生活のかんじょう -12ページ目

今日的な意味

昨日の記事 で池袋のジュンク堂書店に行ったと書きました。
古典文学のコーナーで古川柳や俳諧の本を探したのですが、このブログで何度かご紹介している俳諧や雑俳に関する書籍がほとんどありませんでした。


俳諧や雑俳は古川柳ほどではないにしても、当時は非常に人気を博し江戸でも上方でも数多くの書物が刊行されました。


ちなみにこのブログでも多くの句を引用している「俳諧 武玉川」は、中でも人気があった俳諧集で、寛延三年(一七五〇年)に初編が刊行されて以来、毎年続編が出され安永五年(一七七六年)まで十八編まで刊行されたと言うことです。

それほどまでに当時人気を得たジャンルの本が、日本一の大型書店に置かれていないということについて考えてみました。

あくまでも一般論ですが、たとえ昔流行したとしても現代に残らない場合は、その存在に今日的な意味が見いだしにくいということが主な理由であり、またたとえ部分的には十分現代に通じるとしても全体としてみると、言葉の問題や習慣の違いで、なかなか理解されるのがむずかしい場合は、しばしば歴史の中に埋もれ散ってしまうことになるのではないかと思います。

一方で書物に限らず、絵画や音楽でもしばらく忘れ去られていた作品が突如として脚光を浴びるのは、もちろんその作品のクオリティが高いと言うこともあるのでしょうが、その作品に現代に通ずる何かが見いだされたと言うことが大きいのでしょう。


父の残した原稿はほとんど99%父の生前に仕上がっているのですが、それにどのような今日的な意味があるかを考え世に出していくのかは、ある意味で著者の手を離れるところがあります。


特に物故者の作品おいては、出版に携わる者の役割が多くを占めるのでしょう。

私はかっこよく言えば作者と出版社の橋渡し的な存在、有り体に言えば残務整理ですが、そのようなことを考えながら、この原稿が出版という形で世に出、より多くの人の眼に触れることを目指したいと思います。


学んだことが他の分野とつながると

本日は、久々に池袋演芸場へ行き落語を楽しんできました。


目当ての古今亭志ん輔師は品川心中を演じました。

落語の中で岡場所、紋日などの言葉が出てくるのですが、最近古川柳を読む機会が増えこのような言葉も頻繁に目にします。


川柳の解説を読んでいるうちに、浅くではありますが当時の背景を知ることになるので、演じられる落語の受け取り方もまた以前とは異なったものとなります。

以前より鮮明に噺で語られる状況をイメージできるといった感じでしょうか。


ある分野を学び、その知識が他の分野とつながると、視点が変わったり視野が広くなるということを聞いたことがあります。


趣味の世界ですが、それに近いことが起きたのだと思います。


落語の後は池袋のリブロとジュンク堂へ行き、父親が寄稿した本を探しました。


国文学と鑑賞別冊
誹風柳多留名句選 江戸川柳を読む / 江戸川柳研究会編 至文堂


私の実家には、父親が書き出版された物は、それが単著であれ、共著であれまた寄稿した雑誌であれ、なぜかこの本だけが、実家になく、私も持っておりません。
残念ながら両書店でもおいてなかったのでネットで取り寄せることにします。

書くことで身につくことも…あります!

本日の昼休み、編集プロダクションの方(Eさん)に、整理した原稿とここ数日まとめていた提案書を発送しました。
すると六時頃にEさんから電話がかかってきて、原稿が届いたのこと。

いくら同じ区内への配達だからといって、その日のうちに届くとは… すごいぞ郵便局!


本日から次のEさんとの打ち合わせまでは、ルーティンの作業的なものはあまり多くありません。
慢性的にインプット(読書、句や歌の鑑賞)の量が少ない状況が続いているので、その時間を増やしたいと思います。


このブログを書き始めて知ったのですが、自分の心に残る言葉なり詩歌に出会ったときに、それをブログに書くと、より深く胸に入り、また頭に残ります。
また公開を前提にしているので、(これでも)句の鑑賞をする際など、結構調べたりきちんと文章を書こうとするので勉強になります。
さらに後で思い出そうとする際にも、ブログの過去の記事を探せばよいので便利です。


ですからこのブログでしばしば(私がそう感じた)美しい言葉、趣のある言葉、俳諧、古川柳、和歌、俳句をご紹介しますが、皆さんに知って欲しいからと言うことももちろんあるのですが、自分のためという部分も大きいということに最近気づきました。


インプットした結果をブログなどで公開するというのは、何かの勉強方法にも応用できそうですね。

実際にそうしている方もいるのでしょう。


忘れっぽく、なかなか身につかない私にとっては良い方法では?と期待を込めて本日は記事を終えます。



資料準備

現在編集プロダクションの方に提出する資料をまとめています。簡単な説明を加え明日発送の予定です。

まだ粗いところはありますが、趣旨は理解いただけるでしょう。


今回も本当は昨日までに終えるはずが、今日にずれ込んでしまいました。

仕事を終えたあとの、短い時間でいかに生産的に作業を進めるか?

目下の課題です。











その付け合わせで詩情が生まれる…!

以前掲載した記事
に、俳諧の発生の過程として、下記のように書きました。



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(俳諧を)手軽に楽しみたいという人に「前句」+「付句」という二句立ての簡易俳諧とも言うべき物が登場しました。

俳諧の練習版ともいわれ、たとえば「賑やかなこと賑やかなこと」という「前句」というお題に対して、それにあわせて「付句」を一句詠む。
(中略)
そして次第に「付句」のみを鑑賞しようという機運が生まれ、おもしろい「付句」を集めた句集が続々と刊行されるようになりました。



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「付句」のみが鑑賞されるようになる前の過程として、「前句」+「付句」という形式について簡単に触れましたが、この「前句」+「付句」という形式の「前句」と「付句」の取り合わせ、付け合わせが、何ともいえず絶妙な句があります。


前句があるからこそ、全体としてより詩情が増す、そんな句をご紹介します。



(前句)風のそよそよ風のそよそよ

(付句)隠居にもまだ紅絹裏の土用干



 隠居宅の土用干し。年寄りめいた地味な衣服の中に、一枚だけ紅絹裏付きがある。老妻まだ若かりし頃を忍ぶ思い出の一品。捨てるには惜しいと思える。風がそよそよ…



(前句)片頬にこにこ片頬にこにこ


(付句)這うて来る程ずつ母の膝で逃げ



 親を慕って這ってくる子がもう少しで膝というところで、膝をずらしてちょっと離れる。子はまた それを追って懸命に這ってくる。にこにこしながら子と遊ぶ若い母。



(前句)雨のほろほろ雨のほろほろ

(付句)小いたずらな目元が似たと添え乳する



 いたずらっぽい目元があの人そっくりなんだから、と言いながら添え乳する。(中略)外は雨、外出の 夫に思いを馳せながらひっそり愛し子へ乳を含ませている妻である。



国風俗(くにぶり)全釈 / 鴨下 恭明  下山 弘 共著  太平書屋より



本日紹介した句は、いずれも「雑俳」と呼ばれるジャンルに属するようです。