放屁道(危肛派)~その参~
さて、危肛派の放屁作法についての解説も、いよいよ大詰めです。
2回に分けて、実生活上のお作法編をお送りします。
もう賢明な貴兄はお気づきでしょうけども、本流派は原則として「雅香をありがたく頂戴する」というところに一切の作法が集約されています。
それは放った本人は当然のことながら、周囲で振舞われた側にも求められるしきたりになっています。
先にブッ教の教えについてアウトラインを解説いたしましたが、そこでも述べたように、御屁を自分のもの、他人のものとして区別することそのものが無意味であり、空なのです。誰が放ったものであれ、それは御屁様に変わりはなく、最上の敬意を払ったうえで、一臭残らず吸い上げる(瞑嗅)ことが道なのです。
この道は、現代社会においてはタブー視されることが多く、真の放屁道を目指す危肛派としては甚だ遺憾であるといわざるを得ません。
本記事を熟読され、一人でも多く真の道に目覚めてもらえたら無上の喜びにございます。
では、「その参」として、さまざまな実生活でのシチュエーションごとに、最低限守るべきお作法について簡単に解説させていただきます。
【浴槽内放屁】・・・真の瞑嗅空間
実は、もっともダイレクトに瞑嗅可能な場所が、風呂の浴槽でございます。
多少は湯内に溶解してしまう可能性がありますが、「御屁玉」という非常に穢れの無いお姿で水面に出現してくださいます。
御屁玉は、水面を超えた瞬間に破壊され、御屁玉を構成していた御屁素(おへのもと)が空気中に飛散します。ここをすかさず一気に吸い上げ、穢れた肉体と精神を温めながら瞑嗅に耽り、すべてを清めようと努めることが正式なお作法となります。
一つ注意しておくべきは、入浴剤など香りが含まれる薬剤を入れておかないことが重要です。御屁素の雅香に混ざり、それはそれは吸うに耐えないものとなってしまいます。バブルジェットなど、無駄な機能はすべて切ってから入浴してください。浴室の換気扇も無用です。
以上は自宅の浴室を想定していますが、大衆浴場や温泉施設、最近ではスーパー銭湯のような大人数が同時に入浴可能な施設でも同様です。
この場合には多数の被浴屁者達に振舞うことができますので、遠慮せずに行ってください。
湯を循環している排水口などで行うと、まんべんなく全体に行き渡りますので、おすすめ♪
【エレベータ内放屁】・・・呼吸を止める者は去れ
可能な限り、多くの乗客がすでに乗っているエレベータを選んで乗ってください。
一つ大事なことを書き忘れました。
以降、基本放屁のお作法に加え、ここから先に書かれている状況下での放屁では、必ず有音化してください。無音放屁(俗に言うすかしっ屁)は厳禁です。万にひとつの可能性でも、無音放屁になってしまうおそれがある場合には、放屁しないという勇気ある決断も必要であると認識してください。生半可な気持ちで放屁すると、思わぬケガをするおそれがあります。どうかご注意ください。
エレベータでは、全員が他人同士である場合、なぜか全員出入り口側を向いて立っています。ある者は階層表示板を見つめ、ある者は携帯電話を触り、ある者は目を閉じて目的階に到着するのをひたすら待っていることでしょう。
そこで、御屁意が到来したら、あたかも次の階で降ります的な風情で「すみません、ちょっとすみません」と人を掻き分けて扉側に立ち、臀部を被浴屁者達にしっかりと向け、一気に放屁します。必ず、可能な限りの音量を出してください。すべて出し終えたら、誰でも構いませんので、被浴屁者達の中から一人を選び、じっと目を見つめてあげましょう。その被浴屁者が感涙にむせぶ姿を確認したら、適当な階で降り、あとは被浴屁者達にまかせればよいでしょう。彼らはすべて理解してくれているはずですから。
