原稿提出
本日は編集プロダクションに修正した原稿を提出しました。
自分のなかで懸案となっていた事項が、一歩進むと気が楽になります。
明日からは書名のアイデアだしほか、未決定の部分に取り組みます。
市場調査もせねば!
応募作を集めるシステム
昨日は川柳の江戸時代当時の人気ぶりを記事にしました。
「最盛期一番人気のあった点者には、なんと一万数千句が集まった」とのこと。
本日はこの膨大な数の句を集めるシステムについてお伝えします。
江戸市中には「取次ぎ」という川柳の受付窓口がありました。
作者は応募作品を紙に書いて取り次ぎに持参します。取次ぎは応募作を集めて点者(川柳の出題者)へ引き渡すという流れです。
なお、取次ぎの分布は広く江戸市中にありましたが、市谷、麹町、小石川など武家屋敷のそばにあるものが多いです。これより旗本、御家人などの武士が作者に多くいたことが推察されます。
また一部の点者は江戸以外からも作品を集め、姉崎、銚子、稲毛、常州(茨城)などからも多数の投稿があったとのことです。
参考図書 江戸古川柳の世界 下山 弘 / 講談社親書
大流行の庶民(?)文芸
昨日に続き、このブログでもよく取り上げている、江戸川柳とは一体どういうものだったかをお伝えします。
本日は内容というよりも、川柳がどれだけ人気を博したかということに触れたいと思います。
まず川柳のシステムをご説明しますと、川柳は点者と作者という参加者で成り立っていました。
川柳は一種の興行で、興行主である点者が出題をし応募をつのると、作者は投稿料を払ってその出題に合う川柳を応募します。
点者は応募作の中から優秀な作品を選び、半紙に摺って、応募者全員に配ります。
また優秀作品を読んだ作者には高額な商品(反物や高級食器など)が贈られました。
なお、点者が出題するお題は、「つつみこそすれ つつみこそすれ」や「首尾の良いこと 首尾の良いこと」、「こみ合いにけり こみ合いにけり」など様々なものがあり、応募者はこれらの前句にうまく続く句を創作して応募したのでした。
ですから川柳が流行していた当時は、川柳という名称ではなく「前句付け」と呼ばれていました。
川柳という名前は、特に人気のあった点者の「柄井川柳」の人物名からきたもので、明治になってから使われたとのことです。
さて上記のようなシステムの興行が一年のある期間十日ごとに行われます。そして最盛期一番人気のあった点者には、なんと一万数千句が集まったとのことです。ちなみにこれは当時の江戸の人口の1%を超える数字です。
江戸を東京23区内に読み替えると、現在の7~8万人に相当しますね。また先にも書きましたが、点者は柄井川柳以外にも何人もいました。
一人で何句も投稿するケースもあったと思いますが、どれだけ流行していたかということが察せられます。
参考図書 江戸古川柳の世界 / 講談社親書 川柳江戸の四季 / 中公新書 著者 いずれも下山 弘
川柳の内容については、古今の有名な和歌や故事を知らないと作れない句も多く、また技巧をこらした句もしばしば見られます。
この記事のタイトルに庶民(?)文芸と(?)をつけたのは、作者にはかなりのインテリや有産階級が含まれていたと
見られ、川柳を語るときに良く使用される「庶民の」とか、「庶民文芸」という風には一概に言えないからです。
明日に続きます。
江戸川柳 その一
このブログでは江戸川柳の紹介はするものの、それが具体的にどういうものを指すのかをお伝えすることは、これまであまりありませんでした。
サラリーマン川柳など現代の川柳と呼ばれているものとは、内容はかなり異なるようです。
江戸川柳は当時生きる作者の粋や通ぶりが発揮された文芸です。
その中には一昨日の記事にありますとおり、「ばれ句=性を扱った句」のような人前で隠されるようなテーマについて詠まれたものもあります。
明日に続きます。
あらためてスケジューリングを
本日も本職の仕事は出勤でした。久々の現場作業で、身体の節々がこれから、痛くなる予定(?)です。
さて、最近出版プロジェクトの方は作業の遅れが目立つようになってきています。
一番作業ボリュームの大きいところを通過したため、油断しているのだと思います。
あらためてスケジュールを組みます。
いろいろ行うべきことはあります、近々の予定では編集プロダクションに再提出する資料の完成日を5月8日(日)しようと決めました。
さてと。