【夕顔221-2】「昔の物語」~源融のこと★ | 【受験古文速読法】源氏物語イラスト訳

【夕顔221-2】「昔の物語」~源融のこと★

古文常識は、基本的なもの以外注釈がついてることが多いですが、

源氏物語によく出てくるこういう当時流行の歌や物語などは、

出て来たものからチェックしておくと、読解がスムーズになるよ♪

源氏物語イラスト解釈ラブラブ

 

【これまでのあらすじ】

天皇(桐壺帝)の御子として産まれ、容姿・才能ともすぐれていた光の君は、幼くして母(桐壺更衣)を亡くし、臣籍に降下、「源氏」姓を名のり、左大臣の娘(あおい)の上を正妻にもらいました。一方、帝の後妻である、亡き母によく似た藤壺宮(ふじつぼのみや)への恋慕、そして、中流の女空蝉(うつせみ)との一夜限りの恋、プライドの高い六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)の獲得と、光源氏は不毛な恋を重ねていくのでした。

ただ今、「4.夕顔」の巻です。17歳の光源氏は、惟光(これみつ)の実家の隣家にひっそり住まう夕顔の君に執心し、女の家で一夜を明かした後、彼女を廃院に誘いますが、夜半、夕顔は物の怪に襲われて急死してしまいます。

 

【今回の源氏物語】

「昔の物語などにこそ、かかることは聞け」と、いとめづらかにむくつけけれど、まづ、「この人いかになりぬるぞ」と思ほす心騒ぎに、身の上も知られたまはず、添ひ臥して、

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 ☆ 古文オリジナル問題~常識~ ☆

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昔の物語などにこそ、かかることは聞け」と、いとめづらかにむくつけけれど、まづ、「この人いかになりぬるぞ」と思ほす心騒ぎに、身の上も知られたまはず、添ひ臥して、

 

問)傍線部の説明として、最も適当なものを一つ選べ。

 

1.古事記などの古代神話の中には、死霊に祟られる物語が数多く、そういう話は戒めとしてしっかりと聞くべきだ。

 

2.昔から伝わる伝承や説話にもあるように、こんなふうにありえないような不気味な話は世の中に数多く聞かれる。

 

3.こんなに珍しく不気味なことは、以前子どもの頃に体験したことでもあるのだが、ここで申し上げるまでもない。

 

4.昔、寝物語に聞いたような、奇妙で気味の悪いような話は、こんな場所では余計に聞きたくはないものだ。

 

5.以前、体験した気味の悪い出来事は、まったく問題にならないほどのこの現状の様子を、詳しく聞きなさい。

 

照れ  チュー  びっくり

 

【昔物語(むかしものがたり)

【名詞】

①昔から伝わる物語

②昔の出来事の話。昔語り

 

 ※Weblio古語辞典より

   

『源氏物語』には、当時流行の謡曲や和歌、昔語りなどが、数多く散りばめられています。

 

 

今回、出てきた「昔の物語」とは、

おそらく当時流行ったエピソードのひとつなのでしょうが、

『源氏物語』の古注には、こんなふうに描かれています。

 

昔、河原院に宇多法皇が京極御息所を連れて一夜を明かした時、その院の元の主、源融の霊が現れて、御息所が気絶したという話が伝えられていた。後に『江談抄』に記載されている。

 

『江談抄』は、1104~1108年までに成立した説話ですが、

この中の話は、もっとずっと以前に伝承されていたものです。

 

今回、話題になっている源融(みなもとのとおる)という人は、

光源氏のモデルといわれているのはご存じでしょうか?

Σ(・ω・ノ)ノ!

 

 

実は。

この「夕顔」の巻で登場する「某( なにがし)の院」とは、

源融によって築かれた河原院といわれています。

(灬ºωº灬)

 

 

この河原院は、

源融の理想とする庭と、豪華な寝殿造りからなる

広大で風情あふれる邸宅でした。

 

しかしながら、

そんな贅を尽くした河原院は、

の死後急速に荒廃し、

 

皇位を継承できなかった源融の霊がさまようとも、

キツネや鬼が棲むとも噂されていました。

ガーン

 

 

もちろん、『源氏物語』には、「某の院」とあるだけで、

はっきり河原院とは書いてあるわけではありません。

 

 

しかし、この院のある場所と、当時の伝承を下敷きとして考えると、

これらの伝承から「夕顔」の卷が書かれたと考えるのは

当然の推測と言えるでしょう。

 

 

『江談抄』に見られる話の内容は次のとおり☆

 

月の明るい晩、河原院をゆずり受けた宇多上皇は、京極御息所を伴って院へ出かけた。そこへ源融の亡霊が現れ、自らの要求を述べる。宇田上皇の傍らにいた御息所は仮死状態になり、供の者を呼んでも声が届かない。かろうじて牛飼と連絡が取れ、そののち道理に服して亡霊は消え去った。

 

この『江談抄』のエピソードは、

源融の河原院への執着が題 材となっていますが、

 

『源氏物語』「夕顔」の巻と、ずいぶん共通項が多いことに気づきますか?

 

 

また、もう一つ、忘れてはならない関係性があり ます。

 

それは、

源融光源氏との境遇の類似性です。

 

 

源融は、嵯峨天皇の皇子だったものの、皇位にはつけず、

政界を去って、風流生活を送ります。

 

そのときに過ごしたのが、河原院でした。

 

海水を運ばせ、毎晩宴を催して和歌を詠み、

ぜいたくの限りを尽くした邸宅でしたが、

 

実は政権争いに敗れた傷を癒やそうとしていたのかもしれませんよね。  

キョロキョロ

 

 

ちなみに、

光源氏が春夏秋冬の四つの庭をしつらえ、

紫の上、花散里、秋好中宮、明石の君を住まわせた

豪邸六条院のモデルは、河原院であったと言われています。

 

 

六条院は、河原院と場所も広さもほぼ同じ設定です。

通常の貴族邸宅の4倍の面積を持ち、

庭園や調度にも趣向を凝らした、贅を尽くした大邸宅☆

 

 

…これほどの共通点があることからも、

『源氏物語』の作者紫式部が、

源融を意識していたのだということは、

十分に考えられますよね~!

ヽ(*'0'*)ツ

 

 

 

 

【解答】…

 

 

 

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