私の生まれた国は、冬には港も凍る、雪に閉ざされた北の国なのよ。この明るい街で生まれ育ったあなたには、解らないわよ、バルバラ。私がどれほど、春の暖かな日差しを愛しているか。
やっと重い外套を脱ぎ捨てたのよ!これからの季節は、思う存分、お洒落やお出かけを楽しめるわね!✨
ランラ、ランラ」
あんまり調子乗って食い過ぎて、式当日、ぶっくぶくに太ってたって知らないよ」
ナースチャ「まあっ
自分がゲルダ・イソラと大喧嘩したからって、私に当たらなくたっていいじゃないの。バルバラ・ペリエ」
かかとを捻挫して一週間もしないうちに、稽古場に戻ってってさ
今、無理したら、足、一生動かなくなるっつーの!」
ナースチャ「バルバラの気持ちは解るけど、ゲルダも、夏公演で、誰にもプリンシパルの座を譲りたくないのよ
あなたも、プロのバレリーナを目指していたんだから、それは解るでしょ、バルバラ」
バルバラ「…そりゃあ解るよ。
でも、解るからこそ、こっちは真剣に忠告してるのにさぁ…」
ナースチャ「減量と不眠で拒食症になりかけてたソニアさんに『バレエをやめろ』と言ったラークさんに対して、かつて食ってかかったバルバラが、今、全く同じような喧嘩を、ゲルダとしているなんて、運命の神の采配を感じるわね」
バルバラ「うっ…
今思い出すと、それ、マジで頭痛いよ…あん時、ラークにあたし、何てこと言っちまったんだろう
…可哀想なソニア。ソニアがラークの助言に、少しでも耳を傾けてくれてたら…
てか、ゲルダとの喧嘩の話、あんた、まさか、ラークにしてないでしょうね…」
ナースチャ「あら。そういうことは、話したその場で言ってくれなくては、間に合わなくてよ、バルバラ
私は、言われずとも空気を読んで行動する国の生まれでは、ありませんわ」
バルバラ「ギャーッ。マジかよ。このお喋り女
まぁいいや。…ラークはなんて?」
ナースチャ「何も言わなかったわ。
ただ笑いながら『僕らの結婚式には、バルバラもゲルダも来てくれるはずだから、2席、用意しておくよ』って」
そういや、結婚式は何処で挙げるの?あんたがた」
ナースチャ「私は、ラークさんやポムちゃんたちのいる国の小さな結婚式場で、ひっそりと挙げたかったんだけど…
私のパパやママが、元王族でしょう。どうしても、格式と伝統に拘ってね。大掛かりにはしないまでも、パパとママが今暮らしてる国の、小さいけど歴史ある有名寺院で挙げることになりそうよ。
その代わり、小規模の結婚披露パーティは、ラークさんの農場の近所にある、私のいとこのポムちゃんのお家、そしてこのP市の私の部屋、両方で別々に開くつもりなの
此方では、バルバラとゲルダさんは勿論、ラークさんの大学時代のお友達、私のデザイン学校の先生や友達、仕事仲間、リュシエンヌ先生やバレエ学校でお世話になった方々、ご近所のお世話になっている方々を、お招きする予定でいるわ」
ラークが預かってる三人のおチビちゃんたちにとっても、伝統ある歴史的名所での結婚式は、一度見とく価値、ありそうだしさ…🤔」
ナースチャ「バルバラが賛同してくれて、とても嬉しいわ
バルバラは、クックちゃんやロビンちゃんやマレットちゃんのことは、とても親身に考えてくれてるのね。
まだ、会ったこともない子供たちなのに」
両親揃った家庭も知らないし、上流層の人間がどんな暮らしや考え方をしているのかも、ナースチャと知り合うまで、全く知る機会なかったし
貧民窟の子だって、這い上がった先に何があるかが見えなくては、高い場所なんて目指しようがないだろ。
子供らの目にするものが、生まれながらにして、貧富であまりにも差がつくのは、良くないと思うんだよな」
あの子達には、なるべく幅広く、色々な経験をさせてあげたいわ。その上で、本人たちが得てきたものの中から、気に入った生き方を選び取ればいいのよ」
バルバラ「…あれっ、え?…あたしの携帯…」
ナースチャ「ほら来た、ゲルダからでしょ
…じゃ、私、買い物に行って来るわね」
あ、あたし、ゲルダになんて言ったらいいんだろう?」
ナースチャ「それは、あなた自身が考えなさいよ
頑張ってね、バルバラ」
これまでのお話
登場人物&設定
・・・・・
「パリの屋根の下」ラウル・モレッティ
内容は、スッゴく長いので、意訳すると
「昔ママが『可愛いニニや、このパリの街で、ささやかながら二人、幸せに暮らしてこうね』と言ったの。
ニニが二十歳になった時、素敵な若者に口説かれたわ。ニニは躊躇ったけど、恋に落ちたのよ。ところが彼は残酷にもニニを捨ててしまった!
