G.Wスペシャル(笑) 「ばれ句」特集
本日は昨日の予告
通り、ゴールデンウイーク・スペシャルと題し、「ばれ句」の特集をします。
その前に「ばれ句」とは、何かといいますと、エロティシズム、すなはち性を題材に取った川柳です。
川柳(現代川柳のことではなく江戸時代の川柳)というと、粋や通を志向を江戸人が詠んだ物であり、一見わいせつ性を連想する「ばれ句」とは距離がある印象を受けます。
しかし、川柳のエロティシズム 下山弘著 / 新潮選書 から引用すれば、
①川柳は粋志向・通志向の文芸である。
②作者の粋ぶり・通ぶりを主張するよりはむしろ、無粋・不通な他人を嘲笑するのが主題である。
③嘲笑の種としては、人が懸命に取り組む金もうけ、家計のやりくり、立身出世、育児、そして 恋や性がふさわしい。中でも性は秘すべき部分が多いから、作者の制作意欲を刺激するに 事欠かない。
ということで、「外観はポルノグラフィだが中身は粋の賛歌というしろものが出来上がることになる。」とのことです。
では早速見てみましょう。(ばれ句の特集なのに事務的な言い回しになってしまいました。)
下女の尻つめればぬかの手でおどし
下女は好色というのが川柳でのお約束。男が女の尻をつめる(つねる)というのは昔の求愛行為だったようです。
仕事中をじゃまされた下女と男のやりとり、ほほえましくお思いますが、この先どう発展するやら…
よしなあのひくいは少し出来かかり
これはあまり説明する必要はないですね。女の「よしなあ」と断る声もまんざらじゃないような…。ひくい声、というのが味噌ですが、その状況を句にしたためている、クールな傍観者(作者)の存在が見え隠れします。
その手代その下女昼は物言はず
今でいうオフィスラブを詠んだ句。奉公人の男(手代)と女(下女)、実は深い仲になっている。けれど昼間二人が顔を合わせても知らぬ顔をしています。昔の時代はこの手のことは、今よりとても厳しかったようです。
さてこれが主人と下女という関係になると、
若旦那夜はおがんで昼しかり
いけすかない若旦那ですね(笑)。実際にそういう人がいたかどうかは知りませんが、作者は「どうせそんなもんだろう。」と勝手な(しかも面白い)想像をしているのです。
かげぼしの壱つかくれるひざまくら
膝枕をしている「影法師が二つ見えていたが、一つが消えて」しまった…
最後はちょっとどきっとするような情景ですね。
もっと露骨な句もあるのですが、明日はこどもの日でもありますので(?)、今回はこのくらいにしておきたいと思います。
句の引用と解釈の参考はいずれも、川柳のエロティシズム 下山弘著 / 新潮選書 より
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「ばれ句」とは?
昨日はゴールデンウイークに仕事がお休みの人に向けて、震災で自粛するのはほどほどにして、遊ぶときは遊びましょうよ!ということで記事を書きました。
一方でサービス業などに従事し、この時期も働いている方もたくさんいます。かくいう私もその口で、今週は日曜日まで休みはありません。
しかし、何もイベントがないのは少しさびしいので、本ブログ「生活のかんじょう」では、ゴールデンウイーク・スペシャルと題し、明日はちょっと冒険して「ばれ句」の特集をさせていただきます!
ところで、「ばれ句」とは何かといいますと、一般的には性を題材にした句、平たくいうとエロ句を指します。
川柳とエロとはなかなか結びつきにくいという印象があります。
しかし人前で秘すべき事柄を臆面もなく詠む、というところが、粋や通を自認する当時の川柳詠みたちにとっては格好のテーマとなったようです。
ということで、遊んでいる方も働いている方も、明日をどうぞお楽しみに!
江戸の通人からのエール
世間はゴールデンウイークまっただ中ですが、震災を経験したあとでは、例年とは違う風景が見えます。
羽目を外して遊ぶのをためらわれる方もいるでょう。
本日はそんな少し引いた気分の方を後押しする一句を。
酒飲んであそぶが徳じゃ生きて百
~江戸時代の雑俳集 軽口頓作より
いろいろな遊びを知っている通人なのでしょう。ずいぶんと人生をを達観していますが、これもひとつの真実かな、と思わせるものがありますね。
分からないことは専門家に、聞くのは良いが…
本日は、編集プロダクションに提出するための原稿の整理作業を行いました。
昨日記事
にしました、父の古川柳研究の「同志」であるK様からいただいたお手紙も大いに参考になり、作業は順調に進みました。
以前の記事「そして俳句と俳諧が残った 」に、原稿の中に意味が分からない句があると書いたことがあります。
吹く風の手や横紙のさくら花 / 昆山集
図書館や父の蔵書、ネットなどでいくら調べても句意がつかめなかったのですが、これについての質問をK様へしたところ、手紙を出した5日後にお返事をいただき、見事句意がわかりました。
やはり、「分からないことは専門家に聞け」というのは正しいようです。
ただ大分年齢が上の、まだ面識もない方に物事をお聞きするのに、正しく失礼でないお願いの仕方ができたかというと、いくつか反省点があります。せめてお礼は手厚くさせていただこうと思う次第です。
「分からないことは専門家に」 聞くのはよいが、最大限の敬意と礼節を持って。という、自分自身に発する今日の一言でした。
最後に、上記の句の意味は下記のようになります。
吹く風の手や横紙のさくら花
「横紙をさく」とは、「横紙を破る」ともいい和紙は繊維が上下に走っているため横には裂きにくいことから、「事を無理に行うこと。道理をわきまえず強行すること。」を意味します。
つまり、この句は「強風が桜の花を無理矢理に散らしてしまった。」という内容で、「さく」が掛詞となっています。
かけがえのない同志
父の残した原稿の中で不明な点があり、父が生前参加していた古川柳の研究会の方に質問させていただく手紙をお送りしていました。
本日そのお返事をいただくことができたのですが、返信いただいた内容は、さすがに専門家だけあって深い知識に裏打ちされたものであり、かつ私のような素人にも理解できるようにと懇切丁寧な解説がなされていて、とても有り難く思います。
強く印象に残ったのは、手紙の中で父のことを「かけがえのない同志」と呼ばれていたことでした。
世の人間関係には様々な呼び名があります。友人、恋人、ライバル、仲間…
その中で、「同志」ということばは特別な響きを持っていると感じます。
同志、同じ志(こころざし)を持つ者。
何かの物事に本気で取り組み、なおかつ一緒に取り組む相手に認められなければ、「同志」とは呼ばれないでしょう。ましてや「かけがえのない」とは。
自分で求めようとして得られる言葉ではないかも知れません。しかし何かに真剣に取り組んだ後、周囲の人からそのように呼ばれるとしたらどうでしょうか?
そこまで自分が対象に取り組めればと思う次第です。