最寄り駅は、京急三崎口駅。
(さりげなく看板に「みさきまぐろえき」と書いてるところは注目してあげて欲しい)。
そこからバスで行く。
行きは、バス停油壺まで行く便が少なく(水族館と温泉が無くなったので)、一つ手前のシーボニア入口というバス停で降りて、西に向かう。
北は小網代湾。南は油壺湾に囲まれた一帯。
シーボニア入口から10分も歩けばこの地点。
左側は東大臨海実習所。前方や右手の空き地は、水族館や温泉があったところなのだろう。確かに何も無い。前方に富士山が見えるが、前進すると富士山がフェンスに隠れてしまう。しばし途方に暮れる。
ただ、道沿いに「油壺験潮場入口」とある。
そこからは、ちらっと海が見えた。
立ち入り禁止とは書いてないので、試しに急な階段を降りてみた。降り切ってみると。
そこには、美しい油壺湾の風景があった。
全国的に、寒波の押し寄せた日だったが、当地の気温はこの頃8℃。風もなく穏やかな晴れた午後のひととき。先の地図にあるように、油壺湾は深く切り込んだ内湾。まるで湖。
穏やかで美しい油壺湾を二人でのんびり眺めた。
独占だ。
海水も澄み切っている。
来てよかった。
というか、意を決して、急な階段を降りてよかった。
もちろん、戻りは急な階段を登るので、結構ハードではあったが。
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油壺湾を充分堪能して、再び、急な階段を登って道に戻る。
道沿いに、こんな看板。
帰りのバスまでは時間がまだあったので、この看板を頼りに歩いてみることにした。
徒歩483歩かどうかはともかく、富士山というのが気になる。
ちなみに、この油壺湾と小網代湾に挟まれた半島に新井城があった。
鎌倉以来の名族である三浦家。三浦半島を含む東相模一帯を領する大勢力として、室町時代後半まで君臨してきた一族だ。
しかし、室町時代後期、西の伊豆国を得てさらに西相模の大森氏の小田原城を陥し、東に侵攻してきた伊勢宗瑞(北条早雲)に攻め込まれ、この油壺の地にある新井城に三浦氏は追い詰められる。結局、籠城して三年の攻防を経て、ついに三浦家は滅び、北条は関東一円に勢力を展開するに至る。
油壺の名の由来は、この新井城落城の際、湾内が血汐で染まり油を流したように見えたからと言われている。
ただ、波が穏やかで、油を流したような海面だから油壺と呼ばれるようになったとの説もある。
個人的には、後者の説を取りたい。いや、そうしたい。
なお、この通路から眺めるのがスタンダードだとは思うが。
前述の油壺験潮場入口から降りて眺めるのはかなり素敵な眺めだ。満潮時はどこまで降りれるのか分からないけれど。ちなみに、この日14:30頃に到着したのだが、今日、調べてみると当日の油壺の干潮は15:11。ちょうど、海面が最も下がっていた頃らしい(干満差88cm)。偶然だけどね。
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先の地図だが。
今でこそ地続きだけれど。
関東大震災。そして、江戸時代にもあった関東大震災によって。このあたりの地形は大きく変化し、海面下のエリアが隆起して陸続きになったらしい。
逆に言えば、この地は、三浦半島と海で隔離されていたらしい。
地図の右端の「引橋」という地名のあたりは、天然の濠となっており、そこに引橋があったとのこと。
ただ、そのあたりが外濠だとすると、新井城のエリアは、小網代の森などを含む、ほぼ今の油壺一帯であって。今回行ったのはその西端のごく一部の本丸部分となる。つまり想像以上に当時の油壺の新井城は、巨大なエリアだったということだ。
ただ、どう検索しても、かつての新井城の範囲が分からなかった。海によって隔絶された、いわば島のような城だったのだろうけれど。
ともあれ、この看板を見る限り、128haというとんでもない面積の城だったらしい(面積分かるなら地図も欲しかった(笑))。
寄せ手の伊勢宗瑞(北条早雲)としても、引橋を突破しようとすれば、多数の犠牲が生じる。三方は海に囲まれ断崖絶壁であり、一方は引橋しか通れない。よって、包囲するしかない。三浦一族も兵糧を蓄え籠城戦を続け、三年後の滅亡まで戦い抜いた。
そんな歴史ある土地に、わたしは行ってみたかった。30年近く。だが、その趣味にかみさんを巻き添えにするのは躊躇していたが。実はかみさんも40年近く心に秘めていた「油壺」。私より昔から気になっていたことになる。
その油壺を、ようやく、眺めることができた。
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しばらく歩くと油壺の反対側にある荒井浜に出た。海の家もあるようだ。
富士山が見える。今度は富士山を愛でながら、のほほんと時を過ごす。なお、483歩だったかどうかは不明である(笑)。
ちなみに、かみさんのiPhoneの画像をもらったんだけど。なかなか美しすぎる富士山じゃないか。
帰りは、バス停油壺始発のバスがあったので、そこから乗る。ホントにバスが来るか不安だったが、来てくれてよかった。ご覧の通り、油壺バス停からだと一日に5本程度(シーボニア入口だと土日祝は1時間に1〜3本程度)。
何もない油壺。
観光客は皆無。
ただ、わたしたちは満足ではあった。
お互いそれぞれに心に留めていた土地にようやく辿り着けたのだから。
次に油壺を訪れることは、もう無いかもしれない。それは、この日ほど極上の天気のもと(ちょっと気温は低かったけど)、穏やかな油壺湾や富士山を眺められるとは思えないからだ。それくらい最高の油壺だった。と思っている。
次に三浦半島を訪れるならば。
京急三崎口駅から半島最南端の城ヶ島や三崎港に行き、まぐろを食べることだろう(笑)。おそらく、そちらの方が、今では明らかにスタンダードだと思うしね。
かくして、数十年にわたる時を越えて、わたしたちは油壺を満喫して、晩ごはんを久里浜に食べに行くのであった。













































