母公堂(大峯山洞川温泉観光協会HP)

今から1300有余年前の白鳳年間、役行者という山岳修験者が、熊野本宮から大峯山脈を南から北の大峯山(山上ヶ岳)に向かい修行をしていました。

 

この修行を案じた役行者の母、渡都岐(とつき)白専女は、役行者の弟子・後鬼の案内で葛城山の麓、茅原から険しい峠や山河を越えて、役行者が山籠りして修行している大峯山に一番近い、洞川の蛇ケ谷まで会いに来ましたが、この谷を渡ろうとすると、一匹の大蛇が行く手を阻み、どうしても渡ることが出来ません。後鬼と替わるがわる何度試みても駄目でした。

 

 

弟子の前鬼を通じてこのことを知った孝行心の篤い役行者は、悩みに悩んだ末、このままでは母は私を心配して命の危険な山中を何処までも心配して追っかけて来る。蛇ケ谷に庵を建て母に住んでもらい、身の回りのことを後鬼に頼み、私自身が時々母を訪ねることにすれば、母も安心して留まってくれるだろう。早速、洞川の人たちに頼んで母の庵を建ててもらい、母公堂と庵の名を付けました。

 

 

また、その際に重ねて母を思う心から、母が後を追わないようにと「女人入山禁止の結界門」を建てました。これが「女人禁制」の始まりであり、一千三百有余年後現在も守り続けられている歴史の重みであります。これは「女性差別的」な解釈でなく、役行者の母を思う優しい心の現れであると、私ども後鬼の子孫は考えています。(引用終了)

 

龍泉寺HPより拝借(夫婦の鬼で前鬼が夫、後鬼が妻)

 

天河大弁財天社を出ると、ちょうどお昼となりました。ランチ後に向かった先は「龍泉寺」という寺院なのですが・・・ここからが二つ目の不思議の始まりでした。筆者自身は気づいていません。爆  笑

 

旅行に行く際には、いつも訪問先の一覧表を作り、カーナビの目的地入力のために電話番号を記載しています。いつもの通り、龍泉寺の電話番号を記入していましたので、カーナビ音声のまま車を進めました。

 

ところが、途中から「なんか変だわ?」と思うようになり、結局到着した場所は、「大峯山寺」の登山口の駐車場でした。大峯山頂には龍泉寺の大峯山本堂があり、その電話番号を入力していたのですよ。本当の目的地は里にある「龍泉寺」です。てへぺろ

 

(参考) 修験道の聖地『大峰山寺』登拝しました

 

登山口駐車場で数人の登山客を見つけ、「すいません、ここは龍泉寺ではないのですか?」と尋ねますと、「ここは違うよ、村の方に戻らなくちゃダメだよ~」

 

早速、車をUターンさせ走り出しました。途中で「役行者云々」と書かれた建物を見つけ、主人に言って停車してもらいました。写メだけ撮るつもりでしたが、お堂のご主人が声を掛けてきて、「休んでいったらどう?コーヒーをサービスしますよ~」とのお誘いに負けて、主人も出てきて40分ほど滞在しました。

 

「母公堂」といいまして、神社とお寺を混合したようなものでした。冒頭でご紹介しました写真三枚がそうです。役行者と母君をお祀りしています。役行者(役小角)は大峯や熊野の山々で修行し、修験道の開祖となりました。

 

コーヒーをいただきながら、役行者のことを知らない主人から・・・

 

「役行者ってどんな人なのさ?」

「うん、修験道の開祖でとっても有名な人なのよ。わたし、役行者が好きなのよ~」

 

と答えたのはいいのですが、内心は「どうして好きだって言ったのかしら?」と不思議な気持ちになりました。嫌いではありませんが、特に好きだという訳でもなく、突然口から出てしまったのですよ。これが後々になって言わされていたのだと分かります。グラサン

 

龍泉寺・第一水行場(〇印が役行者像)

※大峰山を登る修験者は、ここで水に浸かって身を清め、八大龍王尊に安全を祈願してから登ります。

 

龍の手水舎

 

里にある龍泉寺の写真を数点ご紹介しますが、詳細はHPなどでお調べください。「母公堂」に立ち寄ったミスは、後々トンデモナイことにつながり、読者の皆さんにも関係しているかもしれませんので、【熊野・高野山の旅】は最後までご覧くださいね~。ウインク

 

本 堂

 

八大龍王堂(横から撮影したみたいw)

 

龍の口(霊水は水行場に注がれています)

 

龍の口に祀られている「善女龍王」

 

なで石(なでると軽く持ち上がり、叩いて持ち上げると重くなる?)

 

剣の姿に身を変えた御不動様