【自動車運転中放屁】・・・停車し、安全に。
【重要】 運転中の放屁は、携帯電話の操作と同じで、事故を誘発するおそれがありますので、必ず路肩に停車するか、発進前に行ってください。
運転している最中に屁意が訪れたら、慌てずに停車できる場所を探してください。コンビニの車庫でもいいですし、交通量の少ない広い国道ならば路肩に停車してもよいでしょう。
できれば、同乗者が多数いるほうが望ましいですが、一人の場合でも臆することなく放屁されますことが、お作法としては正解です。
窓やサンルーフが開いていればすべて密閉し、エアコンを止め、内気循環にセットします。
乗車されている自動車のシートの素材により、放屁姿勢が異なります。布系の、雅香を一時的にでも蓄えておける素材の場合は、臀部を上げることは厳禁です。着座姿勢のまま、放ってください。本革やレザー素材の場合は、一切雅香を吸いませんので、臀部を必ず上げ、無理な抵抗がかからないようにします。
あとは閉じられた空間で、もし同乗者がいれば総勢で瞑嗅し、身を清めます。非常に狭い空間ですので、かなり長い時間瞑嗅に耽ることが可能です。
雅香がなくなりましたら、また新たな気持ちで運転を再開してください。より一層安全運転が可能になることでしょう。
【オフィス放屁】・・・目立てば勝ち
日ごろ口うるさい上司や同僚に一泡吹かせる良い機会です。
部下に威厳を示すのにも一役買うことでしょう。
憧れのマドンナにこちらを向かせる絶好のチャンスともいえます。
ただし、業務に支障があってはなりませんから、皆の手を止めることは避けてください。基本的に自席で放出するようにしてください。ただし、自席が離れ小島になっているようであれば、コピーやFAXをとるフリをして、なるだけ人口密度の高いエリアに移動します。
適当な場所に姿勢を正して立ち、両足を少し広げて、なるだけ大きな声で「あ!」と叫びます。一斉に視線を浴びますから、ここぞとばかりに一気に放屁してください。あとはエレベータ内と同じですので、被浴屁者達の一人を選び、じっと見つめてあげてください。
社内の人間から「さっきの御屁、感銘を受けました」とメールが来ればこちらのもの。信者を一人でも増やすよう精進してください。
その期の評価アップ間違いなし、ボーナスにも期待が持てますね。
いつも無意識に過ごしている日常的な行動・状況の中にも、厳かなる気持ちで瞑嗅に耽ることが可能だということが良く分かりますよね。
さて次回はお作法の最終回です。
もはや儀式にも似たお作法のご紹介になります。
どうぞお楽しみに!
(筆 褐色の危肛子)
【天屁人語】- 今日の御屁論(おへろん)・・・おならパンツ
おならパンツ→http://www.onara.co.jp/onara-index-sl.html
突っ込みどころ満点の商品とサイトですね。
このドメイン名もちょっと悔しい感じ。
うーん、御屁処もそのうちドメイン取りたいなぁ。
取るとしたら、www.ohedokoro.jp
がいいですかね。
さて、詳しく見ていきましょう。
「無料おならの悩み解消講座」ですか・・・
どんなこと教えてくれるんでしょうか。「すっごい出ちゃう」「すっごい香っちゃう」「屁だと思ったのに親分だった」とか、そういうのが悩みに値するんでしょうか。なんか大いに間違ってますね。
