茶の湯
本日は仕事が遅くまであり、もう寝る時間なのであまりブログを書く時間がありません。
書きたかったテーマは落語の「茶の湯」に関して。
風流だ風流だといいつつとんでもないことをやらかすご隠居の噺。
少し注意してあたりを見渡せば、そこかしこにいそうです。
明日に続きます。
いつもは買わない日曜の日経新聞に
たまたま目にする新聞や雑誌などの記事に、まさしく自分が探していた言葉が見つかることがあります。
昨日の日経新聞 文化欄で九州大学名誉教授の中野三敏氏が「勿体ない話」として寄稿された一文がそうです。
(平成になってから)「いわば”近代”という言葉の持つ値打ちがあらゆる局面で極端に下がり始めた。それどころか近代の歪みやひずみの指摘こそが社会の急務になり、その正当な方法として、従来最も非近代的と烙印を押されてきた江戸時代にこそ、何かのヒントがあるはずとされるようになった」
「江戸三百年の平和は、間違いなくそれ以前から蓄積された日本文化の凡てを熟成させ、あらゆる領域で江戸モデルの文明を結実させたと言える。そこには前述したようなヒントが山積みすることを三・一一の痛ましい事実が、より痛切に感じさせてくれるように思われる。」
私は現在進めている原稿を出版する意義を以前から考えていました。個人の心の面から言えば、それを読むことによって、「心が豊かになる」、とか「心が少し柔らかになる」とかという言葉が出てくるでしょう。
歴史的社会的な面からその意義をさがせば、先に紹介させていただいた、中野氏の文に非常に通じるものがあるのではないかと思うのです。
今夜の月はあの歌に出てくる…
今日は天気が良かったので勝浦の海まで出かけて、一日中遊んでいました。
ですので昨日の打ち合わせ で宿題となったことはこれから行うため、作業においては、特別記事にするようなことはありません。
ところで今夜の東京、千葉地区は春らしいおぼろ月夜でしたね。
少しずつ読み進めている新古今和歌集から、今夜のような月を詠んだ歌を紹介したいと思います。
照りもせず曇りもはてぬ春の夜のおぼろ月夜にしくものぞなき
大江千里
おぼろ月夜に及ぶものはない、と比較的意味がわかりやすい歌と思います。
その及ぶもののない理由が「煌々と照るのでなく、またすっかり曇ってしまうものでもないから」ということです。
かくいう私は、おぼろ月夜を見ても「明日は雨かな?」ぐらいにしか思わない、風情のない人間ですが、この歌の微妙な美しさをよしとした感覚はとても好きです。
参考書籍 新古今和歌集 角川ソフィア文庫
【番外編】 カッコつけるということ
本日の編集プロダクションの方との打ち合わせの後、ある飲み屋さんで一人祝杯を上げていました。(何かにつけて飲む理由を探すという習性は、酒好きの方にはご理解いただけるものと思います。)
初めて入るお店でしたが、どの料理も、ちょっとした工夫がしてあり、おいしくいただけました。
おなかも満ちてき、そろそろ帰ろうかと思いましたが、さっきから目の前の黒板に気になるメニューがのっています。
そこには、「もろきゅう(青とん味噌)」と書かれていました。
「もろきゅう」だけならどこにもあり、(好きなメニューではありますが)別に珍しくもありません。ただ、そこに、「(青とん味噌)」と付け足されていると、なんだろう?と食指がわいてきます。
最後の一皿として、私が注文したのは言うまでもありません。ネーミングの妙を教えられた気がしました。もちろん、味もいけていました。
カッコ(括弧)つけること。少しの手間ですが、うまく付け足すとそれだけで特別な印象を相手に与えることができますね。
お後がよろしいようで…。
理解者を得るということ
本日は編集プロダクションの方(Eさん)と打ち合わせを行いました。
出版に対してのある提案をいただき、そしていくつかの修正点を依頼されました。
また以前からEさんに提出していた私の提案はすべて賛意をいただきました。
明日からは、本日の打ち合わせの結果を受けて原稿の修正作業に入ります。
作業内容は原稿の体裁を整えるものが主であり、内容の変更は行いませんので、全国の下山弘ファンはどうぞご安心ください。(以前にも同じことを書きましたっけ?)
Eさんには、父の原稿に非常に高い評価をしていただいており、とても有り難く思います。
「こんないい言葉があったんですねぇ。」と感慨深くおっしゃるその言い方から、決してリップサービスではないと感じました。
打ち合わせの中でEさんの口にする言葉の端々に、言葉に対する知識の深みを感じました。
そのような方に高い評価をいただくのは、たとえ私が書いた原稿ではなくても非常に嬉しいものです。
今回の出版プロジェクトは、自分の意思で手を挙げて始めたことであり、また作業を進める中で、私自身が原稿の中の言葉から豊かさを得、この原稿を世に出す意義を強く感じています。
ですから慣れない仕事はでありますが、別に苦にならず一人粛々と作業を進めていましたし、今後もそうするでしょう。
それでも理解者を得るということは非常に励みになります。
理解者という存在は望めば得られるものでしょうか?
何か行動を起こせば得られるものでしょうか?
私にはまだ分かりませんが、今回の作業を通じていろいろと得難い経験をさせていただいています。