深紅の大優勝旗が白河の関を越える 仙台育英が凱旋(8/23)
2022年夏の甲子園「深紅の優勝旗」は仙台育英高校が手にしました。仙台育英の選手、関係者の皆様、仙台市民、東北地方の皆様、誠におめでとうございます~
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04年夏に駒大苫小牧で初V 香田監督、仙台育英へ「敬意しかありません」(8/23)
◆東北勢108年目の悲願
未だに優勝旗が「白河の関」を超えていないのは知っていましたし、2004年に駒大苫小牧高が、優勝旗を津軽海峡を越えて持ち帰った時、少し申し訳ない気持ちになったものです。
7回に満塁ホームランが出て、ほぼ試合を決めた時、ちょうど夫婦でみておりまして、「これで決まったわね~」と思いました。
それにしましても、決勝戦の相手が安倍元首相の選挙区である山口県の代表校とはねぇ・・・スコアも「8-1」です。
尾張名古屋は「八」でもつ?(8/23)
上記記事は23日にアップしておりますが、名古屋バス事故は22日午前に起きていますし、「108年目の悲願」にも嬉しいサインがあります。
★数靈「108」の意味(煩悩の数)
聖なる光と俗なるものが融和し、昇華していく数靈です。言行一致で徳を積み、天に愛される人になりましょう。(準決勝の対戦相手は福島県の聖光学院)
★数靈「108」のキーワード
羊、御来光、必然、権現、如来、言行一致、文明、共存
◆白河の関とは(Wikipedia)
古代の日本における関所の1つ。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として歴史上名高く、奥州(現代の東北地方)の玄関口とされてきた。所在地は福島県白河市旗宿。
(※念珠ケ関は別名・鼠ケ関という)
当地は下野国(現:栃木県)と陸奥国(現:福島県など)との国境付近であり、現代でも関東地方と東北地方との境界となっている。鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに『奥州三関』の1つに数えられる。(引用終了)
「えっ!鼠ケ関~」
能登半島地震と「日本列島断層」(6/22)
またまた、松尾芭蕉の『奥の細道』にシンクロしています。
芭蕉は殺生石に立ち寄り、白河の関を経て東北に入り、日本海側に回り、酒田から「鼠ケ関」を通り、新潟に入りました。
話しが少しそれてしまいました。
甲子園決勝での東北勢の歴史を振り返ってみましょう。スクショは文末でご紹介しております動画からです。
◆甲子園での東北勢の決勝結果
★1915年夏、秋田中(秋田)
★1969年夏、三沢高校(青森)
★1971年夏、磐城高校(福島)
★1989年夏、2001年春、仙台育英高(宮城)
★2003年夏、東北高校(宮城)
★2009年春、花巻東高校(岩手)
★2011年夏、2012年春夏、光星学院(青森)
★2015年夏、仙台育英高(宮城)
★2018年夏、金足農高(秋田)
★2022年夏、仙台育英高(宮城)
ご存知のように北海道はアイヌの人々が先住していた土地で、明治維新後に東北以南から移住してきた人々によって開拓されました。
主人のご先祖様は新潟県(父方)、徳島県(母方)の出身者で、私のご先祖様は岩手県(父方)、宮城県(母方)なのです。
特に、母方は亘理伊達氏の家臣で、室蘭市の近くにあります「伊達市」に移住してきました。
それはどうでもいいのですが、仙台藩を調べてみたところ・・・
仙台藩(Wikipedia)
陸奥国仙台城に藩庁を置き、外様大名の伊達本家が治めた藩である。伊達藩と呼ばれることもある。(図は河北新報より拝借)
表高は62万石であり、所領として現在の宮城県全域、岩手県南部及び福島県新地町計約60万石を一円知行で治め、現在の茨城県及び滋賀県に合計約2万石の飛び地があったが、戊辰戦争後に28万石に減封となり、その石高で廃藩置県を迎えた。(引用終了)
「えっ?茨城と滋賀に飛び地~」
尾張名古屋は「八」でもつ?(8/23)
「県番号8」は茨城県、「県番号25」は滋賀県となっています。(引用終了)
(参考)都道府県番号
偶然だと思います。では~
【甲子園】白河越えの呪いとは何だったのか?