ニニが泣き崩れていると、ある日、彼は帰ってきた。
とうとうニニは彼と結婚し、幸せを掴んだの、パリの屋根の下で!」
日本では、オペラ歌手の田谷力三が
「懐かしの思い出に さしぐむ涙
鐘は鳴る 鐘は鳴る マロニエの並木道(作詞:西条八十)」
と歌ったけど…
それは訳詞ではなく、オリジナルのニュアンスすら留めない、日本独自の「作詞」です😅
今、深刻な問題になってる、日本の子供の6人に一人が陥っている「相対的貧困」。
日本の平均所得の、半分以下の所得で生活する状態を「相対的貧困」と言います。
発展途上国の子供たちが置かれているような、生命維持が難しいレベルの「絶対的貧困」とは違うけれど、
この状態の家庭で育った子は、普通の家庭の子が当たり前に経験できることを、全く知らずに大人になります。
加え、様々な負の要因が重なり、勉強したくても落ち着いて学習出来る環境を得られず、貧困から這い上がる手段を絶たれるのが「多重逆境」。
両親が怒鳴り合ってない家を知らない。
幼い弟妹の世話に振り回されず、落ち着いて勉強出来る環境が、家の中にない(ヤングケアラー)。
親か自分かきょうだいが食べるのを我慢せず、三食食べられる状況を知らない。
レストランに1度も入ったことがない。
授業についてゆけない子の為に、塾というものがあることを知らない。
電車やバスに乗ったことがないから、切符の買い方や乗り方も知らない。
映画や音楽鑑賞、友達同士で話題になるから話を合わせているが、何のことか解らない。
食べ盛りなのに満足に食べられず、給食のみで腹を満たし、休みの日には水か、かろうじてある納豆や菓子パンだけでやり過ごす。
生理用品が買えず、一日中、同じものを肌に当てている。
トー横キッズの約半数はこれじゃないかな。
Yuniの父が、被虐待に加え、まさしくこれの走りだったと思います。
当時は戦後すぐだったから、絶対的貧困の…家も身寄りもない飢餓状態の子を救うので、日本は精一杯でした。
しかしYuni父は、めちゃくちゃ貧しい家で、継母に虐待され、労働搾取されて育ち、
弁当を用意して貰えず、遠足や運動会の時には、それを先生や同級生に知られないよう、物陰に隠れていました。
Yuni父が飢えていることに、「毎回忘れてくる」教科書が継母に破り捨てられていることに、放課後、店番として家に縛り付けられ、友達が誘いに来てもYuni父だけ断り続ける理由に、先生も同級生も、誰一人気付きませんでした。
それでもYuni父は、地頭の良さで、貧困の罠から這い上がることが出来ましたが…
返還不要奨学金の存在を知らず、学費は親切な親族が一部出してくれたものの、足らない分はバイトで必死に補い、
社会に出てからも返還の必要な奨学金を働いて返し、借金の一部は結婚後にYuniの母が払いました。
環境が悪すぎて、まさしくYuni父のような就学困難の子を救う為に用意された、教育支援の情報にすら、辿り着けなかった。
困窮してる状態に見えなかったから、誰も教えてくれなかったんですね。
三兄弟の一番上、母子家庭。
頭は良いが、一歩誤れば不良になってしまいそうな危うさを孕んだ子でした。
彼のママは、送迎に咥え煙草で来てしまうような、我々指導員から見たら些か頭痛の種の人でしたが、彼はママが大好きでした。
…大好きなママを、長男の自分が、なるべく早く稼ぎに出て、助けたい。
でも、身近な稼げる例は「水商売」一択。
話を聞くと、彼の周りの大人は皆、風俗業や水商売に就いている。
周りの子達(小3とか小2の…)も、気付けば「稼げるよ!うちの姉ちゃん、キャバで超稼いでるもん」「私の従兄も…」と、その話題に無邪気に相槌を打っている。
それ以外の「稼げる例」を、この学童の多くの子供たちは知りませんでした。
Yuniの父が目指した「稼いで貧困から這い出す手段」が、欧米外資で良かった。
