象の夢を見たことはない -75ページ目

備忘録

ちょー、かわいい。



なにこのかわいいコ、

癒されるわぁ。

このコの親だったらぜったいヤバイわ。

家出れないわ笑

The Fact Is

my way my love



http://www.mywaymylove.com/

出す度にイメージが変わる、この節操のなさ

逆にいえば疾走

こだわりのなさ。

かっけーな。





詐欺師

子供の頃、一休さんの伝記を読んだ。
たぶんポプラ社あたりから出てた。ノーベルとか。

で、その一休、悟りを得るくだりがあって。

夜明け前、
琵琶湖を渡る鴉が金色に見えた。
そのとき、彼はすべてを理解した。


的な。
創作なのか、なにかの資料に基づいたものなのか、そのあたりよくわからない。
今、考えるとこの本の中で至高の部分だったのだと思う。

それはさておき。
覚醒というのは、一種の酔いなのかもと。
おそらく全能感が彼を支配した。

そのとき、彼の前頭葉の統合能力の力が薄れて、
客観的に外部の状況やそれと自分との関係を把握する力が弱まり
それは同時に自己の能力に対する評価を上げる。
「自分は平均より優れている」という錯覚が強くなっている状態。

覚醒というのは、一種の「酔い」ではないのか。
唾棄すべき酔っ払い。電車でくだを巻いているアレ。

だが、しかし、ノーベルはその瞬間ダイナマイトを発明するに至る発見をする。
アインシュタインはe=mc2に気づく。
その違いとはなんぞや。

http://www.cyzowoman.com/2014/10/post_13350.html

ラップって演歌だと。言葉に酔うこと。
土俗的な何か。

でも、そういう場所でしか
人は何か革新的な真実を得られない。
紙一重なのだと。

2パックにしろ一休にしろ
それを貫いて伝説になった。だが、ドン・キホーテになる可能性もあった。
いや、むしろオレからは今でも彼らはそう見える。

だが、実物っていうのは強い。
ノーベルにしろアインシュタインにしろ。
でも、彼らはたまたま「合っていた」だけなのかも知れない。
無数の数学者や発明者の屍はそのあたりに転がっている。

凡そものが解るという程不可思議な事実はない。
解るという事には 無数の階段があるのである。
人生が退屈だとはボードレールもいうし、
会社員も言うのである。


by 小林秀雄

結局、実物があるかどうか。
モノを作れたか、否かってところにラインはある。
のかもしれない。

STAP細胞はあります!!苦笑
論文でコピペしちゃダメ。理系の基本。

昨日、この曲にすくわれた

昨日、ラジオから流れてきた曲に救われた。

THE HEAVY - "Same ol'"


ちまちました不意打ちテストだとか、

被さってくるちいさな感情の波だとか。etc.

そういう日常。



もう少し大きな視野で。

もう少し長いスパンで。

人生を眺めてみようぜっていう音楽を生み出せるヤツって

サイコーだと思う。



ちなみにおいらは歌詞など聴いてない

概念からイメージへ

よくスポーツで、型を重視するあまり、本来の運動からズレてしまって、それじゃ全然結果が出ないでしょ?っていう、指導が下手なコーチを見かける。

運動の結果が型になっているってことを忘れている。
形は目で見えるから教えやすい。
教えやすいことに溺れてしまっている
そして運動の本質からは外れていく。

概念も同じ。
ある固定した観念というのは明確だけれど、それは型と同じで。
捉えた!そう思ったすぐは生きているけど、手の中ですぐに死んでしまう。

でも、型はそれを繋げると動きになる。
点が線になり、線が面になる。それを時間でつなげる。
そうすると運動になる。多分時間がミソなのだ。

音楽は時間芸術だから生きている。
死んでる音楽っていうのもあるけど苦笑。
映像もそう。
空間芸術は、それを眺める人が移動することで時間が生まれる。
絵画とか彫刻はどうか。
それらは止まっている。しかし、見るものの中に時間を産むものがある。
感覚すること、感じることを促す。それによって観客の中に時間が生まれる。
揺れる。揺れながら動いている。
アンビバレンツが芸術において重要な因子であるのは多分そういうことだろうと。

イメージが生きているのは、そこに時間があるから。
あるいは対峙者の中に時間を創り出す。何かを促す。

それがあるかないか。
多分それが自分がイケテルかイケてないかを判断する基準なのだと思う。