歌うように愛する喜びを伝えよう♪
井手愛美です。
「もう、戦わなくてもいいんじゃない?」
と言われて
「そうだよね」
そう思えるときもあれば、
「逃げずに、戦わなければならない」
と、また臨戦態勢になるときもある。
初級講座では、講座の2日目で
自分の中にある期待やマイルールを見つめていきます。
マイルールというのは、
以下の3つからできているといわれています。
・社会的なルール
・家庭の中でつくられたルール
・個人的見解によるルール
世間の常識、親や先生、メディア
いろんな経験や情報から
自分の頭の中の裁判官がジャッジしているんですってよ!
ルールが多ければ多いほど、
それだけ生きづらいとされているんですね。
生きづらさを解消したい。
ルールを緩めようとすると、
私には、毎回大きな壁が立ちはだかった。
そう、裁判官
裁判官っていうのは、頭の中の大人の私。
「いい・悪い」
「~すべき・○○しなければならない」
そうジャッジを下しているのは、実は、
今ここにいる私の本当の声じゃないこともある。
※この辺は上級の内容
自分に対してもジャッジしてるんだけど、
もちろんこれは、他の人に対してもそうです。
裁判官の厳しい見張りは
終わらない…
インストラクターになるまでも、なってからも、
初級と中級を数えきれないほど再受講しました。
「聞くで、自分となかよく」
「カラーを通して、自分となかよく」
本当にゆっくりだけど、
自分のことも、周りの人のことも
以前より受け入れられるようになってきたのは
聞くをしているから。
実は中級講座でも、
他の人のシェアを「聞く」ことができると
自分のことを俯瞰してみることができます。
他の人のシェアにざわつくとき
自分が責められていると感じるとき
自分の正しさを主張したくなる
それは、どんなルールからきてるんだろう?
裁判官も、自分の仕事を全うしているだけなんですよね。いないと、大変なことになるしね。
つまりは、バランス。
過度に見張ってないか?と立ち止まるだけで、
生きやすさが変わることを感じられた。
裁判官の声も、じっくり聞く。
同時に心の声も、じっくり聴く。
/
裁判長!
私、もうそのルールがなくても生きられます。
要らないマイルールを手放してもいいですか?
\
頭の中の裁判官は、本当は素直な人。
真面目で、まっすぐな人だから、
無理してがんばってただけなんだよね。
少し柔軟さを取り戻したみたい。
裁判官とも冷静に
対話ができるようになってきたら
やがて折り合いがつけられるようなり、
いいよ、と許してくれることが増えたのです。
そうするうちに、
ド赤な私に少しずつ変化が表れます。
完璧に、ちゃんと、しっかり。
そうやって自分にも人にも厳しくなりがちな私は、「何か欠けている」
と、いつも思いながら生きていました。
欠点を補うために、それを隠すために、
ごまかすために、必死で戦ってきたんだなぁ。
欠点は、その人に欠かせない点。
それに気づいたら、
穏やかにいられるようになったのかも(*´∇`)ノ
次回は、自分の中の
黄色い私を見つめていきます。