象の夢を見たことはない -66ページ目

CLUB ROCK'N'ROLL

wash?

wash? “PURE CURE SURE”リリースツアー2015~純粋な治...
wash? BYEE the ROUND HOSHINOKU’S 石井卓とジョン中村
開場 18:00 / 開演 18:30 前売 ¥2300 / 当日 ¥2800 (D代別途¥500必要)


ちゃんとしよ!

ほしのくず」がサイコーだった。すごいもの観た。
基本、エレクトロは好きなのだが、
wash?奥村氏があとのMCで絶妙な褒め方してたな笑
そしてJeepta卓ちゃんが言ってたエモといい。
なんなんだろう?
なっしか、よかった。
踊りもアレで、絶賛アリ。
いまになって、Tシャツ(音源付き)本日のみ2000円かっときゃよかった。

そして、石井卓とジョン中村
背が高いわ。
ギターとドラムスの2ピース、改めてそういう可能性というか。
2人の場合、掛け合い漫才的な間が生まれるわけで。
それはコント的な間ではないなにか。
ノリつっこみとか、そういうのりで。
ああ、そうなのかと、二人だとそういうことが可能になりうるなと。
3ピースだともうできないのだわ。
2人でしか出来ない音の可能性が広がっていると。
それよりなにより、なぜかいままで、Jeeptaが観れず。
タイミングとか縁というかで。生Jeepta観たかった泣。
結局観れないまま終わってしまってがっかりしてたのだ。
観れてよかった。

BYEE the ROUND
自分的にはサトシくんがギター弾けててよかったと。
それにつきるわ。あまり無理しんようにと。
メジャー行ってからというか、行く直前からのCDは持ってない。
ハローイエローからというか、その少し前から客層が増えてライブも
たまに覗くくらいだったのだけど、
じつはヤングな若者たちのあのノリが判らず笑。
まあそんな感じで外から見てたのだけど、。
初音ミクとかなにやってんだろうなと思ってたのだが。
昨日観ててあーそういうことだったのかと。
客と一緒にライブを作るというか。。
あきらかに、ハローイエローからのそれは若いファンの彼女たちと作り上げてきた
ライブシーンだったのだと。逆にその若いコたちがロックスターで手振りするのを
観ててあーそうかとオジサンは逆に納得したというか。

そういえば、帰りの地下鉄も近鉄もEXILEファンのギャルたちでいっぱいだった。
すごいぜ、エグザイル。というか三代目J Soul Brothersか。
ソロなんて年取ってからでもできるんだから、
どうせなら、バンドでそっちを目指すくらいな勢いじゃないと。
ブルって待つ!!

wash?
オルタナっていうのがいまいちわからず。
オルタナティブって何?
って思ってたのだけど。
しきりにバイザに「オルタナおじさん」言われていて
昨日やっとわかった。オルタナの意味が。wash?の正体が。
wash?って、オルタナティブ・コアだと。
ベースとドラムスはメロコア。完全、出音がコアである。
そしてギターだけがオルタナなのである。
なぜ自分が惹かれるのかわかった。メロコアだからだと。
でも、彼らがSiMとかG4Nとか10-FEETとかと対バン。
ファン層絶対合わない苦笑。。ちょっと見たい気もする。
いや見たくないな笑。 キサーズより合わない笑
だいたい、歌詞はブルースというかガレージというか。
太宰というか。純文学だし。暗いし。
そりゃ絶対相容れないわな。

でも、やっぱかっこいいし、たぶん奥村氏が好きなのだ。
というかあのエロさが好きなのだな。欲しいわ(not お姉言葉)。

しかし、ロックンロールはといっつも思う。雰囲気良すぎ。
昨日はほんとお客さんも楽しんでて。バーカウンターで引きで観てて思った。
ほんとあそこでいいライブが出来るバンドがてっぺん取らなきゃ
21世紀にロックンロールは必要か?なんて言えないと。
地下室の住人は思うわけだ。


このためだけに観ている、まれ?

