連絡業務で司令部を訪ねた時に韓国人兵の出納係Sに頂いたワインを本日の今年最後のトレードの締めで頂いた。

 

 

 

前回の帰国ではお土産に日本ウイスキーを差上げたがこの男には病気で療養中にも、

 

 

 

「 元気出せ‼️ 」

 

 

 

と沢庵などのお見舞いをもらったりとにかく優しい男だ。

 

 

 

この男に出会ってからだ。

 

 

 

政治的な洗脳、日本ではそんなもの無いんだが例え自分自身の嫌な記憶や経験則であっても民族人種だけの理由で他人様を差別する考えを放棄しようと決めたのは。

 

 

 

先ずはその人となりに人柄を一定期間仕事をしてこちらから誠実に出し惜しみせずに精一杯働いた上で様子を見て、見定めてからその人間を判断して人格で評価をしなければならないという事を学んだ。

 

 

 

出自や民族国籍は個人の判断材料そのものには必ずしも直結はしないし、そういうあっちの教育で偏った人も必ずいるから当て嵌まる場合もゼロでは無いんだが、いい人だったら悲しい思いをするのでそう言うのは最後の最期でいい。

 

 

 

裏を返せば、例え同じ日本人でもその中に同じ天を戴けぬ敵は必ずいるのだ。

 

 

 

 

それが受け入れるべき多様性価値観の副作用だ。

 

 

 

 

バカは皆インターナショナルで安易に他人を他人に推薦する、そして安易に「 保障する 」とホザく、だがそういう人は保障の担保を絶対に用意していない、言っては見てもトラブルになれば「 ごめん 」で済ませる奴、こういうのはまだ可愛い、悪気がないのだから別に攻めもしない。最悪に酷いのは当たり障りのない、

 

 

「 いい奴だ 」

 

 

と言って推薦をしてくる、結局は自分の利を優先してクズを場当たり的な利益で悲劇しか産まないと分かった上でこういうマネをする、要は" Good fellows "と同じ、それはクズのことなのだ。

 

 

 

 

一方でこの男も私と同じでそういう安易なことはよっぽどのことじゃないと言わないし言ったとしても用法の条件や注意書きを必ず添える。コイツが、

 

 

 

「 いい奴だ 」

 

 

 

と言ったら先ずはホントにいい奴だ。

 

 

 

 

人を見る目とは、自分の言葉と行動に責任を持つというのは豊かな人生を送る上で最も大切な能力の一つだと私は信じている。