ハルカカナタ
見上げていたのは 百角形の宙
-100℃のすれ違う視線に
凍てつく心臓 握りしめた手は
ギラギラ汗ばんでいた
蒼い鳥というのは、都会に住んでいる。
希望というのは、でも青い鳥のように絵に描いたように綺麗なものではなく、
ギラギラと汗ばんでいなければいけない。
生々しさなくして、なにを生きようと。
Blackbird (take 32, RM 6) The Beatles 投稿者 unsurpassed2
自らの中のsunken eyes。現実と出会う恐怖を巧妙に避け、自尊心に酔う。
暗さや黒に溺れるくらいなら
見る前に跳べ。
you are only waiting for this moment to be free
you are only waiting for this moment to arise
君はただ待っているだけなのさ。
all your life.
(しかしこの歌誰に対して歌ったんだ?人格全否定だな苦笑)
夜目の利かない鳥が、暗闇に飛び立てるわけはなく。。
すべては想像の中。
https://www.youtube.com/watch?v=llIhLHS431g
エゴイストというのはわがままなヤツでなく、
動けない。動かない。
案外そういう奴なのかもしれない。
気をつけねば。
-100℃のすれ違う視線に
凍てつく心臓 握りしめた手は
ギラギラ汗ばんでいた
蒼い鳥というのは、都会に住んでいる。
希望というのは、でも青い鳥のように絵に描いたように綺麗なものではなく、
ギラギラと汗ばんでいなければいけない。
生々しさなくして、なにを生きようと。
Blackbird (take 32, RM 6) The Beatles 投稿者 unsurpassed2
自らの中のsunken eyes。現実と出会う恐怖を巧妙に避け、自尊心に酔う。
暗さや黒に溺れるくらいなら
見る前に跳べ。
you are only waiting for this moment to be free
you are only waiting for this moment to arise
君はただ待っているだけなのさ。
all your life.
(しかしこの歌誰に対して歌ったんだ?人格全否定だな苦笑)
夜目の利かない鳥が、暗闇に飛び立てるわけはなく。。
すべては想像の中。
https://www.youtube.com/watch?v=llIhLHS431gエゴイストというのはわがままなヤツでなく、
動けない。動かない。
案外そういう奴なのかもしれない。
気をつけねば。
ホテルみち潮
小学生のとき、そういう名前のホテルに泊まった。
高度成長期の時代。
過渡期というのは「ある状態から新しい状態へ移り変わっていく途中の時期」だそうだ。果たして今の時代は新しい状態へ変わっているのだろうか。
『ドライブイン蒲生』を観た。
ドライブイン。これもあの時代の匂いがする。
観るまえから何故か青山真治の『Helpless』を思い出した。
見始めてさらに。これはあの映画に対するアンサー映画だと。
監督はたむら まさき。知らずに見始めたのである。
田村正毅。『Helpless』の撮影は彼だった。
高度成長期の残渣。炭鉱の街、北九州。それが『Helpless』の本体。
夢が終わった場所に囚われ続けている。
バブルの終焉を迎えたときとそれは被っていた。
ドライブインはどこかへ行く途中だから、
どっかに行く途中で美味しいもので引き止めちゃいけないんだよ。
だからドライブインのメシはマズいんだ。
果たしてもはや夢という言葉にかつての力はあるのだろうか。
途中の先を見てしまった現在で、向かう先に何を期待するのだろう。
カタチは運動の結果ではなく、
運動が継続されているからそれがカタチをなしている。
死んだら骨になるだけ。
結果に未来はなく、今生きているそのことが退屈をふくめて人生であって
劇的な展開などなく、それを無理に作り出す必要なんてない。
過渡期というパラダイムは死んだのだ。
『途中』であり、『途中』こそがすべてである。
『ドライブイン蒲生』
2014/06/17 に公開
「指輪をはめたい」などで知られる芥川賞作家・伊藤たかみの小説を基に、寂れたドライブインを営むどうしようもない父親のもとで育った姉弟の葛藤を描く人間ドラマ。相米慎二、石井聰亙監督作品など日本のインディペンデント映画に携ってきたカメラマンたむらまさきが、75歳にして初メガホンを取る。姉と父の間で苦悩する弟に染谷将太、元ヤンキーで出戻りの姉に『横道世之介』などの黒川芽以、彼らの父親を永瀬正敏が演じる。
高度成長期の時代。
過渡期というのは「ある状態から新しい状態へ移り変わっていく途中の時期」だそうだ。果たして今の時代は新しい状態へ変わっているのだろうか。
『ドライブイン蒲生』を観た。
ドライブイン。これもあの時代の匂いがする。
観るまえから何故か青山真治の『Helpless』を思い出した。
見始めてさらに。これはあの映画に対するアンサー映画だと。
監督はたむら まさき。知らずに見始めたのである。
田村正毅。『Helpless』の撮影は彼だった。
高度成長期の残渣。炭鉱の街、北九州。それが『Helpless』の本体。
夢が終わった場所に囚われ続けている。
バブルの終焉を迎えたときとそれは被っていた。
