「鬼と化した母の愛に救われて」(西村滋 作家) 5400

僕は幼少期に両親を結核で亡くしているんですが、まず母が6歳の時に亡くなりました。物心がついた時から、なぜか僕を邪険にして邪険にして、嫌なお母さんだったんですよ。散々いじめ抜かれて、憎まざるを得ないような母親でした。これは後で知ったことですが、母は僕に菌をうつしちゃいけない、そばへ寄せつけちゃいけない、という思いでいたようです。本当は入院しなきゃいけない身なんですが、そうなれば面会にも来させられないだろう。そこで母は、どうせ自分は死ぬのだから、せめてこの家のどこかに置いてほしいと父に頼み込み、離れを建ててもらったそうです。

 

僕はそこに母がいることを知っているものですから、喜んで会いにいく。するとありったけの罵声を浴びせられ、物を投げつけられる。本当に悲しい思いをして、だんだんと母を憎むようになりました。母としては非常に辛い思いをしたんだと思いますよ。それと、家には家政婦がいましてね。僕が幼稚園から帰ってくると、なぜか裏庭に連れていかれて歌を歌わされるんです。

 

「きょうはどんな歌を習ってきたの?」と聞かれ、いくつか歌っていると「もっと大きな声で歌いなさい」なんてうるさく言うから嫌になったんですがね。これも母が僕の歌を聞きながら、成長していく様子を毎日楽しみにしていたのだと後になって知りました。

 

僕はそんなことを知る由もありませんから、母と死に別れた時もちっとも悲しくないわけね。でも母はわざとそうしていた。病気をうつさないためだけじゃない。幼い子が母親に死なれて泣くのは、優しく愛された記憶があるからだ。憎らしい母なら死んでも悲しまないだろう。また、父も若かったため、新しい母親が来るはずだと考えたんでしょうね。継母に愛されるためには、実の母親のことなど憎ませておいたほうがいい、と。それを聞かされた時は非常にびっくりしましたね。

 

孤児院を転々としながら非行を繰り返し、愛知の少年院に入っていた13歳の時でした。ある時、家政婦だったおばさんが、僕がグレたという噂うわさを聞いて駆けつけてくれたんです。母からは20歳になるまではと口止めされていたそうですが、そのおばさんも胃がんを患い、生きているうちに本当のことを伝えておきたいと、この話をしてくれたんですね。僕はこの13歳の時にようやく立ち直った、と言っていいかな。あぁ、俺は母に愛されていた子なんだ、そういう形で愛されていたんだということが分かって、とめどなく涙が溢れてきました。

 

※何も説明することはできませんので、少し長いのですが原文をメールします。

母親の深い愛。この愛の実力にただただ頭が下がります。

 

西村滋(しげる)さんは、91歳で亡くなられました。ご母堂の分も生きられたのだと思います。

母親の愛を感じ、それを文学の形で社会に返してこられたのだと思います。

子どもの頃に、つらく悲しい思いをした人はたくさんいると思います。

しかし、それを乗り越えて大人になったのですから、色々なご縁に感謝して人に喜んでもらえる生き方をしていかなければならないと思います。

ましてや、五体無事に、ご両親の愛に囲まれて育ったなら、心豊かに世の中のために生きなければならないと強く思います。

私も両親の愛に包まれて育ちました。

その恩に報いる生き方をしなければと、今朝また心新たに誓いました。

 

2月14日(水)は、名古屋思風塾(感性論哲学)をWINCあいち907で開催いたします。

テーマは「悪化した人間関係を修復する愛の実力」です。

参加できない方は、ぜひZOOMによるご参加をお願いいたします。

ご希望の方は、メール(shihujyuku@a-follows.jp) にてお申込みください。

参加費は2,000円です。 

名古屋思風塾HP http://www.a-follows.jp/about/