御屁処としては、「おならの悩み」なんて聞くと、たとえばですが、
「せっかく良質な放屁をしても誰も認めてくれない」だとか、
「誰も居ない時に限って、心洗われるような透明感のある音と香りの奴が出る」だとか、
「お前の屁はどうしようもない」って言われただとか、
「思った通りの音と香りが出ない」とか、
「乾いた屁を放ったはずなのに、肛門を拭くと色が付く」だとか、
「御屁神への信心が足りない」だとか、
「もう10日も屁が出ていない(屁秘)」だとか、
「今朝方放った屁に名前をつけたいがいい名前が浮かばない」だとか、
「男子用トイレに小便器、大便器があるのに何故屁便器がないの?」だとか、
「なんで"おなら"って呼ぶの?」だとか、
「音も量もすごいんだけど、香りがいまいち弱い」だとか、
「明日はちゃんと放屁できるのか不安」だとか、
「屁について熱く語れる仲間がいない」だとか、
「屁で返事したら怒鳴られた」だとか、
「自分の屁と会話が出来るんだけど、これって変?」だとか、
「一人寂しいときに放屁すると、部屋に人が増えた気がするんだけどこれって変?」だとか、
なんかそんなのを想像しちゃいますよね。
しかし、その下の「森永 力さん(46)」の話もすっごいです。
"(結腸)クローン病と炎症性腸症候群"っていうのがあるんですか?知らなかった。
無意識に放屁・・・だからそれは念屁
ですよ。病気じゃない。
ていうか、名前出しててその娘がこのパンツを装着してるって書いちゃったら、また娘さんいじめられちゃいますよ。
まぁ仮名でしょうけどね。だとしても顔写真なんて載せるな。
「おならパンツ」っていう名称もどうなんでしょうね。
この名前だけ聞いたら、「おならがとても良く出るようになるパンツ」かと思っちゃいますよ。
(そういう機能なら買ってみたい気もしますよね)
正式名称は、ガスメディックパンツ、ですか。どんだけでたらめな造語なんですか(笑)
機能をちゃんと表現するんであれば、「放屁隠蔽工作下着」とか「屁臭オムツ」とかがいいのでは?
「ここで、どうして、このおならパンツが貴方にとっていい商品だかその秘訣を説明します。」ってひどい日本語だな(笑)
屁をごまかす仕組みより前にちゃんと日本語覚えましょうね。
しかし、そこまでして雅香と雅音を消し去りたいものなんですか?
汗や体臭をごまかすグッズが飛ぶように売れる日本。
本来はそういう香りがその人の個性であり、かつ無意識に相手に伝える魅力の一つだったりしたのですけども、それを人工的に別の芳香に変えてしまうという愚行、このまま放っておいていいのでしょうか。
と、このあたりの問題提起は、すでにぼんぼん丸氏の近未来SF
という形で行われていますので、ぜひともバックナンバーをお読みください。
せっかく「おならパンツ」などという名称で商品を開発するんであれば、むしろ肛門付近の布をメッシュにするとか思い切って丸い穴を開けてしまうとかして、より一層放屁しやすく機能化されたものにすべきでは?
または漏斗のように噴出口を絞ってあって、拡散しやすい放屁を一箇所に向けて放射できるようにしてあるとか。
その噴出口に専用のホースアダプターを取り付けると、自分や相手の鼻に直接近づけて雅香を堪能できるように配慮されているとか。
腰のゴムが電動で収縮することができて、好きなタイミングで腸を締め付けて放屁できるようになっているとか。
そういうのを「おならパンツ」って呼ぶんじゃないんですか?
小生の言っていることはそんなにおかしいですか?え?おかしいですか?
