねる!」

 

口調はおどけているのに、まっすぐ目を覗き込んでくる真剣さ加減に折れた。そして、少し間をおいたら楽観的に笑うしかなくなった。これだからかなわない。

 

 

卒業式の朝、渋滞と混雑を避けるために、私たちは余裕を持って出発した。クミコさんのお父さんの車はクラウンで、やけに長くて大きかった。教習車よりも大きい車に対峙して「やっぱりできない!」と一度弱音を吐き、再び喝を入れられ(?)なんとか発進した。駐車場から出すだけでひと夏分ぐらいの汗をかいた気がする。

 

幸い、クミコさんの団地は高速道路の入り口と近く、学校は学校で、出口からすぐだった。順調に行けば20分もかかるまい。

 

高速道路の通行券が遠くて上半身を窓から乗り出したり、車線変更が急だったり、とにかく恐ろしいほどの初心者がハンドルを握るクラウンは疾走した。だんだんスピードにも慣れ、クミコさんと軽い会話もできるようになり、料金所をクリアして・・・いよいよゴールが目前にせまってきた。

 

卒業式の日、バス通りには人が溢れ、ただでさえ狭い校門付近は見通しが悪かった。両隅には樹齢100年は越えていそうな桜並木が、ところどころ道路にはみ出していて、ゆっくり進まなければぶつかってしまう。慎重に細道を抜け、やっと到着した見慣れた門に安堵し、左折してくぐろうとしたときだ。寄りによって左側にバイクが停まっていて、少し大きめにハンドルを切った・・・つもりだった。

 
次の瞬間、助手席のクミコさんが飛んだ。タイヤは勢いよく縁石に乗り上げ、桜の大樹にクラウンの左フロントを激突させていた。斜めになった車体の上に、五部咲きの桜が早々に散り、舞い落ちてきた。

 

クミコさんのゆで卵のような白い額にはみるみる青ずんだコブができ、状況からしてアクセルとブレーキを踏み間違えた私は憔悴して灰になり、クラウンはスプリングに異常をきたし、車高がひどく下がっていた。後部座席の花束だけは無事だった。クミコさんも、この事態にはさすがに無言になった。ふたりして、卒業式のことはまったく憶えていない。

 

午後になると、仕事場から仲間の車でクミコさんのお父さんが駆けつけ、変わり果てた「シャコタンクラウン」に乗り合わせて帰路についた。行きとは別物のようにガタガタ揺れる高級車を運転しながら、お父さんが「暴れ馬みたいで面白いなあ!」と豪快に爆笑し、ほんの少し場が和んだ。謝罪する私を責めず、逆に励ますように大人の対応をしてくれたことがありがたかった。

 

 

これまで何度となく、思い出される名言と、名シーン。桜がはらはら落ちてきて、非常事態の私たちの上に積もっていった光景は、ほろ苦く、懐かしく、美しい。

 

何より、「みやとなら死ねる!」は忘れられない。

私も、クミコさんも。

 

3.扉の裏で笑う人

<バックナンバー>

1.皆既日食の日にやってきたミラクル

2.セイコトマサキリコン

 

  

クミコさんの実家は、私の家から自転車で5分足らずの距離にあった。その団地は、たしか私が小学生の頃に、隣の区に建てられたもので、できた当時は同じ町内からも何世帯かそこへ引っ越して行ったのを憶えている。区画整理された建物も、さび一つない遊具が並ぶ公園も、手入れの行き届いた庭も、何もかもが新しく華やかに見えたものだ。

  

その団地に、クミコさんは家族と一緒に住んでいた。仲のよい両親と、格好いい弟。そこにクミコさんが加われば、最強じゃないかと思うような幸福な家庭像が、私の頭に浮かんでいた。「みんな、みやちゃんに会いたいって!」と、何度も誘ってくれるクミコさんは、一体どんな風に私のことを話していたんだろう。

 


最初に訪れた日は、夏休みの最中だった。宿題の相談だか、なにか平凡な約束をしていた気がする。クミコさんの家は5階にあったので、階段の脇に自転車をよせて、ポストの表札を確認した。例の団地に、10年越しで足を踏み入れると、新しいとばかり思っていた建物は意外とレトロで、長い上り階段はしっかり足腰にきた。

 

呼び鈴を押すと、「はぁい!」と弾む声がして、重たいドアの隙間からいつもの丸い笑顔がのぞいた。それから、目に飛び込んできたのがもう一人。全開になった扉の裏にでかでかと貼られていた、とある選挙ポスターが、コワイぐらい満面の笑みをうかべていた。

 

その時のことを思い出すと、複雑な気持ちになる。

クミコさんの家の、ちょっとした秘密と

ごく自然に私を招き入れたクミコさん。

  

靴でいっぱいの玄関に、私の靴も遠慮なく割り込ませて、「お邪魔します」と上がった。カーペット、柱や床の木材、畳、料理、湿気、人、いろいろが混ざり合って、「クミコさんち」の匂いを作り出していた。それはどこか懐かしいような、心地よい家庭の匂いだった。遅めの昼食を済ませ、台所で洗い物をしていたお母さんが、わざわざ手を止めて「いつもクミコがお世話になって、ありがとう。ゆっくりしていってね」と声をかけてくれた。

 

私たちは、弟と半分ずつにしているという部屋に閉じこもり、おしゃべりやその日の用事にとりかかった(と思う)。噂で聞いていた格好いい弟は、日焼けした短髪のスポーツマンで、気軽に話せる姉弟らしく、どちらかが冗談をいえばもう一人がすかさず突っ込みを入れたり、傍からみればお似合いのカップルか、友達同士のようだった。
 

数時間はあっという間にすぎ、ヒグラシの鳴声を合図のように「お暇します」と立ち上がった。「一番みやちゃんに会いたがっていた」というお父さんには会えずじまいで、クミコさんはたいそう残念がっていた。

 

別れ際に、正面から見送ってくれた「扉の裏の笑顔」には、あえて見てみぬ振りでドアを閉めたのだが、思えばこの時だけでなく、クミコさんとの時間に私は何度か見てみぬ振りをしていた。若かったから、そうする意外思いつかなかったけれど、言いたいことを飲み込まなければ、別の何かが起こっていただろうか。

カーテンの向こう

よく似た声がした
 
とても似ていたから
反射的に右を向いてしまった
 
忘れもしない
あの声を最後に聞いたのは
受話器の向こうで
怒っているような鼻声だった
 
視界を遮るカーテンが揺れる
笑って話す声の主が一目見たくて
不自然なくらい何度もよそ見をするけれど
肝心の顔が見えない
 
化粧直しに立ち上がったら
カーテンの向こうを覗いてみよう
もし本当にあの人だったとしたら
ふてぶてしくも過去を封印して
「偶然ね」なんて声をかけてしまうかも
仲間の前なら許すしかないもの
  
忘れもしないあの声は
見知らぬ人の口から発せられていた
カーテンの向こうにいたのは
ただの、よく似た声をした他人で
 
忘れもしない
なんて
我ながら嘘だと思った
  
些細なことで落胆するほど
期待しながら生きてる私も格好悪いね