物事を勉強するとき、演繹型と帰納型がありますが、演繹型とは中心となる核があってそれを広げていく勉強法です。帰納型とは多くのことがらを一つにまとめていく勉強法です。植芝翁は多くの武道を学び合気道としてまとめたわけですが、一つにしたわけではなく、アバウトなまとめをしたに過ぎないと私は考えています。そうでなければ武産合気〔武を産する合気〕などと言う名称はつけなかったと思います。きちんとした伝書を残せたはずです。最後のまとめは個々に委ねたのではないでしょうか。合気道は体系だったものがない、植芝翁が自分の内的世界から技を生みだす「武産合気」を自覚していたわけで、われわれ修行者自身が介在する余地を与えてくれたと考えます。二代目吉祥丸道主がまとめた本を参考にさせていただいていますが、範囲が広すぎるため一冊では不可能だと思います。稽古を通じて、植芝翁の伝えたかったことを見つけていかなければならないことは言うまでもありません。現代の合気道の稽古は多くの技を学ぶ演繹型の稽古ですが、ある時点からは帰納型の稽古になり一つにまとめていく武道だと考えています。その奥儀は各個人の内にあると思います。

夏の稽古は修行に近い、本来道場は修行の場所です。修行とは行を修する場所、行とは①悟りをめざして心身浄化を習い修めること。仏道に努めること。② 托鉢 (たくはつ) ・巡礼して歩くこと。「全国を修行する」③ 学問や技芸を磨くため、努力して学ぶこと。「武道等を修行する」「武者修行」だそうです。しかし、現代社会においては艱難辛苦が良いとは思いません。一般社会人には適当をお勧めします。

クーラーと扇風機の道場で休憩を入れながら稽古をする道場(里見道場)があっても良いと思いますが、こんな道場は道場では無いと怒る師範もいるかもしれません。今年もマスクに検温、アルコール消毒とコロナ対策があり、稽古もままならない。

なぜかここ(道場のある)の地名は「行力」です。江戸時代は修験者が修行した場所で、泉も湧いています。道を隔てた、となりの地名が道場(時宗の寺の敷地内)です。地元の人はすんなり受け入れてくれました。
  

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 観音山のひびき橋からの観音像

いろいろな角度から観るのも良い


合気技にはいろいろありますが、手ごたえが無いことが手ごたえということが一番です。力の手ごたえは無類の満足感とストレス解消を与えてくれますが、受けをとる側にとっては「無類の危機感とストレスを受けることになります」よく聞く言葉に、君の受けは力みすぎだ、もっと柔らかく受けをとりなさい、また逆の言葉として受けていてリキミを強く感じるから気を付けたほうが良いという先輩の指摘を聞くことがあります。「受け即ち取り」受けと取りは合わせ鏡、取りのリキミが受けに写る。お互いが手ごたえを感じないことが合気、やわらかく導くことを目標に日々稽古するのが良いと思います。

    

 
沢庵和尚(たくあんおしょう)の「不動智神妙録」の教えです。剣の道と禅は、生死ぎりぎりの場を見つめて修行するという意味で、究極のところは一致する。つまり、何かを極めるには、心の修行が必要で、それは、剣でも、禅でも同じだということです。新陰流(元祖上泉信綱)の最後の免許階伝書は一円相「○」のみ書かれていたとのこと。技術とともに精神的鍛練の最後の段階を自覚しなければならない、それは円空によって象徴される無心境に到達することです。合気道開祖が吾即宇宙という言葉を残したとのことですが、精神的鍛練の最後の段階を自覚した時に発した言霊と解釈すれば、合気道・禅一如と表現しても間違いではないと思います。和合の武道といわれる合気道の稽古をしていてつくづく感じるのは「倒そうとすると相手は倒れない、倒そうとしないで、理合(宇宙法則)に則って相手と和合すれば」相手は意のままになる。仏教哲学者の鈴木大拙師は合気道は動く禅だと表現されているそうですが、あながち間違ってはいないと思います。


 
宮本武蔵の五輪書の中に「物事は栄える拍子と衰える拍子がある、気を付けよう」という言葉があります。拍子ははずみという意味です。拍子とは間でもあります。良くない拍子が来たらそれを転じて、良い栄える拍子の方に持っていく。ではどうすればよいかというと、間を取るということ、危険なこと〔難問題〕にぶつかった場合すぐに反応しないで、少しの間をとって、自分が置かれている状況を客観的に把握し判断する。それは、この間に情報をたくさん仕入れること。そうすればより良い状況に自分を導くことができる。と武蔵は言っている訳で、武道で例えると、武道は危険に際して生きる道〔方法〕と考えると、危機一髪の窮地からの脱出は、間を取って良い拍子に転換することといえます。

先日、高崎市の八幡八幡宮に用事があってうろうろしていたら、1333年の鎌倉攻めの出発地の新田の生品神社から来たという夫婦にであいました。話を聞くとテレビを見た人に聞いて来たとのこと。そのテレビ放送は私が出て解説した「ぐんまトレビア図鑑」でした。太平記では生品神社から鎌倉街道に出たと書いてあるために高崎の八幡荘に7000騎が集結したことが多くの人に知られていないので、このことについて特に強調させていただきました。合気道とは関係ありませんが、合気道の元祖を遡ると組み討ち、骨法、剣術です。清和源氏の武術が元になっていると言われています。7000騎の多くは源氏の一族だったそうです。


鎌倉攻めの守り本尊は八幡八幡宮の阿弥陀堂から東京都の府中市上染屋に安置されています。

ユーチューブに上記の大会がアップされました。2部の群馬県代表の小林指導員の演武をご覧ください。

この写真は以前の演武会です。左が小林五段、真ん中が今回の受けを担当した樋口三段

今日は晴れ、最高気温は三十度を超える。熱中症に注意とのこと。暑く、湿度が高い道場で稽古に熱中していると「危険」です。エアコンで涼しく、湿度の低い道場ですが水分(麦茶を用意しています)を補給して稽古をしてください。

 

有り難し、有り難い、真夏のエアコンは有り難い。これが無ければ稽古は不可能な真夏日が続いています。道場の温度を下げてくれると同時に湿度も下げてくれる。大型扇風機も大活躍していても、汗が出る。マスクはつらいので一つの技が終わるごとに少し休んで呼吸を整える。珪藻土の壁も、あわせガラスの窓も目立たないが活躍している。とにもかくにも、暑い夏を乗り切りましょう。節電協力を呼びかけているようですが里見道場は太陽光発電稼働中です。


武道を習う人の目的は様々ですが、年齢を重ねるごとに強くなることが日本武術 特質であると考えている人もいると思います。体の衰えは全ての人に与えられた法則(エントロピーの法則)ですが、日本武術の特質は試合形式のスポーツには無い、力で無い力に重きを置いていることです。不思議な力と諦めないでこの力があることを信じて探求することが武道を探求する日本男子としての生きがいになると思います。日本武術の特徴は己の力を抜くこと、相手の力を抜くこと。言うのは易しいことですが表現するのは難しいことですが合気術がそれを可能にしてくれます。