生活のかんじょう -13ページ目

感性は学べるか?

本日も編集プロダクションへ提出する提案資料作りを行っています。


昨日書いたこと にも関係するのですが、この提案資料の趣旨は、父の原稿をよりわかりやす身近なものにすることです。


しかしその前提として、父がもし生きていたなら、納得したであろう方法により、進めるということ、また父ならばこういう表現をする(たとえそれが注釈程度の小さな記事であっても)ということをふまえる必要があると思います。

それを可能にするのは、考え方と感性といういずれも目に見えない領域です。


原稿の書き手の感性と考え方を自分の身につけること、実はこれが一番難しかったりするのでしょう。





ギャップを埋めること

本日から編集プロダクションの方への提案資料を作り始めました。


といってもそれほど体裁の良いものはつくれませんので、最低限内容の分かるものをということで、キーボードをたたいています。



原稿の書き手と受け手の間には当然ギャップがあり、そのギャップを埋めることができれば、より正確に作者の意図が読者に伝わるのでしょう。それがヒットする条件かどうかは別として。


私が提案しようとしているのは、そのギャップを埋めるためのひとつの手法です。


ただその手法が誤っていたり、行き過ぎていたりする場合はかえって、原稿の主題を読者に読み誤らせることにつながりますので、より手法を吟味し、また程度を良くわきまえなければなりません。



昨日、「どれだけより多くの読み手に、よりわかりやすく、すんなりと伝えることができるかがポイント」と書きましたが、それはあくまでも著者の世界観を反映した上でのことですね。


以上を念頭に作業を進めていきます。



これもマーケティング?

本日は、昨日に続き原稿の補正作業を行い、無事最終ページまで終了しました。昨日と異なり不明な部分があまりなく、順調に進みました。


あとは編集プロダクションの方への提案事項をまとめること、これは今週水曜日までの3日間で行います。


午後は図書館でその準備をしながら、今後の構想を練っていました。


手前味噌ではありますが、父の遺した原稿は、内容としては今生きる人たちのためになる、とても意義があるものと思います。



これをどれだけより多くの読み手に、よりわかりやすく、すんなりと伝えることができるかがポイントであり、そのためにどうすればいいかを考えていました。


いろいろと行うべきことはありそうです。


売れている本、特にロングセラーの本の事例を参考にすべきと思い、その研究(ちょっと大げさですが)をしたいと思います。


これもマーケティングということになるのでしょう。
とするとまずはメインの顧客(読者)は誰か?を想定することが必要ですね。果たして父はどのように考えていたのか…


これまた楽しい作業になりそうです。



巻き返すぞ!

最近残業が続き、なかなか家で原稿の補正作業ができなかったので、今日は昼間時間を取って行いました。実はこの補正作業、本来ならば昨日に完了しているはずでしたが、予定が遅れてしまっています。


理由は作業自体は単純なのですが、作業を行うに当たって必要とされる知識が自分にないため、どう処理して良いか分からない部分があり、作業が中断してしまうためです。これについてはひとつひとつ調べながら進めることとなり、結果的に作業と調べ物を平行して行うこととなるので、思わぬ時間がかかってしまっているのです。


引っかかっている部分は、俳句や俳諧の解釈・鑑賞についてです。

原稿の内容は美しい言葉、趣きのある言葉についてのもですが、引用されている例文に俳句や俳諧があり、この解釈に手間取っています。


幸いに、俳句や俳諧を鑑賞すること自体は楽しいものであり、たとえ時間がかかっても苦になりません。新しい趣味を見つけたようにも思います。

ただ、編集プロダクションの方に原稿を渡す時間が迫っていますので、あまりのんびりともできません。


巻き返すぞ!といっても具体性がないと変わらないので、明日は不明な点はいったんそのままにし、あとでまとめて調べて解決することにします。


さて、もうぽつぽつと桜が咲く始める季節となりました。

最後に花見に関する川柳を二つほど。


花に背を向けて団子を喰って居る  柳多留十編

 花より団子を地で行く者。


花の幕のぞかぬ内は気にかかり  川柳評安元義

 豪商の女連中とか大名の奥方・お姫様などは、有象無象の好奇の目を避けるために、幕を張った中で花見を

 する。幕の代わりに美しい着物を張りめぐらした。


川柳 江戸の四季 下山 弘著 中公新書より


二句目は今はもう見られない情景ですね。










俳諧の発生事情 続き

前回 に続き、俳諧の発生事情についてお伝えします。


もともとは連歌の一種であった俳諧は、次第に芸術志向が強くなり、「暇があればやってみようか」という程度の人々にとっては、高級すぎて手の届かないものとなっていった。


しかし、一方で手軽に楽しみたいという人に 「前句」+「付句」という二句立ての簡易俳諧とも言うべき物が登場しました。


俳諧の練習版ともいわれ、たとえば「賑やかなこと賑やかなこと」という「前句」というお題に対して、それにあわせて「付句」を一句詠む。


これは手軽さが受け人気を博しました。
そして次第に「付句」のみを鑑賞しようという機運が生まれ、おもしろい「付句」を集めた句集が続々と刊行されるようになりました。

このブログでもしばしば引用している「武玉川」もその一つで、非常に人気を博し寛永三年(1750年)に初編が刊行されてから、毎年続編が出され、十八編まで刊行されました。


再び「武玉川」からご紹介


朝顔の思ひ直して二ツ三ツ

 夏の終わり、もう咲き終わったと思った朝顔がまた二つ三つ花を咲かせる


おどりが済んで人くさい風

 たくさんの人が踊った後。


言伝を戻る背中にたたき込

 「忘れずに伝えておいてよ!」ぽんと背中をたたいて送り出す。


古川柳とどう違うの?といわれれば明確には答えられませんが、独自の余韻と、人肌のぬくもりが感じられるれように思います。


本ブログでご紹介している、「俳諧」とは、このような変遷をたどってきたものでした。