身体の姿勢が悪いと諸病の原因ともなるし、躾〔しつけ〕とは身と美でできている。合気道の上達の基準として姿勢は大切な要素です。正しい姿勢がなければ本当の氣は出て来ない。正しい姿勢で行なえば、静坐法は疲れを早く回復させ、体調を整える、また緊張した神経をやわらげ、病気の原因を取り除く効能があると昔から言われている。近年の西洋化は椅子での生活が一般的となりそれに比例して体調を崩す人も増えている。合気道を志す人はこの静坐を、どこでもできる鍛練法として生活の中に習慣づけることをお勧めします。静坐の方法は座法の呼吸法の説明を思い浮かべてください。呼吸は鼻よりしずかに深く、眉間の部分に天地空間の気を全部集めるように吸い込む。その気をのどからみぞおち、そして下丹田〔へそ下9センチ位〕に下げできるだけ留める。これは精神操作で行なう。この呼吸法と姿勢坐法が一つとなります。
  蓮華寺(彦根) 井伊直政公祈願寺

上野(群馬県箕郷町 現高崎市)から井伊家とともに彦根市に移転した日蓮宗の寺の仏像

脳トレには脳に新しい刺激(体や思考)を常に与える必要があるようです。人間は常に楽を追及して文明が生まれ、楽しいこと、美しいことを求めて文化が生まれて今日に至っています。
 
 洗濯機や掃除機、テレビ等を否定するつもりはありませんが年をとると努力しないと脳の劣化は痴ほう症に向かってまっしぐらです。合気道の稽古をしていて思うのですが、コロンブスの卵的な体の気づきや今までの間違っていた体の使い方を矯正することになるので、脳と体のトレーニングに役立つと思います。家で暇を持て余している人は脳にも体にも危険です。奥が深いと言われる合気道は体による脳トレだと思います。右脳と左脳を刺激する運動として合気道はおすすめです。


 彦根城から見た 玄宮園

合気道の稽古は左右の稽古をします。左半身、右半身と両方稽古することでバランスのとれた体ができあがります。どうしても右利きの人は左が苦手です。左利きの人は右が苦手です。稽古をしているうちになんとかなります。左脳右脳を刺激することで体も脳もバランスがとれてきます。そして、中心軸がしっかりしてきます。中心軸がしっかりしてくると心も体もなぜか良くなります。

 

 

 


敵を知り己を知らば百戦危うからず。相手の大小、力の強弱、男か女か、性格は、等全て相手の条件はちがうのが当たり前。(敵)相手を知り己を知らば百戦危うからず。つまり相手によって技は微妙に変えて対応しないと技はかからない。だから、たくさんの人と稽古をしないと上手くならない。技術的な面ではそうですが、長く楽しく続けるためには、楽しくなければ自然に足が遠のく、一番の原因は師範のいやないろいろではなく、稽古のキツさでもなく、稽古場所の(いろいろな面で)悪い環境でもない、それは人間、仕事なら仕方なく自分の役柄を演じて我慢して調和がとれても、趣味の世界での優先順位は「非日常の世界に身を置くことでリフレッシュ」すること。そうで無いところでは長続きできない。せめて、毎日稽古をしている道場なら、相性が合わない人を曜日で避けることも可能ですから探してみるのも良い。


 

合気道の稽古は攻撃側(受け)を陽とし、守勢側(取り)を陰として稽古をすること。取りも受けも互いに近づくことで陰陽の法則は成立します。取りは自分の体を陰として陰の中心を発揮して受けに対応することが肝要です。見せない部分が大切であることは袴をはいて膝等を隠していることからも理解できます。陰はいろいろな面で重要な役割を担っています。詳細は道場で説明しています。

老兵は去りゆくのみ。時代は日々変化しています。時代に合わない人が先頭に立っていると従っている兵隊の命がいくつあっても足りないというたとえです。日本の歴史は変化の歴史、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、明治時代、昭和、平成、令和と振り返ってみると時代の変化が時代を作っているのが解ります。空手の指導者がパワハラで訴えられましたが、この年代のスポーツ関係者はおそらく、パワハラだとは思っていません、もと総理が問題失言して大騒ぎになった時も本人は悪気は無く 理解できなかったと思いました。日本のあらゆる組織はつい最近まで、または今でも本人が気づいていないパワハラや体罰が続いています。とくにたちが悪いのが老兵に例えられる人達です。これは生活習慣病として捉えるべきで、注意しても治るものではありません。道場内においては指導者がまず、時代が変わったことを自覚すること、昇級、昇段の人事権をたてにしてのパワハラは辞めること。雀の学校は終わったのです「むちをふりふりチーぱっぱはパワハラです」これからの時代はメダカの学校です。「みんなでお遊戯しているよ」めだかの学校では金メダルは取れないと老兵達は噛みついてくるかも知れませんが、工夫すれば道はあります。それはまずは生活習慣病で治ることが無いパワハラの老兵だけで無く、時代に合わない老兵は去った方が丸く収まると言うことです。コロナ騒動の後に新しい時代が来ることを望みます。


 

 

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技が出来るようになっても詳しく解説できて初めてできるようになったと言える。技の整理整頓は特に指導者に要求される。それが出来ない人は指導を即刻やめるべきだと思います。感覚と形だけならだれでも指導者になれてしまう。それはプロとは言えない。山本五十六の言葉やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ この言葉はあまりにも有名な言葉ですが、合気道の指導にも使える言葉です。
   

里見道場では受けと取りが手を合わせて一教の稽古をします。なれると目をつむって稽古をすることもあります。つかむと掴んだところに気が向うので掴まない方が極意が掴める。と私は思います。

合気道の稽古で大切なのは色々なタイプの人と稽古をすることです。大きい人、小さい人、子供、固い人、柔らかい人、重たい人等千差万別の相手と稽古することとで同じパターンでは通じないことを自覚することができる。相手に合わせて微調整することは微妙な技術が必要なので経験を積み重ね、創意工夫して来た経験豊富な指導者の助けを借りたほうが良い。

 

物事を始めるのには、早いことが良い場合も多い。芸事は幼少時から始めた人が有利なことは間違いない。野球少年からプロ野球選手に、アイススケートも皆幼少期から始めないと間に合わない。とはいうものの、その道から離れて違う道に進んで大成する人も多い。それまでの経験は無駄ではありません。どの芸事も人間がやることなので重要なところは共通しているからです。私のところに来ている人達は多種、多様な経験者ですが、合気道の稽古で共通点を見いだして楽しんでいます。合気道の動きから他の芸事に役立つことに気づいた指導者が熱心に通っています。所詮、人間の動きの究極は同じです。多方面からそのことに気づく楽しさは格別です。今からでも遅くありません、合気道の門はいつでも開いています。あなたの今までの経験が必ず生きるのが合気道の稽古です。

七転び八起きの高崎だるま