残しておきたい言葉
本日は、明日の編集プロダクションの方との打ち合わせに備えて用意した原稿を軽くさらっていました。
その中で、今の季節に合った言葉をいくつかご紹介します。ご存じのものはあるでしょうか?
油日和(あぶらびより)
おだやかな春の日和。
なぜあぶら日和というのでしょう?油のとろりとしたところが、暖かさを連想させるからでしょうか?
ちなみに、小春日和(こはるびより)とは、 十一月頃(旧暦十月頃)の、うららかで暖かく春を思わせる日和のことで、春のことを指すものではありません。
御身ぬぐい(おみぬぐい)
京都嵯峨の清涼寺の釈迦像を、開帳に際して白布で拭う行事。四月十九日(旧暦の時代は三月十九日)に行う。「御身拭人もはじめて汗をかき」武玉川八。
花見幕(はなみまく)
花見の宴会場の周囲に張り巡らす幕。しばしば女性の美しい小袖を桜の枝に掛け並べて幕とする風習があり、これを「小袖幕」といった。
そういえば浮世絵で花見幕を見たことがあります。いろとりどりの着物を巡らされた光景は美しいものでした。
やさしげな色合いをもつ言葉たちです。今はあまり使われなくても、知っていると少し心が豊かになる気がし、これからも残しておきたいと思います。
現在私たちが使っている言葉の中にも、そのようなものはあるでしょうか?
アクセス数とタイトルの関係
ブログを毎日更新していてわかったのですが、アクセス数とタイトルの付け方の間には密接な関係があるようです。
タイトルがある程度具体的であったりして、わかりやすい場合はアクセス数は伸びる傾向にあり、あまりに短いタイトルだったり意味不明な場合は結果は芳しくない傾向にあります。
一所懸命書いた記事であっても、タイトルだけで判断されて見ていただかなかったとしたら、もったいないことですね。
最近そのようなことを感じたのが、一昨日書いた記事 です。
冠付けという江戸時代の雑俳(江戸川柳の前身と言われる短句)から、恋の句のみを抜き出して紹介したのですが、意外なほどアクセス数が伸びませんでした。
他の記事が同様なアクセス数がであればまだしも、過去に同じく雑俳をご紹介した記事は、明確に結果が良いのです。
もちろんブログを発行するタイミングなど、ほかの問題もあるでしょうが、一番の問題はタイトルの付け方にあったと思います。
当初このタイトルは「恋句……!」というものでした。少し照れくさかったこともあり、シンプルにしてしまったのですが、このタイトルではあまり内容がつかめませんね。
タイトルが短すぎて目に入らず、通り過ぎてしまう可能性もあります。
そこでタイトルを変えることにしました。
候補の中では「どうしようもない恋の歌」という、以前私が好きだったルースターズ(すでに大分前に解散しています)の曲名からとったものもありましたが、結局「三度諦め四度惚れ 恋の句!」になりました。
少しは興味が持てそうなタイトルになったでしょうか?
それを知っていて何になる?
以前の記事 で、このブログの新しい紹介文を考えていると書きました。
しかしなかなか簡潔にまとめることが出来ず、作成に時間がかかってしまっています。
今日は少し方向を変えて、ただ今出版を目指している父の原稿やこのブログの内容を知っていると、何になるか?という質問を自分にしてみます。
現在進めている日本語の美しい言葉、味わいのある言葉を紹介する本、また江戸川柳、俳諧、和歌、俳句をご紹介しているこのブログでは、日本人が昔から持ち続けてきた、思いや感情に触れることができます。
百人一首の時代から江戸川柳の時代まで、時代も大きく変わり、また作者の立場も様々ですので、作品から伺われる思いや感情も非常に多様なものがあるでしょう。
ただ一つ言えることは、それらは、今生きる私たちの心の中で、なにがしかのパーツとなっているはずだということです。
では、それらを知っていると何の得になるのでしょうか?
それを知っていると、自分の奥底にあるものがつつかれ、心が少し柔らかくなる。心が少し楽しくなる。気の疲れが少し癒える。
少なくとも私には、そのような効果があります。
そして、同じように感じる方が少しでも増えるといいな、と思うのです。
三度諦め四度惚れ 恋の句!