ああ、矢野陶子ええわ。


柊子

ええわあ。

朝からあがるわ音譜(not おねえ言葉)

朝は見れないが。。

智慧と知識

宇宙のバイオリズムみたいなものを信じているという発想はわかる。
パナウェーブ(苦笑)

信じることとか信仰というのは、個人の経験であって。
それをとやかく言えない。
もっとも、それがこっちのソレを侵略してくれば戦うが。

世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない(宮沢賢治)

怪しく安易に引用しているtv番組があるけど恒に鼻で笑う。
彼の全文を観ないと言葉は独り歩きする。
他者の言葉に対する理解は自らの愚かさを表す鏡となる。
「世界ぜんたいが」ではないのよ。
「ぜんたい幸福」というのは彼の造語でその言葉自体に意味がある。
(造語というのは便宜的なもの言いだけれど…)
宮沢賢治 農民芸術概論綱要 - 青空文庫

言葉は自分の影であり、それが言葉のもつ属性。
読み間違え含め、どのように自分が理解しているか。したいのか。
自分の影しか自らは見えない。
それすら見えてないこともあるけど苦笑

知識というのは安易なものだと。
人一人を受け止めることなど1時間でできるものではない。
楽してなんとかしようという人の安易さにつけこむ。
自己愛性人格障害の兆候はだれにでもある。
自らを変えるのは難しく、人の言葉を自分用に変えるのは簡単だ。
あるいは自分がわかるように勝手に単純化して自分の下に見ること。

自らが自らの時間を経ることで得られるのが知恵。
知恵は他者から与えられないし、奪われない。
知識は他人から与えられる有用なものだ
けれど、書き換えは容易である。
より信憑性のある他者のそれで。

You have to slow down it to do,
You actually have to consciously build it.
If you gonna build something, you know,
it takes time.

時間と労力を使わず得られた情報で、
のちに本当に自分の人生に必要だった知識は
その分の苦労と時間をあとで確実に要求される。
利子をつけて。

whisper words of wisdom

自らが自らの心の声を聴くとき
それはたぶん限界を超えて。
自分の場合「無理かも」と、でも土壇場で心変わりして『動いた』ときにしか得られない。

彼がオノ・ヨーコのyesという作品に動かされたというのはよくわかる。
動かない人間に自らを変えようとする想像はあっても、意思はない。
動かない人間に救いなどない。一生死んでろ!と。

自分へ。

学童

『悪童日記』

作者は女性だろうな、少年はそんな衝動にまかせた短絡的な行動はとらない。
いくぶんショタコンBL風味もある。
そういう部分も見受けられるけれど、久々映画らしい映画を観た。

薄汚れた服装なので色も抑えられているけど、その分逆になるほどなあと。
影と光の部分とか。感情表現とか。構図とか。場面設定とか。
細かいところがすごく噛めば噛むほどするめ的に良い。

今はどこへでも行きたいところへ行けるし、食べたいものは食べられる。
モノを選べることで、あるいは状況を選べることでいくつもの生を生きられる。。
そんな気がしていたのだが。
結局、その分生そのものは薄まってしまっているんじゃないかと。

一人の人間が生きられる生は一つで、
それが戦時下では、あるいは数少ない選択しかできない世界では
もっとレアな、生々しい、それしかないという生を生きられる。

考えてみれば、子供の頃は、体力もなければ選択肢もない世界に生きていて、
だからこそ、生々しい生をリアルに生きていた。
たぶん、主人公が子供というのがこの映画の一番のミソなのだろう。

あるいは大人になると選択の結果が予測可能で。
もしくは経験そのものが生々しく生きることを削っていくとか。
うーむ、そういうことか。

双子でなければいけないという理由が、それもこの物語の大きなミソなのだけど、
直観的にはわかるけどまだ頭で理解できていない。
確かに子供の頃の意識は、というか意識と行動はどこかがずれていて、
そのズレこそが、子供時代には生きることそのものだったような気がする。
なぜかそうなるだろうことがわかっていて悪い方へ行ってしまう的な。
双子であることで、そのズレが加速するのだ。
そういうことなのだろう。

丙午のおんな

そこの家の前を通るたび、禍々しい何かを感じる。
そんな家がある。

板塀のあるその辻を通る。
身体の右側にあるいは左側に。
夏でも涼しい空気を感じる。
日は当たっているはずなのだが、記憶の中では常に陰ってしまっている。
そんな家。

たまに風鈴の音を肌で感じる。風鈴など吊るされてなどいない。
匂いなどない場所で残り香を感じるように。

なぜその家を気にしてしまうのかというのはそんな禍々しさが理由ではない。
禍々しさの原因は、その家に住んでいる女の人が異様に綺麗だから。

はす向かいにあったと言われる斬首場。
だが、それも江戸時代だったとすれば。

侍の名字。玄関横に玄関とは別に式台がある。
だが、昭和に立てられた家だ。
つまり、まだその格式が今でも残っている。
その家系が平成の今まで存続している理由。

彼女が美しくなければそんな家の佇まいなど
気にしなかっただろう。

彼女は今朝もバス停で髪を梳かしながら
きりりとした眼差しで佇んでいた。