象の夢を見たことはない -277ページ目

食器の未来

最近、食器づいている。
ベトナムで買ったもの。

メラミン入り食器にひひ
ニャンちゅうなブログ-メラミン食器

バチャン焼きの金魚のコーヒーカップうお座
ニャンちゅうなブログ-バチャン


今日買ったもの。

いい感じの気配だったのでお酒
ニャンちゅうなブログ-けはいよくね?

おフランスっぽい?アップ
ニャンちゅうなブログ-フランスっぽい?

暖色な皿がほしかったのです。メラメラ
ニャンちゅうなブログ-あかい

あー、絵文字はまったく意味なかったな。まあ、いいや。

いまごろなぜ食器を買い始めたのは不明。

こないだ、百キロマラソンにトライした友人は伊勢から無事名古屋へたどり着いた。
さすがに途中で走れなくなったそうで。。

百キロ!!まったくすごい。走ろうと思わない。というより思えない。
「30歳になった日に、なにかしたいじゃないですか?」と彼は言っていたが。。
チャレンジというのは、他人からみればもう果てしないところにゴールを置くものなんだろう。

走ってる間に思考が何周もまわったとかで、最後は
「俺は犬だ。犬だから、犬が家に帰るように家にたどりつくのだ」
とずっと思ってたとか。。いつもながら不思議なコなのである。

いずれにしても、そういう限界でなにがみえたのかというのは後になってみないとわからない。
走り終わったときに感じる達成感とよく言うけれど、そのさらにあとになにか別のしろものが待っているような気がする。

そういうチャレンジをしないといけない。

なので決まったらお知らせします。

チャレンジと食器になんら関係ないような気もするが。。

なぜ彼は走ることを選んだのか、なんていうのにもなにかしら理由は彼にとってはあるはず。
そういうのもあとになってからしかわからないお楽しみのひとつだったりする。と信じたい。
その場じゃわからないことって思っているより人生には多い。。

あきらかに考えすぎである。というより、妄想妄想NG

てか、食器の写真を撮っておきたかっただけである。

写真と映画の違い

旅先で写真をとるようになってから気づいたが、フレーム内に直観的に収めるべきなにものかの陰というのは常に自分の中にあるようで、収めてからそれに気づくことがある。

モノを写しているようで写しているのは自分。どうやらそういうことらしい。

『ラスト・コーション』を観た。
あいかわらずアン・リーはすばらしい。
どんな映画でも手抜きがないところが恐ろしい。
あれだけバリエーションに富んだ設定で、美術・衣装・時代考察ふくめたハードとソフトの両方でこれだけ完成度の高い映画を作り続けられることが人間業とはおもえない。
とても一人でできる所業ではない。そんなふうに思う。

撮影されている絵もまったく違うのだが、そのあたりからするとそれぞれの撮影者の個性を引き出すのがものっそうまい人なのかもしれない。あるいは、それらの人の直観とか。

女の人と会話していて、ときどき思うのはいろんな啓示がなされることで、そんな啓示は男と話していてもまったくこれまで得られたことがない。なぜかはわからない。
そういう啓示というのは単なる思い込みに過ぎないのかもしれないし、あたっていると思えばあたるもので、あたらないと思えばあたらない。すくなくともあたっていると思って行動したほうが面白い。結果は啓示とはまったく違ったことになっても。。あたらないと思う人はたぶんなにも得られない。
話がずれたが。。

いずれにしろ、映画の場合、直観というのは自分だけのなかから出てくるわけではないところが、自分だけで撮っている写真なんかと違うとこだ。
人と人との間でしか生まれない直観みたいなもの。そういうものは人との間で共有されやすい。観客も含む。

撮影されているのはモノでも自分でもなくて、人と人との間でしか生まれないそういう直観。

そういう啓示の瞬間はすごくエキサイティングで、そういうことを求め続けているから、こういうバリエーションに富んだ映画でしかもそれぞれがおもしろくて完成度の高い映画をとり続けられるのかとも思ったりした。

うーん、ちょっと考えすぎだし、文章もブレてるけど、まあ、いいや。今日はここまで。

PS アン・リー、実はずっと女の人だとおもっていたことがあった。名前もそうだけれど。。この話の自分的なミソはそこだったりする。

ダニエル・デイ=ルイス

ずっと心にひっかかっていた映画。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』。もう5年くらい前に見たのだが。

