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9月25日までは、調子は良好であった。
デプロメールを減薬中で、50mgと25mgを1日おきに飲んでいた。
 
9月25日の夜、トラブルになりそうな友人を止める為に出掛けたが、トラブル相手と揉めたらどうしようなどと色々考えていたら、電車を降りて改札を出る前に発作が出てしまった。
 
今までの発作と違い、脈拍は90止まりだったが、気分が悪くなり吐き気がした。
 
駅の医務室で1時間休ませてもらったら、レキソタンを使わなくても発作は治まった。
 
レキソタンを使わなくても発作が治まるのは、神経が抑制的にちゃんと働いているからで好ましいことだが、発作が出たのは、デプロメールの減薬が速すぎるという警告だろう。
 
今のデプロメールの量でも、ストレスが無ければ、発作は出ない。
だから、治癒に近づいていると感じていたが、そこまでは良くなっていなかったということだろう。
 
明日から1日50mgに戻すことにした。
毎年9月中旬にくしゃみ・鼻水に襲われる。
去年は9月13日だった。
今年は今日23日夜に突然くしゃみと鼻水が出始めた。
毎年同じ時期なので、何かの花粉だろう。


7日に親友Kから電話があった。
高校のN先輩が亡くなったという知らせだった。
 
大学生だったころ、親友Kのアパートに遊びに来ていたN先輩と会ったのが最後だった。
 
親友Kはその後数年間、N先輩と交流があった。
私が親友Kから、N先輩が奇怪な話をしていると聞いたのは、その頃だったと記憶している。
親友Kによれば、N先輩は、「自分は命を狙われている。」と言っていたらしい。
親友Kはそのことで少し神経質になっていたように思う。
 
月日は流れ、私達はN先輩と交流がなくなっていた。
 
東日本大震災の1~2月前に、夢に小学校・中学校時代の級友がたくさん出てきた。
それらの人たちは記憶から消えていたのだが、何故かあの時期に記憶が甦ってきたのだったが、その中にN先輩さんはいなかった。
 
私はN先輩さんのことを忘れたわけではなかった。
自分がパニック障害を患ってからは、N先輩のことを時々思い出しては、統合失調症じゃないかと心配していた。
親友Kを誘ってN先輩の自宅まで様子を見に行きたいと思ってはいたが、なかなか行動に移せないでいた。
 
N先輩は警察で検死され、死因は心不全だということだった。
お父さんが死んだ後は一人暮らしで、関西にいる兄弟とは疎遠になっていたということだった。
国立大の理系学部を出たN先輩電子工作が得意だったが、インターネットもしていなかったらしい。
 
そんな話を聞いて、一度会いに行っておけば良かったと悔いが残る墓参りとなった。
2015年7月10日初めてディズニーシーへ行く
 
知人が5才の娘さんの誕生日にディズニーシーへ出かけるのに同行することになった。
 
長雨が続いていたが、この日は曇りで、最高気温も27℃止まりだった。
翌日は気温が30℃を超えたので、この日を逃したら、秋まで延期になったのだろう。
 
私はB型肝炎のキャリアということもあって、独身なのだ。
子供を肩車して、妻と手をつなぎ、公園を散歩なんて世界は、夢のまた夢、妄想でしかないと思っている。
 
5才の娘さんは、とても可愛いくて、私と一緒に乗り物に乗っても、人見知りすることもなく、普通に楽しんでくれた。
 
平日なのに、園内は込んでいた。
東洋系の外国人が目立って多かった。
外人観光客が多いのは、日本の経済には好ましいことだが、そのためファストパスを取るのにも、人気のアトラクションに入るにも、長い行列に並ばねばならないことになる。
 
結局、あまり待たずに入れるアトラクションを求めて、園内をさまようことになった。
アトラクションに行き着いても、待ち時間が長いので次へ移動することが多々あって、歩いている時間が長く、どうしても効率が悪いことになる。
 
フライングフィッシュコースターに乗った。
この手の乗り物は、以前なら間違いなくパニック発作が起きた。
今回、パニック発作が出なかったのは、パニック障害が良くなっていることの証である。
 
夜、8時まで居て帰宅に尽いたが、体力的には限界であった。
パニックを発症してから4年くらいは、外出できずに家で寝ていることも多かったので、筋肉も心肺機能も落ちていた。
自宅に帰り着いて脈拍を測ったら90くらいだったので、体は限界に近かったのだと思う。 
たたし、この状態が、心肺機能の低下によるものなのか、パニックの症状である不安神経の興奮によるものなのかはよく分らない。
翌日疲労感はなかったので、後者の可能性も捨てきれない。
 
それでも、今日は楽しい一日であった。
知人と娘さんに感謝の一日でした。
 
1月10日クリニック受診で減薬を提案してドクターの了承を得て減薬を開始した。
 
減薬の動機は、発作は出なくなったが、ヤル気が出ないのこと。
やりたいことが出来ない状態がこのまま続いたら無駄に歳をとってしまうと思った。
デプロメールの量を減らすと翌日ヤル気が出ることがしばしばあったので、減薬でヤル気が戻るか試す価値が有ると考えた。
 
減薬前は50mgを1日朝夕2回に分けて服用。
減薬は75mgを1日1回服用する。
 
減薬1週間後、1月16日にめまいと吐き気が出て、3日続いて治まったが、程度は軽いので、生活に支障は無かった。
離脱作用だったと思う。
 
離脱作用が治まった後から脈拍に増加傾向が出できた。
毎日起床後に脈拍をモニターして記録しているのだが、
減薬前は、起床直後59、起床60分位でピーク67程度から低下し起床から100分後に安定値64というパターンだった。
それが、ピークは70強、安定値67となった。
ピークが80、午後で安定値77という日もあって、このままだと悪い方に戻るかもしれないと考えて、1日100mgに二日間戻して、その後は一日毎に100mgと75mgを10日ほど続けた。
 
その結果、脈拍が下がったので、1日75mgに戻してその後は安定している。但し、75mgを割って、(75/2)mgを朝夜の2回に分けオブラートに包んで飲んでいる。
 
デプロメールを割ると、苦いのでオブラートに包まないと飲めない。
 
ヤル気は少しずつ改善してきている。
 
やろうと思っても体が動かなくて、なんとなく1日が終わってしまい、達成感の無い毎日だったのが、頭にかかっていた精神運動抑制のベールが一枚とれた感じで、ヤル気に対応して体が動いている気がする。