ドライブインはどこかへ行く途中だから、
どっかに行く途中で美味しいもので引き止めちゃいけないんだよ。
だからドライブインのメシはマズいんだ。
果たしてもはや夢という言葉にかつての力はあるのだろうか。
途中の先を見てしまった現在で、向かう先に何を期待するのだろう。
カタチは運動の結果ではなく、
運動が継続されているからそれがカタチをなしている。
死んだら骨になるだけ。
結果に未来はなく、今生きているそのことが退屈をふくめて人生であって
劇的な展開などなく、それを無理に作り出す必要なんてない。
過渡期というパラダイムは死んだのだ。
『途中』であり、『途中』こそがすべてである。
『ドライブイン蒲生』
2014/06/17 に公開
「指輪をはめたい」などで知られる芥川賞作家・伊藤たかみの小説を基に、寂れたドライブインを営むどうしようもない父親のもとで育った姉弟の葛藤を描く人間ドラマ。相米慎二、石井聰亙監督作品など日本のインディペンデント映画に携ってきたカメラマンたむらまさきが、75歳にして初メガホンを取る。姉と父の間で苦悩する弟に染谷将太、元ヤンキーで出戻りの姉に『横道世之介』などの黒川芽以、彼らの父親を永瀬正敏が演じる。
直観
「自分が見たいようにモノを見るヒト」と、「相手を受け入れてから、自分の見方でモノを見るヒト」を的確に自分は区別している。しかも、前者に対する嫌悪感を、自分は初対面で判断している。今そう直観した。そういう意味での直観を自分は信じている。
信じるということは理解することである。
だから、それぞれの理解もその人の「程度問題」に尽きるのだが。
程度。
中庸というのは、アリストテレスらしいけど、人によってそれぞれの中庸がある。
それぞれの個人がそれぞれの中庸を信じている。
中庸というあいまいさ。
理解を相手に任せてしまうという。
それが格言の格言たる所以かもしれない。
どうでもよいな。
あいまいか。。
それも含めて、
私といふ子供は「あゝいふ奴だ」と思つてゐるのである。
世にこれ程見事な理解といふものは考へられない。
と言った小林秀雄は
自分を理解している母の最大の愛を信じていると思う。
そして母に対する理解。母を信じて疑わないこと。
私といふ人間を一番理解してゐるのは、母親だと私は信じてゐる。母親が一番私を愛してゐるからだ。愛してゐるから私の性格を分析してみる事が無用なのだ。私の行動が辿れない事を少しも悲しまない。悲しまないから決してあやまたない。私といふ子供は「あゝいふ奴だ」と思つてゐるのである。世にこれ程見事な理解といふものは考へられない。by小林秀雄
信じることと理解することとはそんなふうに繋がっている。らしい。
ヒトは「理解」という鏡を隔てて世界と対峙しているが、
鏡なんてみなくてもわかるというのが、本当の愛なのかもしれない。
果たして理解することの本質とはなんなんだろう?
信じること。理解することからそこに至るには、どこかにジャンプする場所がある。
着地なんて構いなし。それが信じることの、あるいは命のエネルギーの本質なのか?であるならば、どこかで何かに賭けなければいけないわけだが。。おっちょこちょいというエナジー。愛すべきサガ。
盲目であることが、自分の世界を豊かなものにする。
それを知っている人は危険かもしれないけど、
知らずに実践しているヒトは世界を破滅に導くかもしれない。
破滅の先のなにか。愛の向う側。
あるのかないのか。
信じるということは理解することである。
だから、それぞれの理解もその人の「程度問題」に尽きるのだが。
程度。
中庸というのは、アリストテレスらしいけど、人によってそれぞれの中庸がある。
それぞれの個人がそれぞれの中庸を信じている。
中庸というあいまいさ。
理解を相手に任せてしまうという。
それが格言の格言たる所以かもしれない。
どうでもよいな。
あいまいか。。
それも含めて、
私といふ子供は「あゝいふ奴だ」と思つてゐるのである。
世にこれ程見事な理解といふものは考へられない。
と言った小林秀雄は
自分を理解している母の最大の愛を信じていると思う。
そして母に対する理解。母を信じて疑わないこと。
私といふ人間を一番理解してゐるのは、母親だと私は信じてゐる。母親が一番私を愛してゐるからだ。愛してゐるから私の性格を分析してみる事が無用なのだ。私の行動が辿れない事を少しも悲しまない。悲しまないから決してあやまたない。私といふ子供は「あゝいふ奴だ」と思つてゐるのである。世にこれ程見事な理解といふものは考へられない。by小林秀雄
信じることと理解することとはそんなふうに繋がっている。らしい。
ヒトは「理解」という鏡を隔てて世界と対峙しているが、
鏡なんてみなくてもわかるというのが、本当の愛なのかもしれない。
果たして理解することの本質とはなんなんだろう?
信じること。理解することからそこに至るには、どこかにジャンプする場所がある。
着地なんて構いなし。それが信じることの、あるいは命のエネルギーの本質なのか?であるならば、どこかで何かに賭けなければいけないわけだが。。おっちょこちょいというエナジー。愛すべきサガ。
盲目であることが、自分の世界を豊かなものにする。
それを知っている人は危険かもしれないけど、
知らずに実践しているヒトは世界を破滅に導くかもしれない。
破滅の先のなにか。愛の向う側。
あるのかないのか。