昨日ご紹介しました
冠付け、句の五七五のうち、出題者(点者と呼ばれた)が最初の五文字をお題として出題し、作者がその五文字の言葉ににうまく意味が通るように、七五をつける。
江戸時代にかなり流行った文芸遊びだそうです。
内容はユーモア句と呼べそうなものが多くを占めるのですが、本日はその中から「恋愛」をあつかった句を選び、ぐっとシリアスに迫ります。(誰に?)
といっても元が「冠付け」です。はたしてどうなることやら…
昨日と同じように冠(お題)の五文字を斜体にしています。
まじまじと話したい耳うち眺め
心にあることを話してしまおうか、それとも言わないでおこうか。決心がつかぬまま、いつまでもまじまじと相手の耳を見つめている。
しっぽりと覚えてごんせ逢い初め
「ごんせ」は、居るの意の丁寧な言い方。あなたと私が初めて逢った時のことを、覚えていらしてください。忘れちゃいやですよ。しっぽりとした場面でのしっぽりとした口説き。
これはさて口説いています通らしゃれ
女を口説いていると、軒先に物もらいがやってきた。「今大事なところなんだ。通らしゃれ(向こう行け)。」
それはその三度諦め四度惚れ
惚れた女に見事に振られて、一旦諦めたが、懲りずにまた惚れてまた振られ、さらにまた惚れてまた振られた。これで三度目だが、未練がつのるばかりなので、四度目のアタックをしてみよう。
人は呆れるかもしれないが、それはその、曰く言い難い情があるのだ。
以上、本日も、国風俗(くにぶり)全釈 / 鴨下 恭明 下山 弘 共著 太平書屋より
いかがでしょうか?一目見て意味がわかりそうな句が多いですね。
皆様のご期待(?)にお応えできたかどうか…
できそうでできない?江戸のお遊び「冠付け」
最近なにやら論じみたことを何度か記事にしました。別に小難しいことをいいたいわけではないのですが、原稿の整理作業が一段落したので、時間ができたこともあり、この出版プロジェクトに際しての自分の考えを本ブログ上でまとめさせていただきました。
少し堅くなった自分の頭をほぐそうと、今日は、【冠付け】という少し珍しい雑俳についての記事とさせていただきます。
【冠付け】かむり-づけとは、辞書で調べると下記のようにかかれています。
雑俳の一種。点者が出した上五文字(冠)に中七文字・下五文字を付けて一句立てにするもの。元禄(1688-1704)頃より行われた。一般に江戸での称で、上方では笠付(かさづ)けと称した。
大辞林/三省堂より
出題された五文字のお題に対して作者が七・五をくっつけて句を完成させるというものです。
では、早速どうぞ!今日の東京の昼間のように、心地よい日よりを詠んだ句から
※斜体は 冠(お題)の部分です。
よい日和内に居られぬつとの出来
「つと」とは髪の背後に張り出した部分。髪がきれいに結い上がり、とりわけつとの出来が見事だ。
是非誰かに見せて誉められたい。折から今日は好天気ではないか。さて何処へ行って誉めてもらおうか。
もう一、二句同じ冠の句です。
よい日和何でも似合う美女の徳
器量よしに生まれたとはありがたいもので、何を着ても似合う。高級な反物が良く映えるのはもちろんのこと、粗末な普段着姿でも人目を引くのだ。良い日和で人出が多いと、そんな美女の姿もちらほら見える。
よい日和朱に交わって花に逢う
「朱に交わって」はことわざ「朱に交われば赤くなる」の文句をちょうだいして、女性の一行に同行しての意。
花見に行くという女たちにつられて付いて来てみれば、桜の花に人の花、まことに結構なお日和ではございます。
次の冠は「見事なり」歓迎会やお花見などお酒を飲む機会が増えてきますね。
見事なり思い切ったる下戸の酒
酒の飲めない下戸が思いきって酒を飲む。その飲みっぷりたるや、見事なり。後は知りません…
見事なり嚊(かか)らはそこを逆らわず
「そこ」とは、逆らっては混乱が増すだけで益のないこと。酔っぱらった上での亭主の難題など、かかあ連中は素早く見極めて無用な争いを避けるのが見事。
国風俗(くにぶり)全釈 / 鴨下 恭明 下山 弘 共著 太平書屋より
素朴な句もありますが、人の出したお題にうまく合った句を考えるのは、なかなかな頭を使う作業ですね。