沢庵和尚(たくあんおしょう)の「不動智神妙録」の教えです。剣の道と禅は、生死ぎりぎりの場を見つめて修行するという意味で、究極のところは一致する。つまり、何かを極めるには、心の修行が必要で、それは、剣でも、禅でも同じだということです。新陰流(元祖上泉信綱)の最後の免許階伝書は一円相「○」のみ書かれていたとのこと。技術とともに精神的鍛練の最後の段階を自覚しなければならない、それは円空によって象徴される無心境に到達することです。合気道開祖が吾即宇宙という言葉を残したとのことですが、精神的鍛練の最後の段階を自覚した時に発した言霊と解釈すれば、合気道・禅一如と表現しても間違いではないと思います。和合の武道といわれる合気道の稽古をしていてつくづく感じるのは「倒そうとすると相手は倒れない、倒そうとしないで、理合(宇宙法則)に則って相手と和合すれば」相手は意のままになる。仏教哲学者の鈴木大拙師は合気道は動く禅だと表現されているそうですが、あながち間違ってはいないと思います。