ではまた。
(筆 褐色の危肛子)
怪談 御屁芳一(おならほういち) 其の壱
危肛派の放屁道其の弐も登場し、腹がよじれておられる方もあることでしょう。さて、この辺で少し気持ちを落ち着けるために、夏の定番怪談の登場です。本日は第一話。身も凍るような思いになり、省エネに一役買いましょう。
皆さんは「耳無し芳一」というラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の怪談話をご存じですか。テレビでも放映しましたし、ご存じの方は多いかと思われます。この話はその続編とも言うべき身も凍るような怪談です。
怪異談 御屁芳一(おならほういち)
其の壱 芳一因縁の寺に向かう
そうです、それはかの有名な耳無し芳一の事件があって十数年も経た頃のことでありましょうか、平曲を奏でる琵琶の音色のもの悲しさ、声の幽幻さなど、どれをとっても神童ではないかともてはやされた、年の頃十二、三の小さな琵琶法師がおりました。それもそのはず、この法師はかの事件以来、諸国行脚を始めた耳無し芳一に随行している小僧であったのですが、いつしか見よう見まね、いや厳密に言えばこの小僧も盲目でしたので、聞きよう聞きまねで師匠の琵琶の奏法を覚え、平曲の唱法を会得していった者だったからです。その才能に気付いた芳一はことのほかこの小僧を可愛がり、自分の持つすべての技を伝授したのでした。そして芳一が他界するときこの小僧に自分の名前芳一を授けたのでした。
独り立ちしてから幾星霜、全国を行脚している芳一は、何よりも、かの耳無し芳一の弟子であるということで否が応でも世人の関心を惹きましたし、また師匠譲りの確かな技量もあり、第二の芳一という名声もいや増しに高まって行ったのです。行く先々の町の貴人、荘園の主と言った大金持ちに招かれたりして、その都度大変な饗応にあずかるわ、豪華な弁当を手土産に頂戴するわ、という次第ですから、どうしても摂取カロリー過多になり、たちまちのうちに琵琶法師にはおよそ似つかぬ肥満気味になったようです。
肥満と言うよりもむしろ、小太り、というのが正確でしょうが、当時の琵琶法師が日々走破する距離と、当時の一般的栄養事情とを比較考量するならば、琵琶法師で小太りという体型が生じるなどということは驚異的なことだと言えましょう。これは彼に天性備わった物怖じせぬ前向きの姿勢、今の若い人達の言葉で言うなら「チョーねあか」とも形容すべき天真爛漫の明るさが内臓器官の健全さを高め、それが異常なまでのカロリー吸収力を育成したが故の肥満でありましょう。更に肥満と共に思いもかけぬ新たな体質変化が起こりました。元々放屁は他の人に比べてやや回数の多い方でしたが、当時の御馳走では定番の豆類、根菜類などの過剰摂取が原因となり、頻屁という体質に代わったことです。
「祇園精舎の~お~ブブッ鐘の~声~ブッ、ブ~ウッ」
という具合です。これは人々の大爆笑を誘い、うろたえて中断する芳一でした。笑われるだけならまだしも、怒ってその場を去る人も出てきました。哀れさを誘う平曲演奏の最中に、いくら何でも放屁を頻発することは、致命的なマイナスだったことは分かりますね。次第にお金持ちの家に招かれることも少なくなり、懐に多少の蓄えはあっても、将来の食生活のことを考えると、不安に襲われる芳一でした。
「カロリー摂取を抑えて元のスリムな体型に戻せば、頻屁体質も改善できるんじゃないのかえ」
このように先輩の琵琶法師達から言われますが、すっかり飽食になれていた育ち盛りの芳一には、元の貧しい一介の琵琶法師に戻るなんて考えることは出来ません。到底無理な相談です。せっかくおいしい生活が出来てたのに、なんで諦めなきゃならないの、というわけです。芸術を取るか、飽食を取るか、さんざん悩んだ芳一でしたが、何事にも前向きな芳一はこの矛盾を一気に解決する方法を思いつきました。放屁の音を平曲にタイミング良く重ねることで、原曲の哀調を損なわずにすむのではないかと思いついたのです。苦節幾星霜、色々工夫し研鑽に励んだ結果、元々音楽的才能に恵まれていたこともあり、かなり短期間で屁音を所謂サビとして生かせるレベルに到達したのでした。この新技の会得が、この丸みを帯びた体型の愛嬌と相俟って、本人の予想以上の評価を芳一に与えていったのです。琵琶で奏でる平曲の哀調、更に様々な屁音が織りなす小気味よいまでの合いの手によって、いやが上にも芳一の人気は再び高まって行きました。
「ぎいお~んしょーじゃのーお~ベベンベンベン~かーねーのーこーえーええ~ププップッ~しょぎょうむじょう~うおお~の~べべん~ブウ~ひ~び~き~ああ~り~ブッ、プー~ベーン」
という感じです。実際の音を皆さんに聴かせたいほどですよ。
時折自らの肥満が気になることもありましたが、
『私のパワフルな演奏を支えるのが、この体型。それに新しいサビも加わったし、気にしない気にしない』といつものプラス思考で自らうち消したりしていました。が、やがていよいよ人気も高まり、自ら切り開いた新しい奏法が師匠のそれに近づいたのではないかと確信を持つようになったとき、突然ある疑問が浮かんだのです。少年から青年へと成長する時期特有の自意識過剰のなせる悩みです。突然他人の目というものが気になり始めるのですよね。皆さんもこんな経験があるでしょう?
