喜劇 眼の前旅館 -16ページ目

喜劇 眼の前旅館

短歌のブログ

アイスクリーム嫌いを直す催眠術みたいな意味のドイツ語の橋  我妻俊樹


そんな橋が実際にあるどころか、そんな意味のドイツ語が何というのかもまったく知りません。何と言うのでしょう。
これは上下句の切れ目のところでいったん切れて読めて、そこから付け足されるみたいに催眠術から橋のほうに焦点が変わるというところに、短歌であることの意味が生じているかなと思います。短歌の読み方でこの内容が読まれることの意味、のようなものが。
題詠blog2006、題「クリーム」より。
逃れないあなたになったおめでとう朝までつづく廊下おめでとう  我妻俊樹


2004年の題詠マラソン「廊」のお題でつくった歌で、のちに連作「インフェル野」に入れたもの。
廊下という言葉も私の歌における最頻出単語のひとつだと思います。何しろ廊下は建物内部に収納された道路です。空間把握における私の倒錯した好みを刺激してやまず、こういううわごとみたいな内容の歌をつくらせたりもする。しかし建物の中に道路があることの喜び、などうわごと以外どんな種類の言葉にできるというのでしょう。
東京タワーを映す鏡にあらわれて口紅を引きなおすくちびる  我妻俊樹


私が短歌の中にえがこうとする景色は、どこか短歌に似たものが多いと思うけど、たとえばこの歌の「鏡」は短歌のようだといえなくもない。
短歌は鏡に似ている。景色はその輪郭どおりに切り取られ、裏返しになり、覗き込めば景色を遮って自分自身の顔が映り込む。短歌とはそういうものかもしれない、などとつぶやいてみればもっともらしく聞こえもするわけですが、そういうことを考えてつくった歌ではないことはたしかです。そういうことを考えて歌をつくることはできない。しかし短歌に書かれる景色が短歌そのものをなぞりはじめるのは当然のことで、それを食い止める力があるいは筆力というものかもしれないけど、私は短歌が人をどのように無力にするかということにしか関心がないのです。
初出ポプラビーチ「日々短歌」2006年2月。
パーマン何号が猿だっけ? このゆびは何指だっけ おしえて先輩  我妻俊樹


第二回歌葉新人賞候補作「ニセ宇宙」より。
この頃つくった歌はあんまり定型かっちりじゃないのが多くて、それはまだ短歌をつくる意識と定型がシンクロしてないというか、あくまで短歌をつくるという意識によって言葉は出てきてるんだけど、その言葉が定型とは微妙にずれた型をあらかじめもってしまってるという場合が多かったのだと思う。
その後、歌のつくりかたが変わり、はじめに定型が絶対的なフレームとしてあってそこに言葉をつめていくような発想になった。それは自分の中であらかじめ言葉が固まりになったものを外に出していく、ということができなくなった(短歌にすべき言葉の固まりが枯れた)ということかもしれないし、題詠などで短歌を量産する習慣がついたからかもしれない。わざとらしい破調はたまにあっても、自然な固まり感のある破調の歌というのがすっかり消えてしまったのです。
最近それがちょっと戻りつつあるような気がしてて、それはいい傾向だと自分では思っています。
てっぺんが星屑になってる組織とか顔に小径のある阿修羅とか

無責任にきれいになりながら雨を飲む右翼手に初秋世界を託す

王冠にみえるほど私たちは同類だ 炊飯器ひざのすき間に光り

*

秩序がカーテン着て歩いてるような部屋だから窓には鍵が錆びついてるわ

十日目の赤ん坊の胸の中のロンドン きりのないながい橋の話よ

うまれた時から小指が赤い意図で(おや、あれが終電ではなかったようだ)

逃げるように藤棚は延び痴漢だけが気づく貼り紙だろうか月は

(愛国心に慣れない左手でエロチックな名をつけて可愛がる)→(発達する)

愛が駅に変わるのを車内広告の裏で焦がれて待つ愛の日々

髪と切れた電線が繋がるような馬鹿は、よもやすみれさん、袖口に蛇口

私に似た引越し屋がおまえを家具として搬ぶのに立派な理由がいるのか

ミスターまたはミセス・クリックを待ちぼうけて腫れた耳朶くらべ合うのみ

係累に加えてくれないか百円で雨の夜は雨のふりをするから

わさびだけ爪先まできつく充たされて見張るとびらを漏るうす暗さ

あれが幕張駅だと地鳴りを指させば電車の中をあるいていった

常識の庭だとしても枯れ果てて瞼をあけては眠れなかった

無料娼婦自分だけの街路樹を信じてる 無料警官ひげの中に芝生

来年もお逢いしましょう泥棒と見張りの西瓜畑の夜に

首すじにからみつくゆうべの風船を泡のように吹く少女ソムリエ

黄色い表紙の街に暮らす なりわいから災いまで駆け足で読まれ

雨でおまえの横つらを撲りあかしたい 言い訳をニュースのように聴きたい

さえない女が夕日を浴びた堰堤と同じ色になって縄跳びしてる

さえない女が花束をよれたシャツに入れ「妊娠したわけじゃないの」と言う

手首だけ日なたに出して話してる休みのつづくファミレスの裏

式場で姉妹はつづきの地図柄で見るたび交互にうらんでいた

*

魔法瓶と海賊盤の町へようこそ キャタピラの傷たどれば迷う

黒っぽいピンクに塗られ今日かぎり閉めきる支店のようなるまぶた

どの顔も目鼻が飛んでひかってる林の坂に午後をむかえて

鏡には選挙カーの窓で手を振っている菊人形 いかがな旅を

雀斑だらけでがりがりの胸ルーシーは日本人穴のたりないフルート

片隅でレジを始めるまだ店は始まってない土間が与えられる

夏休みがCDになって割れていた よくあることがわれらにこたえる

右側に瀬戸内海をくりかえしヒントのように怖れて暮らす

肩に書いたほくろ一つをひからせて西新宿は手を振れる距離

いつかおまえと崖に住みクイズ王になった娘の四十歳を祝いたい

すごく眠い河口に見えてしかたない他人の手紙に割り込んで怒鳴る

メキシコの、あるいは弾丸鉄道の切符が払戻されて砂に

「フリーセックス」と大きく書けば夕焼けに指揮するおばさんと看做される

つままれたような鼻した娘たちを言葉がしばし闇にみちびく

身をかくすシャツも紫煙も静電気さえもあなたといえば世田谷

観覧車ひとつずつ倒れ見透しが好くなってゆくある日ぼくらは


題詠blog2009 031~100(34以降は未投稿。55以降は欠番あり))