鈴懸の径(昭和17年 唄・灰田勝彦)
(※昭和17年発売の間違いですね)
灰田勝彦の母校でもある立教大学のキャンパス内には、歌詞の題材にもなった「鈴懸の径」が存在し、その名のとおり両側に鈴懸の木が立ち並ぶこみちであり、その後この歌を記念して歌碑も設置された。(参考)鈴懸の径(wiki)
昨夜、主人がTVでYouTube動画を観ておりました。ふと見ると、それはザ・ピーナッツが歌っている【鈴懸の径】でした。音声が悪いので灰田勝彦版を掲載しています。
実は、昭和40年代、私の両親は自宅の横に2階建てのアパートを建てており、そのアパート名は【鈴懸荘】でした。昭和60年代には取り壊しております。
(主人)
「義母さんが鈴懸荘って命名したよね。理由は何さ~」
(アグネス)
「うん、理由を聞いたら、昔、"鈴懸の径”という歌が流行ってて、鈴懸という言葉が好きだったのが理由だと言ってたわ。その頃はネットがない時代だから、鈴懸の径の由来を調べることが出来なかったけど、今、調べてみるわね~」
(アグネス)
「えぇ~大峯山(吉野)から高野山までをつなぐ道を【鈴懸の道】と言うんだって~このシンクロは何よ~
」
(主人)
「オイ、守護靈さんに聞いたら、義母さんは過去世で高野山で修行していた僧だって。高僧ではないみたいだけど~」
(アグネス)
「母方の実家は真言宗なのよ。母さんの口から弘法大師の話は聞いたことがないけどね~いやはや・・・」
ご存じのように、北海道は本州各地から移住してきた人々によって開拓されました。主人の父方は新潟県、母方は徳島県です。
私の父方は岩手県、母方は宮城県の亘理伊達氏(仙台藩主伊達氏の分家)で、現在の伊達市に集団移住をしてきたのです。だから・・・伊達市なのです。
‟吉野つながり”とゴールの先には宝物(2019/10/11)
上記の過去記事で、金峯山寺(吉野町)、天河大弁財天社と龍泉寺(共に天川村)に触れており、金峯山寺の【秘仏・蔵王権現の特別公開】を紹介していますね。
「2018年秋・京都・吉野の旅(3)」(2018/11/15)
サロンメンバーにはお伝えしておりますが、21日に【蔵王権現のサイン】が出されていました。蔵王権現ねぇ・・・
さて、本記事の内容と記事タイトル「試される国ニッポン」が、どう関係するのか?首をかしげている方が多いと思われます。
その理由は今朝出されたサインを読み解くと分かりますので、午後にでもアップいたします。良い話ではないですよ。それでは~
大峰山と高野山を紡ぐ「すずかけの道」
★過去記事