『自分の技は技自体の力で世人に感動を与えているのかな~?もしや、かの異常体験をした師匠の弟子ということだけで、物珍しさに騒がれているだけなのではないかな~?物珍しさといえば、この丸みを帯びた体型だし~。まず琵琶法師の体型じゃないね、と言われているこの姿形が単に物珍しい、てことだったらどうしよう。こんなことが私の演奏を聴く耳を曇らせているのではないかな~?放屁混入奏法という新機軸を切り開いたと言っても、単に、小太りの年少琵琶法師が珍しい演奏をするのは面白いというだけのことじゃないのかな~…えーっ、そ、そんな~!』
そういった疑問が沸々と湧き始めると、芳一はいても立っても入られなくなってきました。『私の実力は本当のところ、どんなレベルなんだろうかな~?そうだ、これを知るには…これをはっきりさせるためには、あそこ、あそこしかないはずだ…!』
一瞬の閃きを覚えた芳一はひたすら、ある場所を目指して進みました。
『真の優れた技は鬼神をも動かす、と古来から言われている。私も師匠と同じような目に遭うほどの実力があるのだろうか?勿論耳を取られるとか、そんな恐ろしいことは願い下げだけど、そこは何よりも私の腕試しの場となるに違いないぞ。もし私の詠唱の力と琵琶の腕、そして放屁を交えた新奏法!これが師匠に勝るとも劣らない域に達しているならば、平家の怨霊どもが必ずや招いてくれるはず。招かれないようでは私の人気もただの物珍しさの産物に過ぎず、私の力もまだまだ未熟ということになるもの。もちろん師匠の二の舞にはならないぞ!師匠がさんざんに悔やんでいた、あの耳を失うことになった失敗さえ繰り返さぬようにすればよいのだから!それに師匠の話によると、怨霊の前で演奏することは大変なエネルギーが必要で、体力消耗が一際激しいとか…もしそうであるなら、この小太り気味の体型を修正できるカロリー消費の、願ってもないチャンスともなるぞ。食制限して痩せるのは簡単だ、誰だって出来る。食を制限せず消費カロリーを増やすことで痩せる、これこそまさに健康的な痩せ方だ!芸術的試練と痩身効果、まさに一石二鳥だ!ばんざーい!』
既に現代騒がれているメタボリックシンドロームに対する正当なる対処法に思い当たっていたのです。賢さだけではなく、真摯な前向きの思考法を常に取っている芳一ならではのひらめきでした。芳一が一路向かったのは、そうです、本州の西はずれ、壇ノ浦を臨む断崖近くにひっそりと佇んであるはずの、師匠が耳を失うことになった、あの因縁の山寺です。 続く
ぼんぼん丸
放屁道(危肛派)~その弐~
出ましたね、ぼんぼん派の奥義。
由緒ある御屁の楽しみ方の極致がそこにはあります。
根っこは同じでも、危肛派とぼんぼん派では、その雅香の行き先と扱いが多少違うのと、感嘆表現の有無の差になります。
しかしながら、相対する流派というわけではなく、それぞれの個性を尊重しつつも同時に発展してきた作法ですので、どちらを学ばれても皆様の人生をあざやかに彩ることに疑いの余地はないのです。
ないのです!!
