悲喜こもごも初鰹
現代は昔と比べて、生活の中での季節感がなくなってきているといわれますが、それでもわりと身近なところで、食べ物に季節の移り変わりを感じる人は多いでしょう。
私なんかもその口で、先日もランチに出かけた定食屋さんにて「季節限定 かつお丼」なるメニューを見かけ、もう鰹の出回る季節かと思った次第です。
今日は江戸川柳から「初鰹」にちなんだ句をご紹介します。
目も耳もただだが口はたかくつき
これは有名な、目には青葉山時鳥初鰹という句のパロディーです。
目で青葉を見るのは無料。耳で時鳥を見るのも無料。しかし初鰹を味わうとなると、とんだ高いものにつく。
実際初鰹がどれだけ高かったかというと、一分か二分程度の値がつくのは例年のことだったようです。
この金額はかけ蕎麦の六十杯分以上に相当するとのこと。
金持ちを見くびって行く初鰹
金持ちというものは、無駄遣いをしないから金持ちになったのだ。そういう人種を魚屋は「あんたにはこの高い魚なんて買えないだろう」と見くびる。
葬礼を見て初かつほ値が出来る
(それほどに高い魚だが)人の葬式を見ると「食べたい物は思い切って食べようと、決意する者もいる。
何事も生きているうちの物種ではないか。
その値では袷(あわせ)があたらしく出来る
主婦たちはたかが一尾の魚にばかな金を使う亭主に憤懣やる方ない。ちょうど、当時旧暦4月は衣替えの季節、
着る物の算段に頭を悩ませている最中でもある。
女房の意見を聞いて安い鰹でがまんすべきだろう。そう思って生きの悪い鰹を買い込んだりすると、中毒してとんだ赤っ恥をかく。
恥ずかしさ医者へ鰹の値が知れる
以上、川柳、解説とも 川柳 江戸の四季 下山 弘著 /中公新書 から一部を補足して引用しました。
目指したいのは「花の名前」
昨日の記事
の続きです。
父の遺した原稿の出版をすすめるにあたって、資料として江戸川柳、俳諧、和歌、俳句などを読み進めています。
その中で面白いと思う句をこのブログ上で紹介しています。
江戸川柳に「なるほど、旨く作ったねぇ」と感心し、俳諧に「わかるわかる」と共感し、和歌の表現の豊かさに驚く…
上記のいずれの分野においても、私は初心者マーク。もちろん原稿の参考にするのでいろいろと調べることはありますが、基本的には無邪気に楽しんでいるだけです。
時に「あはは」と笑ったり、時に「いいなぁ」と深いため息をついたり。
原稿の出版化はいまでも自分の中心的な目標です。しかしその先にあるものが、少し見えてきました。
父の原稿にある豊かな日本語表現を広めること、また前述した古典文芸の良さを紹介すること、これらは今生きる人たちに役立つものではないかと。
「役立つもの」というと具体的で即効性のあるものが連想されます。
しかしこの場合は形のない領域、感情的なまたは精神的な面で作用するものと思います。
以前読んだ本に「花の名前一つ知っているだけでも人生は豊かになる」といった内容の言葉がありました。
このブログを読まれた方にとって、ご紹介する一つ一つの言葉や句が「花の名前」のようであったらいいなと思います。
もちろんそれを決めるのは読者の皆さんです。私自身は自分で楽しみつつ「これ、いいでしょ。」とおすすめして、できればこの豊かな世界をいっしょに楽しめればと思う次第です。
ブログを連載し始めた当初からこのような思いはあったのですが、震災が起こった後により一層その気持ちが強くなりました。
少しずつ生じた変化
昨日の記事 の続きです。
本ブログでは父の遺した原稿の出版に向けての記録とともに、父の著作を読み直したり、父の愛した古典文学に触れたりするなかで私なりに面白いと思ったり、いいと感じた作品を紹介してきました。
このブログを続けていくうちに自分の中に少しずつ変化が生じます。
江戸川柳、俳諧、和歌、俳句に触れる中で自分の心がいやされてきました。
そしてもしかしたら私と同じように感じる人がいるのではないか、これは現代人のぎすぎすした生活に潤いを与えてくれるものではないかと思うようになったのです。
明日に続きます
改めてご紹介します。
このブログを読み返すと、我ながらつくづくまとまりのないブログだと思います。
出版に向けた原稿整理のことが書いてあるかと思うと、古典の短詞句の紹介がありそれも江戸川柳、俳諧、短歌、俳句とジャンルは様々.。その間に何か言いたげな、つたない「論」のようなものまで挟まっている。
決して何も考えていないわけではなく、自分の中ではそれぞれの要素はつながっているのですが、初めてこのブログを訪れる方はきっと(?)と思うでしょう。
そもそもこのブログは、今年の一月に他界した父が残していた原稿を出版すべく、その記録をつけるために立ち上げたものです。
父の原稿はほぼ100%完成しておりましたが、原稿の中で若干ですが整理が必要な点が残っており、原稿整理と出版に向けての諸事を私が担当することになりました。
原稿の整理作業や編集プロダクションの打ち合わせ等の中で、どんな小さなことであっても何らかの意思決定を求められる場面があります。
そのときに、もし父が生きていたら、行ったであろう判断と同じ判断をすべく、父の考え方や感性を自分の中に取り入れ、またこの原稿をより深く理解することを試みました。
具体的には、原稿の中での自分が不明な点を調べる、父の著作を読み直したり、父の愛した古典文学に触れたりすることです。そのなかで私なりに面白いと思ったり、いいと感じた作品をこのブログ上でご紹介しています。
明日に続きます。
江戸川柳的コミュニケーション論
本ブログ、最近はとらえどころのないエッセイ(一応各記事にはひとつずつ言いたいことはあるのですが)が多くを占めています。
本日は久しぶりに、江戸川柳(古川柳)のご紹介をしたいと思います。
名付けて江戸川柳的コミュニケーション論!部下や家族に対する「意見」を詠んだ句を三つほど。
一寝入りねせて夕べの意見をし
気づいたことがあったら、その場でサッと意見する。管理職マニュアルには必ずこう書いてあるが、これも時によりけりだ。タイミングを見なくては。
親の気になれとは無理なしかりよう
言うことを聞かない子供にしびれを切らして、「親の気にもなって見ろ」。そんなことをいっても無理だし、それにこれは親の敗北宣言だ。
~上司と部下との関係でも言えますね。(下山吹注)
人に言意見(いういけん)を聞いちゃひとりまへ
「人間てェのはそういうものじゃないよ。えェっ?」
もっともらしいことを講釈しているけど、あいつめ、そんなことをいえる柄かい。おれからしょっちゅう小言をくらってるくせして。
よく見かける風景だ。おかしくってたまらないけど、世の中は順繰りにまわるもの。ひとそれぞれの立場があるんだから、からかったらまずい。まして、「お前、人にはもっともらしいことをいうけど、自分の行動はなんだ。」
これではプライドを傷つけるだけで教育にはならない。
「江戸川柳 男たちの泣き笑い」 下山 弘著 プレジデント社より解説ともに引用。
対象から少し距離を置いてみる視線。そういう都会的な男たちの態度がこれらの句には見て取れますね。