天河大弁財天社(奈良県・天川村)

 

旅の2日目、高野山で瞑想体験をし、御社、三鈷の松を拝見しました。根本大塔他は前回見学しているので、直ちに県道53号経由で天川村を目指しましたが、相変わらず和歌山県の道路は、道産子にとっては難儀です。えーん 今回は天河大弁財天社です。

 

大峯本宮・天川大弁財天社リーフレットより引用

 

天河神社は、日本の三大霊場である「高野・吉野・熊野」を結んだ三角形の中心に位置しています。縁起では、琵琶山に鎮まる真名井の磐座に第一代天皇神武天皇が祈りを捧げ「ヒノモト」という言葉を天から賜ったとされています。(略)

 

 

7世紀頃、修験道の祖である役行者は、長年にわたり天河を活動の拠点とし、奈良県吉野の大峯山に75靡(なびき)の道場を開山しました。また、空海は天河神社で修行を行った後、高野山で真言宗を築くに至りました。

 

 

社殿建立は、7世紀、天武天皇が戦勝祈願の功に対する感謝の印として、神殿を建てたのが最初であると伝えられています。現在の荘厳な社殿は平成元年に建て替えられたものであり、樹齢五百年、千年の吉野檜が使われています。

 

天河神社にだけ伝わる神器「五十鈴」

鈴緒を振って鈴を鳴らすのではなく、ぐるぐる円を描くように回すと、不思議な共鳴音が鳴る。UFOと交信するような音だと思っていたら、実はこの天河神社の周辺でUFOの目撃情報が異常に多いとか。(Travel.jp

 

天河神社の御本尊は弁財天市杵島姫命)であり、これはヒンズー教の女神、サラスバティ―と同一視されています。7世紀前半に、上述の役行者が、大峯山にて国の平和を祈願しましたところ、まず最初に、弁財天が、それから、男性の神、蔵王権現が姿を現しました。

 

※本殿に祀られている弁財天像は通常非公開で、毎年7月16日から17日にかけて執り行われる例大祭においてのみ開帳される

 

龍の手水舎(今回の旅で訪れた神社仏閣は全て龍の手水舎でした)

 

弁財天は優雅な女性の神であるため、荒々しい修験道の守護にはふさわしくないと判断し、役行者は、大峯山系の最高峰である弥山に弁財天をお祀りしました。

 

 

 

日本には、五大弁財天と称し、天河・厳島・竹生島・江ノ島・金華山にお祀りされておりますが、その中でも第一位が天河弁財天とされ、芸術、文学、音楽、弁舌の神として知られています。(引用終了)

 

五社殿

 

 

「奈良の神社話その一 神が降る「天石」、四つ目の謎」より

芸能の神として知られ、芸能人らも多数参拝に訪れる天河大弁財天社(天河神社)。濃く深い山と清流に抱かれたこの古社には、「天石」と呼ばれる四つの“神が天降る石”が存在する。(中略)

 

五社殿前の天石

 

一つ目は本殿へ上がる石段の右、二つ目はその向かいの五社殿前、三つ目は裏参道下の行者堂の左。だが、最後の一つが見当たらない。境内に立つ案内板にも「四石」とあるが、どうしてもわからない。というのも実は四つ目は、境内の手前に流れる天の川の中にあるからなのだ。

赤い欄干の弁天橋の中心辺りから上流側を見ると、水面から平たい石が顔をのぞかせているのがわかる。本来は2メートル程あるこの石こそが四つ目の天石ここで七夕に弁天様と素戔嗚尊が年に一度の逢瀬を楽しまれるとされ、七夕には天の川に灯籠を流して神々の出会いに彩りを添える。(引用終了)

 

(2017/7/7 天下泰平さん)より

七夕

 

かごめの歌にもある「夜明けの晩」といえば「鶴と亀が滑る(統べる)」。天を舞う鶴と地を這う亀の「天地一体・陰陽統合」
 

七夕の夜の陰陽統合といえば、七夕物語に出てくる「織姫(ベガ)」と「彦星(アルタイル)」の男女であり、これは日本の引き離されて隠された神を象徴していると言われています。

 

織姫は「瀬織津姫(セオリツヒメ)」であり、一方の彦星(牽牛星=スサノオ[出雲王])は「饒速日(ニギハヤヒ)」という話です。この縄文の夫婦神の統合が起こる七夕ですが、どちらかといえば、やはりメインは女性性の時代、女神の象徴である瀬織津姫。(引用終了)

 

(過去記事) 『1122』はいい夫婦の日(2)(2016/10/9)