先日の予告とは少し変わりますが、今回も危肛派のお作法について、シーン別に見ていくことにしましょう。
【寝屁】または【眠屁】
巷ではこれを「ねべぇ」などと非常に低く見た言い方をされる方が多いようですが、正式には"しんひ"(または"みんひ")と呼びます。
睡眠中の、深層意識上で行われる放屁ですから、その人個人の人格が非常によく表れる場合が多いようです。
この寝屁に関する作法は非常に単純明快で、もっとも重要な項目はただ一つ、
「絶対に眠ったまま放つ」ことに尽きます。
目が覚めてはいけないということです。なぜならそれでは「寝屁」ではなく、覚醒時の「寝具内放屁」(前回参照)と同じになり、その場合には決まった段取りがありますから、そちらに倣って執り行う必要があるからです。
寝相に非常に難のある方の場合は、隣に誰かが就寝されていると、その方へ雅香を振舞ってしまう場合もありますが、振舞われたほうはこれをありがたく頂戴するのが正式なお作法となります。
放屁する側は、この放屁される側のお作法を遵守すべく、眠ったままでもこれを確実に励行するために、隣に寝ている人(これを被浴屁者、英語ではSlave of airbreakと呼びます)の頭部または胴体を、無意識のまま両手両足で固定するなどの実行動が必要となる場合もあります。(被浴屁者が起床してしまうことはまったく問題ありません。むしろ起床し、正座して頂戴することがお作法に適っています)
これら一連の行動には、何年もの修行が必要となりますので、一朝一夕には習得できるものではありません。
どうしても会得したいという御仁は、ぜひともご一報ください。お近くの危肛派放屁道場(財団法人)や専門の修業寺をご紹介いたします。
【目覚屁】
こちらは寝屁とはまったく逆になります。
一言で言うならば、「目覚めるための御屁」ということになります。
現代社会では、その生活サイクルがどうしても深夜型になりがちで、ともすれば体調を崩す一番の要因になりかねません。人間の内臓や知覚は、朝日を浴びることでリセットされ、かつ活性化することが医学的にも証明されています。深夜遅くまでの仕事や飲酒、ただの夜更かしなどをした翌日の起床は相当に辛いものであり、目覚まし時計やミニコンポの無機的な音で目覚めるのは、精神的にも非常に苦痛なものとなります。
しからば、せっかく起床するのであれば健康的かつ壮快にナチュラルに、という発想からあみ出されたのがこの「目覚屁」なのです。
屁が心身の健康と密接に関わっていることがイヤでも証明されてしまうお作法の一つといえるのではないでしょうか。
特に説明は不要でしょう。なるだけ大量かつ大音量の放屁によってすがすがしく目覚めれば、それだけでこのお作法を遵守したこととなるのです。
就寝前に、無意味に空気を飲み込んだり、繊維質の多い食事を取っておくことが肝要です。ビールなどを飲んでも、ゲップは可能な限り我慢して、大切な屁の元となる空気を直腸へ廻してあげる配慮も重要になります。
フヤケたTVドラマの朝のシーンなどで、アイドル上がりのまともな演技など死ぬまで無理なクソタレントが目覚めるシーンがたびたび出てきますよね。
よくある設定で、枕もとの目覚まし時計がジリリリリと鳴り、むにゃむにゃと布団から手を出して枕元を探りながら音を止め、時計そのものを目の前に持ってきてから、「やだ!もうこんな時間!!遅刻しちゃう!」とかのたまって慌てて飛び起きることが多いようです。おやおや、その時間に鳴るように設定したのは貴女なのではないですか?と突っ込みたいのをぐっと抑えてそのままそのドラマを鑑賞される御仁も多いかと存じますが、このシーンでそのアイドル上がりのまともな演技など死ぬまで無理なクソタレントが泣くほど大量に放屁して起床するものだとしたらいかがでしょうか。見ているほうも納得しますし、「僕もこの方法で起床してみたい!」となるのはごく自然なことだと考えています。ドラマのプロデューサーや脚本化も、もう少しこのあたりを真剣に考えて対応してもらいたいものです。
