昨日、
親は得てして
子供に自分の願望を押し付けがち
という話をしました。
もちろん、どんな親も子供の幸せを願っています。
でも、最初は純粋な思いだったはずなのに
だんだんと子供に対する期待が大きくなってしまったり
子供が親の思う通りにならないと
怒ったり、がっかりしたりしてしまいます。
どんな子供にとっても、
親から愛され、親に認められたい、
それが一番の願いです。
でも、それが子供を
苦しめることになる場合もあります。
今日は、わたしの子供時代に
親の期待でどんなことがあったか、
過去の話をしてみたいと思います。
わたしは、子供の頃に
水泳を習っていました。
小学1年生から、高校3年生まで
水泳一色の人生を送りました。
毎日、泳ぎすぎて
髪の毛が塩素で脱色して金髪になり
肌も荒れてカサカサでした
ちなみに、得意種目は
個人メドレーとバタフライでした。
父は、子供の頃から水泳が得意で
週末はスイミングのコーチをしていました。
かたや母は、
運動音痴が子供の頃からのコンプレックスで、
だから、運動神経のいい娘が誇らしく
スポーツで活躍してほしかったのだと思います。
だから、わたしは
親の期待を一身に背負って、水泳をしていました。
小学校低学年の時は
「将来はオリンピックを目指せる」
みたいに言われることもあったのですが、
結局は、たいした成果は出せず
県大会3位で終わりましたけど。
毎日、苦しかったですね。
泳いでいて、楽しいことなんて
ひとつもなくて。
でも、
「お父さんとお母さんが
こんなにわたしの水泳に
時間もお金もかけてくれているんだから、
頑張らないと」
と思って、必死で頑張っていました。
でも、練習が苦しくて、
ちょっとだけ手を抜いて練習する日もありました。
ある日、練習を見に来ていた母に
練習に身が入っていないことを見抜かれ
叱られました。
そして、こう言われました。
「そんな子は、うちの子じゃない」
きっと母は、今は覚えてもないくらいの
小さな出来事でしたが、
当時、小学生だったわたしは
深く深く傷つきました。
お父さん、お母さんを
がっかりさせてしまった。
お父さん、お母さんは
わたしのことがかわいくないんだ。
こんなわたしは、
もう生きてても仕方ないんじゃないか?
そう思って、
今だからこそ言えますが、
遺書を書いたこともありました。
まあ、小学生だったので
どうやって死んだらいいかもわからないし、
結局、そのまま生きて、高校まで水泳も続けて
今に至るわけですけどね。
わたしにとって、水泳は
「親の関心、愛情を得るための道具」
だったのだと
今になっては思います。
毎日、泳ぎながら
・親の過度な期待
・親の果たせなかった夢
・親の劣等感や承認欲求
を敏感に感じていました。
そして、
親に愛されるためには
それを満たさなければいけないと
思い込んでいました。
だから、
水泳は楽しいものではありませんでした。
大人になった今、
プールに行って泳いでも、
ちっとも楽しくありません。
スポーツジムの会員になって
プールが自由に使えても、
ジムのプールには入ったこともありません。
もちろん、泳ぎを忘れることはないので
今も普通に泳げるし、
体力や忍耐強さがついたり、
いざという時に水辺で溺れないという面では
水泳を習っててよかったのかもしれませんが。
じゃあ、英語はどうか?というと。
子供の頃、
英語を親に勧められたことは
一度もありません。
子供の頃から英語に親しめるようにと
英語教材を買ってもらったなんてこともないし
英会話を習いに行ったりも
したことがありません。
だから、英語は
中学生からのスタートです。
そんなわたしが
大人になった今、
水泳は一切やってなくて
英語で飯を食ってるなんて、
面白いと思いませんか?
なぜわたしが英語を勉強して
英語でお金がいただけるようにまでなったのか、
その話は次回に書きますね。
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