監督がマーティン・スコセッシ、主役がレオナルド・ディカプリオとくれば見たくもなる。もともとディカプリオが見たかったから借りた映画なのだが、主役のはずのディカプリオを完全に喰ってしまっていた男がいた。

当時は「なんじゃ、このおっさん?何者?」とおもっただけだった。なので、名前も調べなかったのだが、年を重ねていろんな映画を見続けることで、このディカプリオの敵役のおっさんの異物のような存在感が際立ってきた。映画自体もかなり異様な映画だった。

そういう映画って不思議とある。結局、この映画はアカデミー賞の10部門にノミネートされながら何れも受賞には至らなかったとか。人が消化できないものというのは評価はされにくい。
だいたい、そういう人だったりモノだったりは無冠の帝王というレッテルがはられたりするのだが、そういうのは、人だろうがモノだろうが、記録じゃなくて記憶に残ったりする。それが世間の相場というものなのか。

で、先日『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』という映画を借りた。見てたら、ん?このおっさんは?
それが、ダニエル・デイ=ルイス。『マイ・レフトフット』は知っているが見ていない。
監督は『マグノリア』のポール・トーマス・アンダーソン。
一攫千金をねらう山師の石油採掘屋の話なのだが、どうもこういうアクの強い男に魅かれてしまう。

そういえばオイルマンでおもいだしてネットでいろいろ拾っていたら落合信彦ってそうなのか。
最近みないなあとおもったらどうも地に堕ちたらしい。知らんかった。。昔よく読んでたのに。

「流転の海」の熊吾とかもそうだけれど、こういう強いヤツは人生の後半でかならず墜落する。
一匹狼というのはそういう末期が約束されているのだろうか。
墜落せずに残るやつというのは、強固なシステムを作るようで、そこが分かれ目らしい。

人がきちんととられた映画というのを最近見てなかった。
キューブリック以降、そういう映画に出会うのがマレだ。

第六感?

体が危機的なときの第六感というのは、意味わかるけれど。。

そうじゃないときに人と繋がったりすることがあるのは、もはや理解不能。

友人が誕生日に100kmマラソンしているのだけれど、伊勢から名古屋まで。

日記にチェックポイントとなるおおきな町ごとに途中経過をあげていた。

鈴鹿市の途中経過で、四日市名物は「とんてき」で、有名なのはこの店って冗談で書き込んでおいたら、なんと偶然にもその店で飯をたべたらしい。

わっしはその店は今日ググるまでまったく知らなかったし、彼もまったく知らない土地である。

注文してから、日記の書き込み見てびっくりしたらしく電話してきた。鳥肌もんだったと。

こっちがびっくりやわ。

そのコは、インドで赴任した先で、翻訳のアルバイトをしていた。そのときは彼は学生だったのだが。

インドへの2度目の赴任を終え日本に帰ってきて、会社に出社したら、自分の課にそのコがいた。

うーん、なんなんすかねえ。

もうこうなってくると無意識のレンジをはるか超えてしまっている。

すごいっすわ。

わっしの知人でも、インドにかかわってそういう体験をしたという話を聞いた。

いやいや、インドはすごいっす。

冷静と情熱のあいだ

冬には冬の精神状態というものがあって、そこは夏や春には閉ざされている。

同じようににそれぞれの季節でしか入れない場所があるようなのだが。。

寒くて透明な夕焼けだったり、沈丁花だったり、水の蒸発するにおいだったり。

そういうのは体と結びついていて、それから切り離されると。。

ええ年こいてあまりにもそういう気分は自己陶酔っぽくて唾棄すべきものだといつからか突っぱねてきたのだが、そうしていると生きている気がしなくなってきた。

年末にかかる曲も歌詞がそういう感じでアレなのだが、それはそれでちゃんと陶酔しとかないとアメのように伸びた時間という中でなにかを確実に失うらしい。

むむ、やっぱ無理目な言い訳だな。まあ、いいや。

ただのはずかしい備忘録である。

去年は年末というとコブクロの蕾がかかっていたのだが、そういや秋のあの歌ってなんだっけとずいぶん前に探していたのを昨日やっとみつけた。なんとclosed noteの主題歌だったよ。やれやれ。

ほんとにやれやれなのは、その映画を借りて見てしまっていた自分である。

LOVE & TRUTH

さすがにこーゆーのにコミットメントするのはなかなか根性がいる。

辻 仁成や行定 勲と同じ世代らしい。むむー、えらいな君たち。生きちょるんだなあ。