ちなみに、朝は忙しいものです。ゆっくりと瞑嗅している時間が取れない場合は、瞑嗅行動を省略しても構いません。
本来の姿は、たっぷりと瞑嗅できる時間を見越して放屁で起床すべきですが、慣れるまでは無理をなさらないでください。
くれぐれも、「目覚糞」にならないよう、日ごろから括約筋のトレーニング(後日公開予定です)を欠かさないでください。
いかがでしたでしょうか。今回は眠りと屁の関係についてお作法を交えながら解説してみました。
ちなみに小生は、可能な限りこれらの作法に則った放屁生活を送っているつもりではありますが、夜中や明け方にあまりの爆裂音と爆裂臭気によって本格的に覚醒してしまうことがあり、御屁様に対し大変な無礼となってしまっておるケースが多々あります。この場合は、寝屁ではなく基本放屁に立ち返り、即座に正座して瞑嗅するようにしています。皆さんもそのような不測の事態が発生した場合にも、慌てずに臨機応変に対処してくださいね。
(余談ですが、このような場面では、まだまだ修行の足りない妻は隣に寝ており、まれに覚醒してはいるようですが、たいていはうなされているような呻き声を上げて寝返りを打つというような行動に出ております。屁音と雅香が強い場合には、あまりのご利益につい笑ってしまうようです。)
では今日はこのへんで。
(筆 褐色の危肛子)
修行の糧
トイレの1万円札、15都道府県で…計280万円以上 (読売新聞)
埼玉や秋田県庁舎などで現金1万円と手紙が入った包みが相次いで発見された問題で、4月から計15都道府県で同様に現金入りの封筒などが見つかっていたことが、読売新聞社のまとめでわかった。
総額は280万円以上に上る。表に「報謝 一人一封」と書かれているなど共通点があり、届け出を受けた警察で、だれが置いたかなどを調べている。
これまでに発見されたのは、北海道、青森、宮城、秋田、新潟、埼玉、千葉、静岡、東京、大阪、奈良、兵庫、大分、長崎、宮崎の15都道府県の33か所。いずれも、庁舎や大型施設のトイレ内で、洗面台などに置かれているのを職員や来庁者らが見つけた。
現金と一緒にあった手紙は「本日御来場の貴殿へ」の言葉で始まり、「同封の遺産金一万円を修業の糧としてお役立て下さい」と筆ペンのようなもので書かれていた。
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ついにニュースになってしまいましたね。
おそらくですが、わがブッ教の信者達による仕業と考えるのが妥当でしょう。
もっと地味にやればいいものを・・・
このニュースには数箇所間違いがあるようなので、訂正しておきますね。
封筒の表に書かれたメッセージは、「報謝 一人一封」ではなく、おそらくですが「放射 一人一ぷぅ」です。
ここを間違えたら一体何のメッセージかさっぱり分からなくなるというのに。もっと真面目にやってほしいです。
それと、この現金入り封筒以外に、「屁袋」も添付されていたはずです。屁袋については後日ご説明差し上げる予定です。
「本日御来場」とは、その庁舎に来たことではなく、トイレに来たという意味です。
15都道府県の33箇所というのも、ブッ教の寺院がある地域と合致しています。もうほぼ間違いないでしょうね。
この一万円は、放屁修行の資金とせよ、という意味合いで置かれたのではと思います。
放屁用パンツ、放屁用座椅子など、実は結構お金がかかるものなのです。
放屁用作務衣などもカスタムメイドなので結構お高いですしね。
このお金は遺失物として扱われるのかな。そうじゃないんだけどな・・・
わざわざ放屁のためだけにトイレに駆け込んできた愚劣なる者どもへの正しい生き方の示唆であり、「気づき」を与える小洒落た遊び心だったんですよ、これは。
というわけで今日飛び込んできたニュースなので、反応してみました。
もちろんフィクションですよ(笑)
(褐色の危肛子)