物事を勉強するとき、演繹型と帰納型がありますが、演繹型とは中心となる核があってそれを広げていく勉強法です。帰納型とは多くのことがらを一つにまとめていく勉強法です。植芝翁は多くの武道を学び合気道としてまとめたわけですが、一つにしたわけではなく、アバウトなまとめをしたに過ぎないと私は考えています。そうでなければ武産合気〔武を産する合気〕などと言う名称はつけなかったと思います。きちんとした伝書を残せたはずです。最後のまとめは個々に委ねたのではないでしょうか。合気道は体系だったものがない、植芝翁が自分の内的世界から技を生みだす「武産合気」を自覚していたわけで、われわれ修行者自身が介在する余地を与えてくれたと考えます。二代目吉祥丸道主がまとめた本を参考にさせていただいていますが、範囲が広すぎるため一冊では不可能だと思います。稽古を通じて、植芝翁の伝えたかったことを見つけていかなければならないことは言うまでもありません。現代の合気道の稽古は多くの技を学ぶ演繹型の稽古ですが、ある時点からは帰納型の稽古になり一つにまとめていく武道だと考えています。その奥儀は各個人の内にあると思います。