(英語含む外国語が得意だったYuni父の目は、早くから海外に向いてました。
継母の虐待から逃げ、家出した先も港。水夫として雇ってくれと、切符買う金ないから何駅も線路沿いを歩いて船舶会社に頼みに行ったそう)
しかし私が見てきた子たちは恐らく、外資企業の「存在」すら知らない。
…あらゆる情報を得てきた上で、水商売が特に自分に向いていると判断して選ぶなら、それでいい。
でも彼らがいるのは、他の情報をほぼ知る由もない環境。
余りにもやるせないと、Yuniは思いました。
ドラマになりそうな多重逆境の中で育ったYuni父ですが、一番愛する音楽ジャンルはクラシック。
世界史も大好きで、特に古代ローマ史や中国史は、今も語り出したら止まらない。
何故そうなったのか、未だ謎。Yuni父の実父も継母も、都々逸や流行歌しか好まなかった気しかしない…実母(久留米藩士がルーツ。後に灌漑事業の為福島に移住)の方は家柄が良く、Yuni父を陰ながら支えてくれた伯父さんは社長だったから、Yuni父はそっちの血を濃く引いたのかもしれない。
Yuni父は音楽の授業が大好きで、シューベルト等のドイツ歌曲はドイツ語で暗唱し、またオペラなどは小説(椿姫など)を図書室で借りて読んだりして、クラシック好きになったというのもあったようです。
だからこそ、誰からも虐待や貧困に気付かれなかった…というデメリットもあったでしょうが、
その教養のお陰で、Yuni父は欧米で働いても無教養者扱いされず、周囲の人達とも、対等に渡り歩く事が出来ました。
…でも現在、これは非常に稀な例。
実際、私が見てきた学童の子たちは、ヴァイオリンを弾くボランティアさんが来てくれても、聴き方が判らずに大騒ぎし、
挙句、演奏者からヴァイオリンを奪い取ろうとする始末。
流石にこの時はYuni、大声で子供たちを叱りました。
Yuni自身はピアノを習い、発表会にも出、小さい頃から親に連れられ、さほど高尚な舞台ではなくても、ミュージカルやコンサートを時々観にゆきました。
そして大人になると、バレエや演劇の舞台やコンサートホール、美術館に、自ら足を運ぶようになった。
…ので、演奏中のヴァイオリンに、ケタケタ笑いながら獣のように飛びかかるという、子供たちの行動が理解できず、茫然。
文化的経験が皆無。
これは、こういう子供たち(いつかは大人)を量産することになります。
彼らが、凄まじい努力を重ねて偏差値を上げ、貧困の淵から這い上がり、一流企業に就けたとしても…
これではマトモな人間だとすら思って貰えません。下手すれば陰で物笑いの種です。
経済的に豊かな家の子供たちは、高学歴の中学や高校に入る為、親が無人のアパートの一室を借り、そこに子の籍を置くなどして越境させ、学習の質の高さで有名な公立小に通わせ、更に塾に金を注ぎ、奨学金その他の有益な情報をも入手。
金と手を尽くして、我が子が政治家や医者や弁護士、名だたる会社の重役になる為の切符を手に入れます。
(これはつくばでよく見かけた。教育の質が革新的に高い公立小が、研究学園都市には何校かある)
勿論、子供本人の頭脳とやる気がなくては、親がここまでやったところでどうにもなりませんが、明らかに貧困層の子とは、スタートラインもその後のサポートにも、差があり過ぎる。
事実、貧困層の子ほど成績が低いというデータが出ています。
こうして、本来なら、頭は良くても経済的にゆとりのない家庭の子の受け皿になるはずの、日本の高偏差値の(学費が少ない)都立校・国立校の殆どは、経済的苦労を知らず、幼少期から貧困層の子たちに一度も接したことのない富裕層出の学生で占められ、
いずれは、貧困に対し盲目の政治家や学者、マスコミ関係者、文化人、財界人、法曹界の人間ばかりが牛耳る「生まれた家庭の経済力ガチャで、子の一生が決まってしまう国」になってゆくのです。
苦しいのは、どの子も皆、可愛いんですよね。
貧困世帯の子だからスレてるとか、富裕層の子だから我が儘だとか、そんなことない。
絵本の時間を楽しみにしてくれて、仕掛け絵本に…え?これどうなってるの?と聞いてきたり、夢中になって「頑張れ!」と主人公に声をかけてしまう姿は、どっちも普通に子供。
失敗して、何とか誤魔化そうとしたり、怒ったり泣いたり、やっぱり子供。背景が違うだけで。
資本主義社会の代表国アメリカやイギリスは、日本より遥かに早い段階で、深刻な「出自ガチャの国」でした。
…イギリスは、スポーツの嗜好にも上流階級と労働階級で歴然と差がある。サッカーは最下層が楽しむ為のスポーツ、バレエはかつて娼婦のしていた賎業と見なされる為、上流層の子は習わない。
アメリカの公立校は州によって受けられる教育格差が凄まじく、また私立校は寄付額により待遇が決まる。家庭事情で小学校にも通えなかった為に、アルファベットの読めない大人や、基本的な読み書き計算の出来ない子が、大勢いる。
…って話、Yuni、少し書いてましたよね?
日本は悪い意味で、今、憧れの欧米様の後追いをしています。
…Yuni、言ったよね。欧米なんか人権先進国でも何でもない、欧米出羽守・日本尾張守が何言おうが、日本が見倣う部分なんか皆無だよ、って。
経験の差で格差は広がり、貧富は固定され、世代を追うごとに、その溝は深まってしまいます。
先日、茨城県龍ヶ崎市の民間の人たちがやっている「無料塾」の情報に、少し触れましたが…
何とかして、この差を少しでも解消すべく、日本にこういう活動をしている人たちがあることを、少し、多くの方々に知ってほしくて、書きました。
廃病院を利用し、放課後、居場所のない子供たちが安心して学習できる場所を作り、解らない所を教え、手作りの食事を提供し、ランドセルや近隣校の制服も集め、買えない世帯に回しています。
今年の高校受験生は全員、県立高校に合格しました!💮とHPにありました。
・・・
因みに、Yuni夫婦が20年続けてきたフォスタープラン、心残りのまま辞めました。
もう限界。今、チャイルドになってくれてる中南米の女の子の支援満期だけでも、待ちたかったけど…
彼女を人質にされてしまってる気持ちで、数年耐えたんだけど…
プラン・ジャパンは数年前「女の子の為の居場所・相談プロジェクト(日本)」を立ち上げ、救う対象を「女子」のみに限定。
Yuniはそれに対し、悩み抜いた末「賛同できない」と抗議、一度は理解して貰えたと錯覚しましたが、
結局プランは明確に「女子のみの居場所(日本)」を売りにし始めた。
20年の間に、目指す所が変わってしまったんですね。
何故、全ての性別の子供に足らない「居場所・相談場所」を、プランが「女子限定」で与えることにしたのか、今もYuniには解りません。プランはこんなフェミ色バリバリな団体じゃなかったのに。
Yuniは「女子を」ではなく「子供を」支援したくて、プランを始めたので、
「困窮した男子(かつてのYuni父のような)やLGBTの子を、門前で閉め出すのか?」
「『(全く同じ家庭に育ったとしても)男子なら耐えられるはず』というアンコンシャス・バイアスを生み出しているのは、そういうやり方なのでは?」
「『ジェンダー平等』を唱えるなら、日本では支援の必要な子を『ジェンダーを問わず』支援してほしい」
と抗議する私のような支援者は、プランにとっても、もはや足手纏いでしかないんだと思います。
支援が必要な子供の力に少しでもなりたいという気持ちは、YuniもYuni夫も変わっていないので、今は別の支援方法を考え中。
ジェンダーで差別することなく、支援の必要な「子供を」一人でも、困窮から救い出す方法を、模索するつもりです。